教育

『天才児のための論理思考入門』|子どもの「なぜ?」「どうして?」大人よ、どう答える

月に数度、図書館をウロつく あさよるです。

地元の図書館には幼いころから通っています。

子どもが言う、子どもの質問「どうしてお空は青いの?」「雷ってなに?」「どうしてお砂糖は甘いの?」などなど、まるで哲学なような質問がありますよね

あさよるの母はそれに全力で答える母でして、インターネットのない時代でしたから、毎日のように図書館へ通い詰めだったのです。

ですもんで、未だに「分からんことがあったら図書館へ行く」という習慣があります。

子どもの「なんで?」にどう答える?

子どもの「なぜ?」「どうして?」の質問の嵐は、大人の側からすると「なにをあたり前のことを」「言うまでもない」と思う質問が多数です。或いは、質問に答えることができず「……ぐぬぬ」と黙り込んでしまうこともあります。

あさよるも、幼稚園児から「なんで裸で外に出ちゃいけないの!裸の何が悪いの!」と言われ、言葉を失いました……(;’∀’)

しかし、ガチな質問に「さぁねぇ」「どうしてだろうねぇ」とはぐらかすのもどうかと思うし、かといって適当な返事をするのもおかしい……。ましてや「しょうもないこと聞くな!」とか「うるさい!」なんて返事してしまっては大変。

と言いつつ、日々忙しくしている親御さんが、お子さんの「なぜ?」「どうして?」にマジレスし続けるというのも、これまた非現実的な話です。悩ましい……。

今回読んだ『天才児のための論理思考入門』は、子どもの「なんで?」に全力で答えようとしている大人たちへ向けられた一冊です。

問いに答える大人へ向けて

そう、この『天才児のための論理思考学』は、子どもの「なぜ?」にどう答えるのか!?大人の、試される瞬間に役立つ一冊です。

ですので、“天才児のための”とタイトルにありますが、子供向けの内容ではありません。ご注意を。あくまで、大人が読んで、大人が理解するためのもの。

しかも、大切にされているのは「答え」ではなく、「筋道の立て方」「考え方」であるところもポイントです。まずは、それを理解せねばならんのは大人の側なんです(;’∀’) 自分の得意不得意もありますし、割と平易な文章で、好奇心をかき立てるような書かれ方がしているから、大人も読みやすいと思いました。

子どもの質問の答えに、パラドクスやパラレルワールドまで話が及べば、話している大人の方も楽しいですよね。

あくまで、学校の勉強の邪魔をしない

『天才児のための論理思考学』のいいところは、子どもに“話して聞かせる”ことが前提になっている点です。シチュエーションとしては、親がじぶんの子に言い聞かせる場合がほとんどだと思います。

この時困るのが、学校の教育との兼ね合い。

「どうして1+1=2なの?」という質問に、十進法以外にも表記法があることや、数字じゃなくて絵や記号でも構わないことも告げると、学校の学習の妨げになってしまいます。大混乱になっちゃいますね。

きちんと、学校で習う学習を邪魔しないように、だけど学校の勉強では触れられない「考え方」まで広がります。

もちろん、学習を進めるには、小学校中学校の学習は有益です。疎かにするのはお勧めできません。ただ、教科書の範囲外にまで飛び出して「なぜ?」「なに?」を知るのってとっても楽しい!オモシロイ!

素朴な「なぜ?」「なに?」を解決するためには、今以上にワクワクする学習が必要でしょう。疑問を突き詰めてゆく楽しさ、興味深さの一端に触れられます。

調べて答える大人、カッコいいよね!?

『天才児のための論理思考入門』を読んで、あさよるは思ったのでした。分からないことは、じっくり調べてから答える大人って、カッコイイ!

どんな事柄でも、書籍をあたり調べてみると、それなりの回答にたどり着きます。

きちんとステップを踏めば、求めている情報に到達する様子を、身をもって体現するのって大事なのかも。

あとね、どんどん問いへの「答え」を教えても、この世のすべての理を教えることは決してできません。

ある地点まで説明が進むと、「それは分からない」になってしまいます。だって、人類はまだ、ほとんど分からないことばかりです。

どこまで突き詰めても「分からない」ことにぶち当たるんですから、出し惜しみせず、なんでも年若い子どもたちのガチ質問にマジレスしても、全然大丈夫!

むしろ、余計に好奇心かき立てられるぅ~!

自分の「なぜ?」を、過去にマジで考えた人がいること。本を読めばそれに触れられること。しかも、世界中の天才が考えまくっても、まだ分からないことが山のようにあること。

その一端をちょっとだけ、子どもたちへ見せられるチャンス!それが「なぜ?」「なに?」の質問です。

これを機会に、大人も一緒に、ワクワクの世界へ飛び込みましょう^^

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『不勉強が身にしみる 学力・思考力・社会力とは何か』

こんにちは。「明日勉強しよう」と毎日思っている あさよるです。

英語と数学の復習をしようと思い続けて数年……(^^;)

さて、図書館にて『不勉強が身にしみる』という、タイトルだけでズキーンッッとする本を見つけてしまいました。確かこの本、以前にAmazonでも見かけたことがありました(その時も確かガーンとなった)。

もう、手に取るしかありません……。

「教える」立場になって“不勉強が身にしみる”

本書『不勉強が身にしみる』は2005年に出版された本です。今は2016年ですから、10年以上前のもの。当時話題だった「ゆとり教育」への苦言から始まります。ここだけ読んでいると、「ゆとり教育」を批判するだけの内容かとも思ってしまいます。しかし!

あさよる自身が、ゆとり世代ですから、子供の頃から大人たちに揶揄され続けてきました。「またこの話題かぁ」とページをめくっていると、途中から雲行きが変わりはじめ、中盤にはこの本が言わんとしていることが見えてきます。

それは、「不勉強が身にしみる」。これに尽きるのです。

どういうことかと言いますと、子どもたちの学力が下がっていると言うが、じゃあ大人は勉強をしているのか、と。「勉強しなさい!」と子どもに押し付けるばかりで、自分は勉強してるの?ってことですね。

教える立場になってはじめて、自分が不勉強であることに気づくことって、よくあります。あさよるだって、かけ算は出来ますが、「かけ算とは何か」と説明できるのだろうか…と不安です。

「勉強法」は教えてくれない

ちなみに『不勉強が身にしみる』は、サブタイトルに「学力・思考力・社会力とは何か」とあるように、「何か」を考える内容です。

ですから、勉強法をレクチャーするものではありません。というか、何かを「教える」ための本ではない、と言っていいかも。あくまで勉強、学びについて著者があーだこーだと考える内容です。

しかし「大人は勉強しているのか?」というドキッとする指摘は、身にしみます……。

「なんで勉強しないの!」「勉強しないと仕事もできないぞ!」子ども時代に言われた言葉、大人にだってそのまま言える言葉です。勉強しなくていいと思ってるの?

……( ゚∀゚)・∵. グハッ!!

勉強をしない大人たちへ

不勉強が身にしみる、勉強をしない大人たちへ。

なんとなく、倫理感や道徳観って、なんとなく自分に備わっている気がするけれども、勉強をしたことがない。

科学や数学が苦手な人に限って、それらを「想像力のない学問」と言う。本当は、ただの数字や記号の羅列だけで、頭のなかで広大な自然や摂理を想像する、想像力の塊のものなのに。

歴史の蘊蓄を話しかけてくる年寄りに限って、偏った歴史感を持っていたりする。自らの不勉強を棚に上げて、他人の不勉強を指摘してくる。見てるとモヤッとする。

不勉強な大人、たくさんいます。長生きしてる分モノを知っているのは当たり前で、若い人をバカにするのもなんか違う。

日本は豊かだ豊かだと言いながら、莫大な借金も増えてゆく。私たちの豊かさって借金の上に成り立ってる……?

なんとなく当たり前のように捉えている事柄、改めて「そういえば……」と考えるきかっけがそこかしこに散りばめられています。反対に言えば「言いっ放し」とも言うんでしょうけれどもねw 明快な答えが示されているのではなく、「自分で調べろ!」「考えろ!」ってことでしょうw

「なんで勉強しなきゃいけないの?」

「なんで勉強しなきゃいけないの?」は、子どもが大人へ問いかけるものだと思っていました。

だけど、大人だって「なんで勉強しなきゃいけないの?」と問い続けないといけないのです。この場合はもちろん、自分に。

どんどん常識も変わります。社会も変わります。テクノロジーも変わってゆきます。ボーッとしてると……(;´Д`)

本書では勉強をし続けることを継承し、一般教養として押さえておきたい知識には書籍も紹介されています。

あさよるは、かなりハッ!と身につまされる瞬間が何度もありました……不勉強が身にしみる……orz

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『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』|幼いころ失った「愛着」が今も

「愛着障害」……そんな言葉をこの書籍で知りました。

ネットの口コミで見たこともありましたし、図書館でもチラチラッと目に入り以前から気になっておりました。

なんとなく感じる違和感、「愛着障害」かも?

愛着障害とは、幼いころの経験が関係しています。

幼児期、愛着を抱いていた対象を失ったり、引き裂かれる経験が、愛着障害を生むのです。

幼児期に強い愛着を持つ相手の代表は、自分の父母。特に、母親への愛着は格別です。

例えば、幼いころに母を亡くしたり、なんらかの理由で祖父母に育てられた経験。両親の離婚、病気や経済的理由で親子が引き裂かれることもあります。

もちろん、虐待やネグレクトを受けて育つ人もいます。

幼い頃、なんらかの理由で「愛着」を失った経験は、大人になっても影を落とすといいます。

その結果、他者との距離を必要以上に取る人や、反対に人との距離が近く依存傾向にある人。他人を信じられず、疑ってばかりだったり、自分がここにいることを確認するように窃盗など犯罪行為に手を伸ばす人もいます。

自分はどう?あの人は?

「愛着障害」によって引き起こされる症状を並べてみると、自分自身に当てはまる特徴があるようにも思います。あるいは、身近な友人知人の特徴に重なる部分もあります。

中高生になってから、学習に力が入らず成績がガクンと下がってしまう人。パートナーを信じられず、態度や言葉を重ねても満たされず愛情を感じられない。あるいは、他人に依存してしまったり、浮気を繰り返してしまったり。

本書『愛着障害』では、傾向や症状の具体例がたくさん紹介されています。心当たりがある人もたくさんいらっしゃるでしょう。

「愛着障害」詳しく知りたいなら……

本書『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』では、「愛着障害」にまつわる周辺の話が中心です。

医学的根拠や、具体的な事例、治療例などは端折られています。ですから、もっと踏み込んだ内容を知りたい方は、他の本にあたりましょう。

本書はあくまで、「愛着障害」という症状があること、それは世代を超えて起こること、「愛着障害」を負っている人は身近にいるであろうこと(もしかしたら自分がそうかも)が提示されています。

これまであまり知られていない事柄ですから、「愛着障害という考え方がある」ということを知るためのものです。この本を読むことで、自分の抱えている問題や、生き難さの理由の一端を感じられるかもしれません。

(これはご自身の経験によるでしょうから、「読んでみてください」としか言えない(^_^;))

身近な人の「異変」に気づいたなら

自分の経験だけではなく、身近な人の異変や、違和感の理解にも繋がるかもしれません。

コミュニケーションがうまく取れず孤立している人や、疑い深く心をひらいてくれない人。他者に依存してしまいトラブルになる人や、身近にも「愛着障害」を抱えているのではないか?と思う相手がいます。

もちろん、「愛着障害」を抱えている人の中には、自分の過去の辛い経験をカミングアウトする人もいますが、中には過去を直視することを避けヘラヘラと冗談を飛ばしたり、あるいは薄情に見えるような人もいます。

パッと見て「愛着障害」には見えなくても、実は問題を抱えている人のコト、ちょっとだけ知れるような気がします。

『愛着障害』を最初の第一歩に

本書『愛着障害』は、愛着障害を知るための、最初の一歩になる本です。

解決法や治療法、具体的な事例などは、端折られている印象です。自分が「愛着障害」に当てはまっていると感じたなら、症状によっては専門医の門を叩くことも必要でしょう。また、軽い症状であっても、改善策を知りたいなら、他の本を探さないといけません。

ですから、本書『愛着障害』は、最初の一冊目なのです。

まずは、本書を読んで、自分の幼少期の経験や、現在抱えている問題などと照らし合わせてみましょう。

そして、「愛着障害」を持っていても、その特性を利用して成功した偉人たちも紹介されています。彼らの生涯に触れることも、大きな励みになります。

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【レビュー】親ガチャ?教育格差?「誰が国語力を殺すのか」

少し前に「ごんぎつね」を誤読する子どもたちの話題がバズったのを覚えているでしょうか。

主人公の兵十のお母さんが死んで、村の人たちが葬式のための食事を準備している場面があります。

そこで、「村の人たちは何をしているのか」と問うと、子どもたちは「お母さんの死体を煮て消毒している」「死体を煮て消毒をしている」などの答えが飛び出します。

それに対し、子どもたちの国語力の低下を嘆く声や、今の子どもたちは昔の村の葬式を知らないのだから当たり前じゃないか、と言った反応があったように思います。

この話題は石井光太さんの書籍『ルポ 誰が国語力を殺すのか』に登場します。

今回、元ネタのこの本を読みました。

国語力の低い子どもを放っておいていいの?

文章を正しく読解できない子どもたちを、放っておいてはいけないと言います。

なぜか。

それは、その子どもたちの中には、虐待されている子、発達障害のある子、依存症に陥っている子、ヤングケアラーや、不登校の子、外国にルーツのある子など、サポートが必要な子どもたちが多く含まれているからです。

また、国語力が低いがゆえに加害者になってしまったり、被害者になってしまうこともあるようです。

「想像力豊かでいいよね」とほんわか考えてはいられないようです。

「国語力」とは生きる力そのもの

本書で使われる「国語力」という言葉は、かなり広い意味で捉えられています。

単に学校のテストで測れる点数のみを指していません。

自分の置かれている状況を認識する。

自分の気持ちを言葉で丁寧に伝える。

相手の気持ちを慮る。

円滑なコミュニケーションをとる。

社会の中で生きていくために必要な力全般を「国語力」と定義しているようです。

そして、その「国語力」が低いと、社会の中で行き詰ってしまうのは言うまでもありません。

「国語力」を伸ばす教育とは

本書では国語力が低いがゆえに問題を抱えている子どもたちの実例が数々紹介されています。

反対に、小中学校で国語力を伸ばす教育に力を入れている学校の例も登場します。

開放的な校舎に図書館が充実し、子どもたちの身近に本がある。

先生たちにも余裕があり、授業のための教材づくり、課題づくりにもたくさん時間を使える。

国語の授業も、他の科目にまで巻き込んで展開することもある。

私学で、高校や大学までエスカレーターで進学できる場合は、受験特化の対策ではなく、本当に身に着けるべき勉強に時間を費やすこともできる。

わたしは小中高と公立校しかしらないので、こんな世界があるのかと驚いた。

「格差」が叫ばれているが、確かに教育の場でも大きな格差があるようだ。

これを「親ガチャ」と呼ぶのだろうか。

子どもたちのために何ができるのだろうか。

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ルポ 誰が国語力を殺すのか

  • 石井光太
  • 文藝春秋
  • 2022/7/27

目次情報

  • 序章 『ごんぎつね』を読めない小学生たち
  • 第一章 誰が殺されているのか――格差と国語力
  • 第二章 学校が殺したのか――教育崩壊
  • 第三章 ネットが悪いのか――SNS言語の侵略
  • 第四章 十九万人の不登校児を救え――フリースクールでの再生
  • 第五章 ゲーム世界から子供を奪取する――ネット依存からの脱却
  • 第六章 非行少年の心に色彩を与える――少年院の言語回復プログラム
  • 第七章 小学校はいかに子供を救うのか――国語力育成の最前線1
  • 第八章 中学校はいかに子供を救うのか――国語力育成の最前線2
  • 終章 コロナ後の格差と感情労働

『一流の育て方―――ビジネスでも勉強でもズバ抜けて活躍できる子を育てる』

いずれ巣立ってゆく子へ、親ができることは少しだけ

せめて将来の仕事へ繋がる学習習慣と、自信と思いやりを

間違えて手にとったw

『一流の育て方』とタイトルだけ見て、一流になるための方法とか、一流の人がやっていることが書かれた本なのかなぁ~と勘違いして手に取りました(笑)。

読んで見ると、子どもを一流に育てるための子育て本でしたw あさよるは子育てしたことがないので、こんな機会でしか子育て本を読むこともないだろうなぁと、最後まで読み進めることにしました。

結果、これまで読んだことがない内容ですので、気付きや発見の多い読書になりました。そっか、親の仕事って、究極を言っちゃうと、教育を受けさせる以外にないのかもなぁ。あとは本人の自由だもんなぁと、改めて。

「我が子」という客観視できない人だから

『一流の育て方』は、ミセス・パンプキンさんによる子育て論です。

パンプキンさんには上の2人の女の子と、その下に2人の男の子を持つ4人のお母さんです。4人は4人とも、同じ親から生まれ同じように育てたのに、それぞれ個性的に巣立ってゆきました。

タイトル『一流の育て方』にある「一流」とは、有名大学へ入学した学生たちのことを本書では「一流」と呼んでいます。一流大学の学生のアンケート結果をもとに、パンプキンさんによる一流を育てる子育て55か条!

(ちなみに、本書でアンケート結果として取りあげられていたのは以下の学生たち。青山学院大学、大阪大学、京都大学、慶応義塾大学、サスカチュワン大学、中央大学、東京医科歯科大学、東京外国語大学、東京工業大学、東京大学、東京理科大学、東北大学、名古屋大学、一橋大学、立命館大学、早稲田大学。誰もが知っている大学がズラリですね)

一流の育て方55か条!(の一部)

一流の育て方55か条は、過保護も育児放棄もダメ!とか、本を読ませようとか、ありきたりと言えばそうですが、なかなか子どもが親の言うことを聞かない事柄を、どうやって導いてゆくか、が中心です。『一流の育て方』の最初のページはこんな列挙から始まります。

・子どもは親のどんな教育方針に感謝している?
・なぜ「頭がよくても成功しない」子どもが多いのか?
・なぜあの人は「自分で物事を決められる」のか?
・「主体性の有無」は、出身大学と無関係
・重要な決定ほど、子どもにさせる
・過保護と育児放棄のバランスが大切
・他人に迷惑をかけない人ではなく、「役立つ人」を目指させる
・ときには自分以外の全員が「間違っている」と教えよ
・子どもを「天職」につけるにいはどうしたらいいのか?
・視野を広げず「自主放任」してもダメ
・親のアドバイスは成人してから効いてくる
・「半径100メートル」で育てない――広い世界観をもたせるには
・自分の意志で挑戦させ、簡単にはやめさせない
・子どもの「強い意志」がないところに、湯水のような教育費は無駄
・相手を理解し、心を通わせる能力を育む
・親の価値観の押し付けが、子どものコミュニケーション能力を低下させる
・怒るのではなく、気づかせよ
・たいていの子どもは放任しても強制しても、勉強しない
・教育とは、「勉強の楽しさ」「何が好きで、何が得意か」に気づかせること
・なぜ子どもに「勉強しなさい」と言ってはいけないのか?
・「何が好きで、何が得意か」に気づかせることが最大の教育
・他人の子は「しつけ」ができていて初めてかわいい
・なぜ「バーベキューパーティ」の振る舞いで将来を予測できるのか?
・子どもは「優しさだけ」を求めていない
・子どもに「お金の話」はすべきか?
・感謝力を磨け――「小さなありがとう」を忘れない
・子どもは親の言うことを聞かないが、行動の真似はする

ムーギー・キム/ミセス・パンプキン『一流の育て方』p.1.2

あさよるは子育ての経験はありませんから、「子育てあるある」は共感することが出来ません。しかしながら、あさよるも超反抗児だったので、この列挙を見て我が事を言われているような気分になります(苦笑)。

さて、55か条もの子育て論すべてを紹介するわけにもいかないので、かいつまんで。本書『一流の育て方』が面白かったのは、ミセス・パンプキンの子育て経験が元になっているのですが、その経験は必ずしも成功談ではないことです。

パンプキンさん夫妻は、お子さんにピアノを強制的に習わせていました。もちろんお子さんの将来を思っての行動ですが、息子さんはピアノは嫌だったようです。そこで、パンプキンさんは「法律でピアノを習わないといけないと決まっている」と嘘をついて息子さんをピアノ教室へ通わせていたそう。

すると、息子さんが小学生になったある日、パンプキンさんにこう報告したそうです。「ピアノって、別に習わなくてもいいのやって!」。母親を責めるのではなく、間違っていたお母さんに“教えて”くれたんですね。

……こんなエピソード、どこのお家にも一つや二つあるんじゃないかと思いますし、笑い話になっているお家もあるでしょう。しかし……小さな不信感が募り募って、大きな埋まらない溝になってしまうこともあるでしょう。

たまたま、パンプキンさんご家族は、溝が深まる原因にはならなかったようで、笑える話になっているようですが、一歩違うとヒヤッとする話です。

「大人ではない人」という存在

子育ての難しさは、相手は子どもとはいえ、一人の人格ある人間ですが、彼らは「大人ではない」という曖昧さなのかもしれません。

大人をマネージメントするように子どもにも接するべきですが、彼らは未熟で、目的を明確に持てなかったり、放っておくとあらぬ決断をすることもあります。多干渉は以ての外ですが、放任主義も考えモノ。世間には様々な誘惑が溢れていますから、小マメな微調整は大人が加えないといけません。

その、一人の人間として扱いつつ、適度に親の監視下に置く、という微妙な立ち位置が難しいのかもしれません。また、子どもも日々成長してゆきますから、親もそれに合わせて対応を毎日変え続けないといけないことも、難しさなのだろうなぁと思いました。

正解がない、なんでも裏と表

子育てって難しいんだなぁと思います。「正解がないから」とありきたりなことを嘯いてみますが、正にそう。

学生たちのアンケートは、「もっと叱って欲しかった」と「叱らないで欲しかった」という真反対な回答が並びます。「放任主義で好きなことをさせてくれた」という答えがある一方で、「もっとサポートして欲しかった」という答えもあります。

親が子に常識や道徳を教える必要があります。一方でそれは、親の思想や偏見を子に刷り込んでゆくことと同義でしょう。

パンプキンさんも、子どもたちに弱い人の側に立つ人になるよう身を持って教えていたようですが、それも視点が変われば評価は変わるでしょう。

大人になれば、何が必要なのか見えるようになります。英会話は出来たほうが良いでしょう。音楽に親む人生は豊かになるでしょう。中学受験のために、遊ぶのを我慢し今だけ集中すれば、未来は楽になるのではないか。長く生きているからこそ、大人は子どもに無理やりにでもさせたいことがあるんです。

……はい、自分が大人になれば分かるってヤツですね。

「親」という立場になったことのない人の感想

と、あさよるは子育てをしたことがないので、親目線の話しは想像でしかわかりません。強いて言えば、自分もかつて子どもだったことと、大人として、子どもにどう接したいかというところですね。

本書『一流の育て方』は子どもに「無償の愛を注ぐ」という話で締められます。そりゃそうなのかもしれませんが、なんだか釈然としない気持ちになったのは、これは「親の心子知らず」というヤツなのでしょうか……。

本書での「一流」は、有名大学へ入学することです。その後の身の振り方が大切だと思う方もいるでしょうが、親の仕事として、大学まで入学させたら、あとは本人の勝手なのかなぁと思いました。

ということは、有名大学へ入学させることが、「一流」を育てる親の仕事ということです。親が病気や怪我で働けなくなったり、ましてや死別したり、「無償の愛」を注げなくなってしまう場合が想定されていないので、心もとなく感じました。

子育てに時間も、お金も使える、レアな人へ

夫婦とも健康で、定職に就いていて、かつ子育てに時間を割ける余裕があり、「一流」の大学へ入学するための勉強を見てやる余裕があったり、習い事に通わせたり、読みたいだけの書籍を購入したり、時間的、金銭的余裕のある夫婦にであること。それが前提に設定されているように思えます。

で、それって、現在の「子育て」のモデルになりえるのって、かなりレアケースじゃないのかなぁ?と不思議に感じました。

「子」という独立した人間を、サポートするために

子育てって、すべての人が当事者です。誰もがかつて子どもだったのだから。だからこそ、色んな人が色んな事を言うのが「子育て」です。

自分の経験談や成功例を語る人、こうして欲しかったと願望を語る人。手に入らなかった夢を子どもに見る人もいるでしょう。

「子育て」に正解と言えるものって、あるわけがありません。誰も未来はわからないのだから、有名大学へ入学したって、一流企業に就職したって、立派な肩書を手に入れたって、万々歳とは言い切れないのは難しい所。

だけど、どう生きるのかは、結局のところ本人次第。親や兄弟でさえ関与できません。そして、「子育て」と称して、親が子にできることって、勉強のサポートをし、興味や知識の幅を増やしてやったり、学費を工面するくらいしかないのかもしれません。

有名大学へ入学したからって、その先どうなるかは、もう子どもの勝手でしょう。社会人になり、成人しているのですから。だから、親のする子育って、有名大学にでも入学させてやれれば、上出来なんでしょうね。

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