10 哲学

阿刀田高『コーランを知っていますか』|阿刀田先生とコーランの世界をのぞき見

こんにちは。コーランを知らない あさよるです。

以前、アラビア語の勉強をしようと教科書を用意し、その時にイスラムの文化にも初めて触れました(結局、アラビア語のアルファベットも読めないままなのですが…)。興味はあるものの、長く放置したままですね…(;’∀’)

本書、阿刀田高さんは『コーランを知っていますか』以外にも、同じようなシリーズを執筆なさっています。

などなど。どれもレビューを見ると好評っぽくて読んでみたいのですが、どうやら本書『コーランを知っていますか』に限っては、モヤモヤした感じの読了感。

なぜモヤッとしてしまうかというと、それはコーランの持っている性質に由来しているもののようですね。

阿刀田さんもコーランに戸惑い!?

著者の阿刀田高さんの講演を聞いたことがあります。古事記をテーマにしたシンポジウムで、作家さんだからこその内容でした。学術的な事実を述べるのではなく、古事記の欠けている物語を推理し、捕捉し、お話が展開されてゆくのが面白かったです。

先にも紹介したように、阿刀田高さんは「~を知っていますか」ってシリーズを刊行なさっていて、どれも口コミは悪くないのですが……『コーランを知っていますか』では、阿刀田高さんの戸惑いから話が始まります。

というのも、我々からすれば唐突に話が始まり、その後の内容にどう関係があるのかもわからないまま話が進んでしまうという……。

イスラム教の立ち位置も、ちょっと不思議。

例えば、イスラム教徒は多神教の信者とは結婚できません。日本人とは結婚できないってことですね。

だけど、同じ一神教のキリスト教やユダヤ教徒との婚姻は、教義的にOKなんだそうです。「一つの同じ神様を信じている」って解釈なんです。

キリスト教、ユダヤ教、イスラム教は三兄弟の宗教だと言われるのも少し納得しました。

コーランやイスラム教を知れるわけではない

『コーランを知っていますか』を読んでも、コーランの内容を知れるわけでも、イスラム教の全貌がつかめるものでもありません。悪しからず。

深く知れる内容ではありませんが、何の接点もない異宗教が、なんだか親しみやすい感じは受けました。それは阿刀田高さんというフィルターを通しているからこその感想でしょう。

コーランって、アラビア語でなけれなばらないと世界史の時間で習いました。神がアラビア語で話したんだから、そのまま書き記された書物でなければならないのです。

そもそも、日本語翻訳されたコーランはコーランではありませんし、日本語訳コーランを読んでさらに阿刀田高さんのフィルターで解釈されたものですがら、全く別物だと考えてもいいかもしれません。

その前提込み込みで『コーランを知っていますか』を読むと、エッセイとしてとても楽しい作品です。

一緒に「ナゾ」の異文化をのぞき見

『コーランを知っていますか』は、阿刀田高さんをガイドに異文化をちょこっとのぞき見するようで楽しく、ワクワクしました。

あさよるの周囲では、熱心な仏教徒やキリスト教徒の人はいますが、イスラム教徒の人はいません。この辺は、お住まいの地域や、職業等のコミュニティによって違うのでしょうが、あさよるには知らない世界でした。

コーランの内容は、生活の細々した取り決めにまで及んでいます。

聖典が社会の規範になっていることがよくわかりました。

社会が違えば常識が違う

あさよるは、イスラム教と縁がなかったと書きましたが、世界規模で見れば関係がないわけはありません。

なんてたって世界三大宗教の一つですし、この語学が苦手なあさよるでさえ「アラビア語の勉強しよっかな……」と思う程度に、イスラム世界が世界に影響をもたらしていることも感じています。

最終章は、阿刀田高さんがが実際にサウジアラビアを訪れた経験が著されています。

そこで出会った人々は、有能な人物少なからずいるのですが、日本人とは行動規範が“違う”人たちです。日本人から見ると不思議に見えます。同じように、向こうから見れば、こっちが不思議なのでしょう。

“違う”文化を認めるというのは、言うのは簡単ですが、実際にどんな状態が異文化を認め合った世界なのだろうなぁと想像してみます。

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『池上彰の宗教がわかれば世界が見える』|社会、外交、世界を考える

こんにちは。テレビで池上彰さんを見かけると、思わずお話を聞いてしまう あさよるです。

テレビでの池上彰さんしか知らないので、著書も読んでみたいなぁと『池上彰の宗教がわかれば世界が見える』を手に取りました。

世界の宗教を通じて、信仰を考える

本書、『池上彰の宗教がわかれば世界が見える』の冒頭、著者・池上彰さんが「宗教」の働きが定義されます。

 私は、宗教を考えることは、よく死ぬことだと思っています。宗教は「死のレッスン」と言った人もいます。つまり、どう死ぬかという予習なのです。
(中略)
死の予習をすることが、よりよく生きることにつながる。それが宗教を考える意味だと、私は思っています。

『池上彰の宗教がわかれば世界が見える』p.66

「宗教を考えることは、よく死ぬこと」「死の予習をすることが、よりよく生きること」とあります。

宗教とは「死」を考えること。それは「生」を考えることでもある、というのです。

ですからタイトル『池上彰の宗教がわかれば世界が見える』にある「宗教」とは「死がわかれば世界が見える」「生がわかえば世界が見える」という意味に解釈できますね。

じゃあ、ここでいう「世界」っていうのは、「現世」とか「この世」とかいう意味でしょうか。

誰のための本?

なんでタイトルにこだわっているかというと、この本、なかなか難解なんです。

一読すると、タイトルと、冒頭の文言、そしてその後に続く専門家との対談、それぞれがちぐはぐに感じるのです。

というか、あさよる、正直さっぱり意味が分かっておりませんw

タイトルも興味深いし、池上彰さんの冒頭の第一章は面白い。そして、対談の内容も悪くはない。しかし、3つの要素がどう関連しているんだろう??

対談の内容も、池上彰さんが各宗教者から“何かを聞き出そうとしている”感じがするんですが、何を聞き出したのかわかりませんでした><

最終章でも、結論として“何かを言おうとしている”と匂わせている感じがしますが、上手くくみ取れませんでした><

世界三大宗教+神道+科学

と言いつつ、やはり対談が何といっても興味惹かれます。

世界三大宗教である、仏教、キリスト教、イスラム教と、神道に詳しい識者との対談です。

「仏教」「キリスト教」等と一口に言っても、宗派もたくさんありますし、そもそもそれぞれ専門書がいくらでも書けるような内容です。

たった一冊の新書で、これだけ複数の要素を扱っているので、ライトな内容ではあります。

が、これだけディープなら十分じゃない!?と思います。

辞書引きながらとか、ワード検索しながら読まれる方も多いはず。注釈も特にないので、分かっている人にとっては基本的なことなのかな?とも思います。

さらに、宗教家だけでなく、最後に科学者である養老孟司さんが登場するのが、いいなと思いました。

宗教、信仰の話題を身近なものに

本書『池上彰の宗教がわかれば世界が見える』この一冊を読んで、宗教の世界がわかるようにはなりません。

しかし、我々は「宗教」「信仰」の中にいます。

日本人には「無宗教」だと自称する人が多いですが、本書に登場する宗教家+科学者は、口をそろえて、日本人ほど信仰が深い人はいないと言います。

もう、私たちは信仰を意識しないくらい、息をするのと同じように信仰を持っているんです。

そして、信仰は行動規範となり、社会を形作っています。信仰を考えることが、今の日本の社会を考えることなのかもしれません。

『池上彰の宗教がわかれば世界が見える』は、社会や政治、外交を考える上で、意識しておきたい「宗教」の話を、意識させられる本だと思います。

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ジブリ映画公開!原作もマンガで読もう!『漫画 君たちはどう生きるか』

こんにちは。あさよるです。やっと話題すぎる『漫画 君たちはどう生きるか』を読みました。書店で平積みされ続けていますが、手にも取ってなかたので、実はこの本がマンガであることも今回読み始めるまで知りませんでした(;’∀’)(;’∀’)

とんでもないベストセラーになってるそうで、とりあえず読んでおくべきではないかと思います。「なんでこの本が売れているのか」を知るためにもね。

ちょっと前に「『蟹工船』が若い人に売れている」と話題になりましたが、そんな感じなんでしょうか。読んでみて余計に「なんでこの本が売れてるんだろう」と謎が深まりました。

大ベストセラー!読んどいてもいいんじゃない?

本書『漫画 君たちはどう生きるか』はずっと書店でも平積みされていますね。2018年上半期一番売れた本だそう。200万部突破ってすごいなぁ~。

宮崎駿監督によるスタジオジブリの次回作が「君たちはどう生きるか」というタイトルであることが発表されて話題になってるんだと思っていましたが、この編集会議の記事を読むと、それとは別のプロジェクトだったって話なんですね。

200万部って信じられないようなベストセラーになってるんですから、一度は読んでおいてもソンはないでしょう。マンガとしても、羽賀翔一さんの絵柄は好きだし、読みやすかったです。

だいたいこんな内容

主人公は中学生は〈コペル君〉。コペルニクスにちなんで、おじさんが彼をニックネームでそう呼びます。編集者だったおじさんは、勤め先が倒産したことをきっかけにコペル君の家の近くに引っ越してきました。数年前に亡くなったコペル君のお父さんが「立派な人間になってほしい」と願っていた意志を、おじさんが引き継いでくれています。

圧力、勇気、卑怯、貧しさ、生産

コペル君は学校やクラスメイトの友人たちを通して、様々な出来事に出会います。

豆腐屋の浦川君がいじめのターゲットにされたときは、コペル君も教室内にうごめく目に見えない圧力に呑まれ、それを跳ね返すことができませんでした。しかし、いじめっ子に立ち向かうガッチンと、自分をいじめた奴が殴られるのを「もう許してやってくれ」と言う浦川君の気丈な姿を見て、コペル君も自分が正しい行いをしようと心に決めました。

また、貧しさにも出会います。学校を休んでいる浦川君の様子を見に行くと、彼は家業の豆腐屋の手伝いと兄弟の子守に追われていました。浦川君はまだ中学生なのに働いて、物を作りそれを売り、生産をしています。コペル君は働く浦川君を見て、自分も誰かが作ったものを食べ、着て、人と人が網の目のように繋がることで生きているのだと気づきます。

更におじさんは、コペル君が貧しい人を見下さないことを褒めます。貧しくても正しく振舞う人もおれば、お金持ちでも尊敬できない人もいるのです。そして中学生のコペル君はまだ働いていませんが、それでもコペル君は何かを生み出しているんだと問いかけます。彼は何を生み出しているのでしょうか。

そしてある日、コペル君は大きな苦しみを経験します。友人であるガッチンが上級生から目をつけられ、「絶対にガッチン守る」と約束をしていました。しかし、本当に上級生に襲撃されたとき、コペル君は卑怯にも逃げ出してしまったのです。それを悔やみ、何日も寝込んで学校を休んでしまい、苦しみから「死んでしまったほうがマシだ」とさえ思いました。おじさんにすがりますが、おじさんからは「自分がしなければならないことにまっすぐ向かっていく」ように諭されます。そして「君は今正しい道へ進もうとしている」とも励まされました。

おじさんのノート

おじさんはコペル君との交流から、コペル君に伝えたいことをノートにしたためてくれていました。そして、コペル君が友人を裏切ったことで苦しんでいるとき、そのノートを手渡してくれたのです。

そのノートは、コペル君が大人として歩み始めた記録でもあります。自分が世界の中心だった子ども時代から、自分も社会の中のちっぽけな要素でしかないことに気づいた「コペルニクス的転回」をしたその日からの記録だからです。

おじさんはコペル君を見守りながら激励します。そして問うのです。「君たちはどう生きるか」と。

本書『漫画 君たちはどう生きるか』はマンガなのですが、おじさんのノートと、コペル君が書いた手紙だけ活字で構成されています。

時代背景を知った方がわかりやすいかも

原作の『君たちはどう生きるか』が発行されたのは1937年で、戦前に書かれた本です。コペル君のお父さんは銀行の重役で(物語の数年前に死去)、コペル君も勉強もできます。旧制中学は尋常小学校を卒業した男子が入学するところですから、コペル君へのメッセージは「旧制中学に通う男子」と限られた人へ向けられています。

本書の中でも、おじさんのノートには「小学校にしか行けなかった人」の話が登場します。コペル君のクラスメイトの浦川君の家は貧しいと言っても、息子を中学にやれるくらいの店を持っているのです。

中学へ行かなかった人は、当たり前ですがコペル君が学校で習ったことを知りません。全ての物質が分子でできていると知らなければ、コペル君のように世界がガラッと変わって見える体験をしないかもしれません。銀座のビルの上から街を見下ろして「人間はちっぽけだ」と気づいたのは、彼がビルのある街に住んでいたからかもしれません。

あくまでコペル君は限定された境遇にいます。だから、コペル君は社会的な責任を負っているのだろうし、お父さんもおじさんもコペル君に「立派な人間になってほしい」と願っています。

現在の日本では格差が広がっているといいます。それはつまり、コペル君になれる人となれない人が、生まれながらの境遇や生まれた時代によって分けられ始めているということです。本書がベストセラーになるのは結構だけれども、多くの人がコペル君にはなれない時代が来てしまうというのはなんとも。

浦川君のうちの若い衆

あさよるの感想としては「こんだけ売れてるなら一度は読んどけば?」というのは本当ですが、同時に「へー、これが売れてるの」って感じもある。共感要素もないし、なにをどう解釈すればいいのかもわからず、とてもムズムズする。

先に触れたように、あくまで特別な立場にある「コペル君たち」への「どう生きるか」という問いだろうから、少なくとも あさよるには当てはまりません。あさよるはエリートじゃないし、女だし。たぶん、売れに売れているマンガ版の読者の多くもそうでしょう。

だからなんか読んでいて居心地が悪いというか、自分をどこに当てはめていいのかわからないんですよね……しいて言えば、おじさんのノートに書かれていた、「浦川君のうちの店に勤める若い人」が、多くの人(とくに若い世代)にあてはまる立場じゃないかと思います。

 現に浦川君のうちに若い衆となって勤めている人々を考えてみたまえ。あの人々は、何年か後に、せめて浦川君のうちぐらいな店がもてたらと、それを希望に働いているのだ。
浦川君のうちでは、貧しと言っても、息子を中学校にあげている。しかし、若い衆たちは、小学校だけで学校をやめなければならなかった。
また、浦川君の一家は、まだしも、お豆腐を作る機械を据えつけ、原料の大豆を買いこみ、若い衆を雇い、一種の家内工場営んで暮らしを立てているけれど、若い衆たちは、自分の労力のほかに、なに一つ生計をたててゆくもとでをもっていない。一日中からだを働かせて、それで命をつないでいるのだ。
こういう人々が、万一、不治の病気にかかったり、再び働けないほどの大怪我をしたら、いったい、どうなることだろう。労力一つをたよりに生きている人たちにとっては、働けなくなるということは、餓死に迫られることではないか。

p.269-270

戦後、教育は行き届いて、義務教育のみならず、多くは高等学校を卒業します。高校卒業後さらに進学をする人も少なくありません。ただ、学校に通う期間は長くなったけれども、働き方としては、おじさんのいう「浦川君のうちの若い衆」に近い状況の人が多いんじゃないでしょうか。となると、おじさんの話のように、病気や怪我で勤め続けられなくなると「餓死」というのは困ります。

エリートでもない我々は「コペル君にはしっかりしてもらわないと」と思うしかないんでしょうか。

あと、これを引用しながら〈浦川君のうちの若い衆〉は「将来自分も工場を持てたら……」と多少の希望を持ってるんだなぁ~と。すごい時代にわたしたちは生きているのかもしれません。

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『平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学』

こんにちは。「読書っていいですよね(#^^#)」ってしみじみ言いたい あさよるですが、やっぱね、たまにね、嫌な気持ちになる読書ってのもありまして。

この『平気でうそをつく人たち』もその類だったなぁ、と。

本書が悪い本って訳ではなくって、自分の過去の嫌な記憶を呼び覚ますものでした。

それは自分自身に起こったこともあるし、仲の良かった友人や仲間が苦しむ、嫌な話でもあります。

自分のどうにもならない話。友人がどうもしようとしない苛立ち。「どこに持って言っていいかわからない気持ち」とでも言いましょうか。

こういう人いるよね~

本書『平気でうそとつく人たち』では、欺瞞に満ちたうそつき達が次々登場します。

長男が拳銃自殺で使った銃を、次男へクリスマスプレゼントする両親。

息子を追い詰め、パフォーマンスとして息子を精神科医に見せる親。うそをついているのは親なのに、うそを認めるくらいなら、息子を生まれながらの障害を負っていると主張する。

母親からプライバシーを奪われ、口を閉ざす娘。

性に奔放な女性が、自分のコピーとして娘も奔放に振る舞わせる母。そして、その母から離れられない娘。

自信のないだらしない夫と、夫からすべての自信を奪ってゆく妻。

すべての話はセンセーショナルな話題ですが、でも、そういう人っているよね……と感じます。

共依存している夫婦や親子、よその家族感の人間模様は理解しがたいものがあります。

目に見える暴力や窃盗等は起こらずとも、「あれ?なんか変だぞ?」とゾッとすることありませんか?

 邪悪な人間とは、こんな人である――

●どんな町にも住んでいる、ごく普通の人。
●自分には欠点がないと思い込んでいる。
●異常に意志が強い。
●罪悪感や自責の念に耐えることを絶対的に拒否する。
●他者をスケープゴートにして、責任を転嫁する。
●体面や世間体のためには人並み以上に努力する。
●他人に善人だと思われることを強く望む。

『平気でうそをつく人たち』カバー

話が、わかりにくっ!

精神科の開業医である著者が、自身の経験の具体例を紹介しつつ、話は進みます。

「ああ、こういうのあるよね~」とか「いや、さすがにこれはないやろ」と突っ込みながら、読むのは楽しいのですが……うーん。

アメリカの開業医である著者の話ですから、キリスト教の考えが話の前提としてあるんですね。

絶対的な「真理」が存在していて、人々はそこから外れた行いを繰り返している。欺瞞のためにうそをつく邪悪な人々。

邪悪で悪魔に魅入られた人々を、科学的にアプローチできないのかと模索がなされているようです。しかし……

“悪魔”に付け込まれた人々の、“悔い改め”は宗教者の仕事では?という素朴な疑問。

医学的アプローチと、心理学の話、そして信仰の話がごちゃごちゃと入り混じっており、ヒジョーにややこしい!

人情?欺瞞?悪魔?

平気でうそをつく人たちは、ナルシズムを守るためにうそをつきます。そのためには、我が子を病院送りにしたり、不道徳な行いに手を染めるまで追い詰めます。

中には、読んでいるだけで胸糞悪い話もあるものの、概ね、誰もが出合ったことのあるような話でもあります。

むしろ、自らの欺瞞のために他者を悪者にする行為は誰もがやっていることかもしれません。少なくとも あさよるは自分のためにうそをつくことがあったと思います。

ただ、厄介なのは、この手の人々(あさよる含む)は、うそをついていることに、本人が気づいていない。むしろ、自分のことを、正しい行いをする品行方正な人物だと信じている。

あるいは、可哀想な境遇に置かれているのが自分であって、悪いのは他者や社会だと思っている。そして、助かる気がない。

……こんな話、誰だってあると思いませんか?多かれ少なかれ。

一体だれが悪いんだ!?

『平気でうそをつく人たち』は悩ましい書物です。

一見、善人に見える人物の“悪”を見ぬき、科学的に悔い改めさせようという試み。それは一見、正しい行いに思えます。

本書内では、著書は根気強く辛抱強くクライアントに向き合います。

しかし、また著書だって不完全な人間である以上、自分のためのうそをつくでしょう、真理の名のもとに。

じゃあ、一体誰が悪なんだ!?

…「全員悪だ」というのがオチなのかなぁと思いつつ、日本人でかつ関西人である あさよる的には「人情ですなぁ」と言いたいところですが、いかがでしょう。

でもなー、ほんとにこんな話を見聞きすることがあるし、どうにもならないことが歯がゆく思う。アメリカでは一応でも、家族が精神科にかかるんだから、すごいなぁ。

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『ユダヤ人大富豪の教え』|お金に囚われる不自由人をやめる!

こんにちは。「あ~お金が欲しい」と思う年末年始を過ごしたあさよるです……(-_-;)

この『ユダヤ人大富豪の教え』、他の書籍で紹介されていたり、タイトルは何度か見かけていました。

本やブログ等で、誰かが紹介していると「どんなだろう?」と気になっちゃいます。「気になる本」を少しずつ読んでゆこうと、『ユダヤ人大富豪の教え』を手に取りました。

20歳学生が、アメリカで出会った

アメリカ留学中の二十歳の青年は、一人の老人と出会います。

その老人はオーストリアで生まれ、ナチス台頭に伴いアメリカに移住したゲラー氏。不動産業で成功し、大富豪になった人物でした。

帰国後は事業を起こそうと考えている青年は、彼から成功の秘訣を教わりたいと申し出ます。

老人が青年に、時に丁寧に、時に実地でテストを行いながら、「成功」とはなにか。「失敗」とはなんだろうと語りかけます。

エッセイ?フィクション?不思議なお話

老人と青年のエピソードは、著者の本田健さんの経験が元になっているそうです。

しかし、書籍化にあたって、フィクションも混じっているようで、より面白くドラマチックに仕上がっています。

エッセイのようでエッセイでなく、フィクションのようでフィクションではなく、なんか不思議な構成ですね。

あさよるは本書を読書中、全くのフィクションとして楽しんでいたので、著者のあとがきを読んで驚きました。

「お金」から離れて「自由」を手に入れる

大富豪の老人に「成功」する方法を尋ねた青年。

成功とは、もちろん「富豪になること」、すなわち「お金」を集める方法を尋ねました。あさよるも、最初はお金を稼ぐ方法を老人が語るのかと待ちかまえました。

しかし、老人の話は少し違います。

成功している人とそうでない人。なにが違うのだろうか?学歴?家柄?才能や運?

人はそうやって、「成功するための条件」を自ら勝手に作り上げ、「ああ、自分は成功できないんだ」と諦めてゆきます。

だけど、本当に「成功する人」はそうじゃありません。彼らは、仕事が好きでたまらない人なんです。仕事が大好きでしょうがないから、もっといい仕事がしたいし、もっと人に喜んでもらいたい!ただそれを繰り返しているだけなんです。

仕事が大好きでたまらない人は、好きな仕事をしているだけで幸せです。ですから、失敗しても上手くいかなくても諦めることはありません。だって大好きだから。

そして、どれだけ失敗に失敗を重ねても諦めなければ、いつか「成功する」ときが来ます。その時までひたむきに仕事ができるのは、好きじゃなきゃやってられないんです。

豊かになるって、預金残高の桁数だけではありません。「自由に生きる」。これが大事。

不自由に生きていませんか?その不自由さは自分で生み出しているのかもしれません。

こんな出会い、ほしかった!

「成功の秘訣が知りたい」。あさよるも知りたいですwそして、その教えを乞える人物に出会うということも、なかなか起こらない経験です。うらやましい経験です。

そして、“大富豪”が語る成功の秘訣は、とっても素朴な「しあわせ」を教えてくれるものでした。ちょっと拍子抜けするくらい。そして、大富豪ほどお金に執着していないことも印象的でした。

あさよるは「お金」が欲しいです。突然何?と思われてしまうでしょうがw、本音です。そして、多くの人にとっての本音であると思います。

不自由な生活をしている人ほど、「お金」が欲しくてたまりません。だって、不自由を解消するためのお金ですし、不幸を紛らわすためのお金です。

「お金があればなんでもできる」と考えてしまうのも、お金のない人の発想なのかもしれません……(苦笑)。

大富豪ともなると、考えることも庶民とは違うんだなぁと思いつつ、「幸せに生きる」「自由に生きる」ってことに、もっと重きを置きたいなぁと思いました。

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