哲学入門

阿刀田高『コーランを知っていますか』|阿刀田先生とコーランの世界をのぞき見

こんにちは。コーランを知らない あさよるです。

以前、アラビア語の勉強をしようと教科書を用意し、その時にイスラムの文化にも初めて触れました(結局、アラビア語のアルファベットも読めないままなのですが…)。興味はあるものの、長く放置したままですね…(;’∀’)

本書、阿刀田高さんは『コーランを知っていますか』以外にも、同じようなシリーズを執筆なさっています。

などなど。どれもレビューを見ると好評っぽくて読んでみたいのですが、どうやら本書『コーランを知っていますか』に限っては、モヤモヤした感じの読了感。

なぜモヤッとしてしまうかというと、それはコーランの持っている性質に由来しているもののようですね。

阿刀田さんもコーランに戸惑い!?

著者の阿刀田高さんの講演を聞いたことがあります。古事記をテーマにしたシンポジウムで、作家さんだからこその内容でした。学術的な事実を述べるのではなく、古事記の欠けている物語を推理し、捕捉し、お話が展開されてゆくのが面白かったです。

先にも紹介したように、阿刀田高さんは「~を知っていますか」ってシリーズを刊行なさっていて、どれも口コミは悪くないのですが……『コーランを知っていますか』では、阿刀田高さんの戸惑いから話が始まります。

というのも、我々からすれば唐突に話が始まり、その後の内容にどう関係があるのかもわからないまま話が進んでしまうという……。

イスラム教の立ち位置も、ちょっと不思議。

例えば、イスラム教徒は多神教の信者とは結婚できません。日本人とは結婚できないってことですね。

だけど、同じ一神教のキリスト教やユダヤ教徒との婚姻は、教義的にOKなんだそうです。「一つの同じ神様を信じている」って解釈なんです。

キリスト教、ユダヤ教、イスラム教は三兄弟の宗教だと言われるのも少し納得しました。

コーランやイスラム教を知れるわけではない

『コーランを知っていますか』を読んでも、コーランの内容を知れるわけでも、イスラム教の全貌がつかめるものでもありません。悪しからず。

深く知れる内容ではありませんが、何の接点もない異宗教が、なんだか親しみやすい感じは受けました。それは阿刀田高さんというフィルターを通しているからこその感想でしょう。

コーランって、アラビア語でなけれなばらないと世界史の時間で習いました。神がアラビア語で話したんだから、そのまま書き記された書物でなければならないのです。

そもそも、日本語翻訳されたコーランはコーランではありませんし、日本語訳コーランを読んでさらに阿刀田高さんのフィルターで解釈されたものですがら、全く別物だと考えてもいいかもしれません。

その前提込み込みで『コーランを知っていますか』を読むと、エッセイとしてとても楽しい作品です。

一緒に「ナゾ」の異文化をのぞき見

『コーランを知っていますか』は、阿刀田高さんをガイドに異文化をちょこっとのぞき見するようで楽しく、ワクワクしました。

あさよるの周囲では、熱心な仏教徒やキリスト教徒の人はいますが、イスラム教徒の人はいません。この辺は、お住まいの地域や、職業等のコミュニティによって違うのでしょうが、あさよるには知らない世界でした。

コーランの内容は、生活の細々した取り決めにまで及んでいます。

聖典が社会の規範になっていることがよくわかりました。

社会が違えば常識が違う

あさよるは、イスラム教と縁がなかったと書きましたが、世界規模で見れば関係がないわけはありません。

なんてたって世界三大宗教の一つですし、この語学が苦手なあさよるでさえ「アラビア語の勉強しよっかな……」と思う程度に、イスラム世界が世界に影響をもたらしていることも感じています。

最終章は、阿刀田高さんがが実際にサウジアラビアを訪れた経験が著されています。

そこで出会った人々は、有能な人物少なからずいるのですが、日本人とは行動規範が“違う”人たちです。日本人から見ると不思議に見えます。同じように、向こうから見れば、こっちが不思議なのでしょう。

“違う”文化を認めるというのは、言うのは簡単ですが、実際にどんな状態が異文化を認め合った世界なのだろうなぁと想像してみます。

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ジブリ映画公開!原作もマンガで読もう!『漫画 君たちはどう生きるか』

こんにちは。あさよるです。やっと話題すぎる『漫画 君たちはどう生きるか』を読みました。書店で平積みされ続けていますが、手にも取ってなかたので、実はこの本がマンガであることも今回読み始めるまで知りませんでした(;’∀’)(;’∀’)

とんでもないベストセラーになってるそうで、とりあえず読んでおくべきではないかと思います。「なんでこの本が売れているのか」を知るためにもね。

ちょっと前に「『蟹工船』が若い人に売れている」と話題になりましたが、そんな感じなんでしょうか。読んでみて余計に「なんでこの本が売れてるんだろう」と謎が深まりました。

大ベストセラー!読んどいてもいいんじゃない?

本書『漫画 君たちはどう生きるか』はずっと書店でも平積みされていますね。2018年上半期一番売れた本だそう。200万部突破ってすごいなぁ~。

宮崎駿監督によるスタジオジブリの次回作が「君たちはどう生きるか」というタイトルであることが発表されて話題になってるんだと思っていましたが、この編集会議の記事を読むと、それとは別のプロジェクトだったって話なんですね。

200万部って信じられないようなベストセラーになってるんですから、一度は読んでおいてもソンはないでしょう。マンガとしても、羽賀翔一さんの絵柄は好きだし、読みやすかったです。

だいたいこんな内容

主人公は中学生は〈コペル君〉。コペルニクスにちなんで、おじさんが彼をニックネームでそう呼びます。編集者だったおじさんは、勤め先が倒産したことをきっかけにコペル君の家の近くに引っ越してきました。数年前に亡くなったコペル君のお父さんが「立派な人間になってほしい」と願っていた意志を、おじさんが引き継いでくれています。

圧力、勇気、卑怯、貧しさ、生産

コペル君は学校やクラスメイトの友人たちを通して、様々な出来事に出会います。

豆腐屋の浦川君がいじめのターゲットにされたときは、コペル君も教室内にうごめく目に見えない圧力に呑まれ、それを跳ね返すことができませんでした。しかし、いじめっ子に立ち向かうガッチンと、自分をいじめた奴が殴られるのを「もう許してやってくれ」と言う浦川君の気丈な姿を見て、コペル君も自分が正しい行いをしようと心に決めました。

また、貧しさにも出会います。学校を休んでいる浦川君の様子を見に行くと、彼は家業の豆腐屋の手伝いと兄弟の子守に追われていました。浦川君はまだ中学生なのに働いて、物を作りそれを売り、生産をしています。コペル君は働く浦川君を見て、自分も誰かが作ったものを食べ、着て、人と人が網の目のように繋がることで生きているのだと気づきます。

更におじさんは、コペル君が貧しい人を見下さないことを褒めます。貧しくても正しく振舞う人もおれば、お金持ちでも尊敬できない人もいるのです。そして中学生のコペル君はまだ働いていませんが、それでもコペル君は何かを生み出しているんだと問いかけます。彼は何を生み出しているのでしょうか。

そしてある日、コペル君は大きな苦しみを経験します。友人であるガッチンが上級生から目をつけられ、「絶対にガッチン守る」と約束をしていました。しかし、本当に上級生に襲撃されたとき、コペル君は卑怯にも逃げ出してしまったのです。それを悔やみ、何日も寝込んで学校を休んでしまい、苦しみから「死んでしまったほうがマシだ」とさえ思いました。おじさんにすがりますが、おじさんからは「自分がしなければならないことにまっすぐ向かっていく」ように諭されます。そして「君は今正しい道へ進もうとしている」とも励まされました。

おじさんのノート

おじさんはコペル君との交流から、コペル君に伝えたいことをノートにしたためてくれていました。そして、コペル君が友人を裏切ったことで苦しんでいるとき、そのノートを手渡してくれたのです。

そのノートは、コペル君が大人として歩み始めた記録でもあります。自分が世界の中心だった子ども時代から、自分も社会の中のちっぽけな要素でしかないことに気づいた「コペルニクス的転回」をしたその日からの記録だからです。

おじさんはコペル君を見守りながら激励します。そして問うのです。「君たちはどう生きるか」と。

本書『漫画 君たちはどう生きるか』はマンガなのですが、おじさんのノートと、コペル君が書いた手紙だけ活字で構成されています。

時代背景を知った方がわかりやすいかも

原作の『君たちはどう生きるか』が発行されたのは1937年で、戦前に書かれた本です。コペル君のお父さんは銀行の重役で(物語の数年前に死去)、コペル君も勉強もできます。旧制中学は尋常小学校を卒業した男子が入学するところですから、コペル君へのメッセージは「旧制中学に通う男子」と限られた人へ向けられています。

本書の中でも、おじさんのノートには「小学校にしか行けなかった人」の話が登場します。コペル君のクラスメイトの浦川君の家は貧しいと言っても、息子を中学にやれるくらいの店を持っているのです。

中学へ行かなかった人は、当たり前ですがコペル君が学校で習ったことを知りません。全ての物質が分子でできていると知らなければ、コペル君のように世界がガラッと変わって見える体験をしないかもしれません。銀座のビルの上から街を見下ろして「人間はちっぽけだ」と気づいたのは、彼がビルのある街に住んでいたからかもしれません。

あくまでコペル君は限定された境遇にいます。だから、コペル君は社会的な責任を負っているのだろうし、お父さんもおじさんもコペル君に「立派な人間になってほしい」と願っています。

現在の日本では格差が広がっているといいます。それはつまり、コペル君になれる人となれない人が、生まれながらの境遇や生まれた時代によって分けられ始めているということです。本書がベストセラーになるのは結構だけれども、多くの人がコペル君にはなれない時代が来てしまうというのはなんとも。

浦川君のうちの若い衆

あさよるの感想としては「こんだけ売れてるなら一度は読んどけば?」というのは本当ですが、同時に「へー、これが売れてるの」って感じもある。共感要素もないし、なにをどう解釈すればいいのかもわからず、とてもムズムズする。

先に触れたように、あくまで特別な立場にある「コペル君たち」への「どう生きるか」という問いだろうから、少なくとも あさよるには当てはまりません。あさよるはエリートじゃないし、女だし。たぶん、売れに売れているマンガ版の読者の多くもそうでしょう。

だからなんか読んでいて居心地が悪いというか、自分をどこに当てはめていいのかわからないんですよね……しいて言えば、おじさんのノートに書かれていた、「浦川君のうちの店に勤める若い人」が、多くの人(とくに若い世代)にあてはまる立場じゃないかと思います。

 現に浦川君のうちに若い衆となって勤めている人々を考えてみたまえ。あの人々は、何年か後に、せめて浦川君のうちぐらいな店がもてたらと、それを希望に働いているのだ。
浦川君のうちでは、貧しと言っても、息子を中学校にあげている。しかし、若い衆たちは、小学校だけで学校をやめなければならなかった。
また、浦川君の一家は、まだしも、お豆腐を作る機械を据えつけ、原料の大豆を買いこみ、若い衆を雇い、一種の家内工場営んで暮らしを立てているけれど、若い衆たちは、自分の労力のほかに、なに一つ生計をたててゆくもとでをもっていない。一日中からだを働かせて、それで命をつないでいるのだ。
こういう人々が、万一、不治の病気にかかったり、再び働けないほどの大怪我をしたら、いったい、どうなることだろう。労力一つをたよりに生きている人たちにとっては、働けなくなるということは、餓死に迫られることではないか。

p.269-270

戦後、教育は行き届いて、義務教育のみならず、多くは高等学校を卒業します。高校卒業後さらに進学をする人も少なくありません。ただ、学校に通う期間は長くなったけれども、働き方としては、おじさんのいう「浦川君のうちの若い衆」に近い状況の人が多いんじゃないでしょうか。となると、おじさんの話のように、病気や怪我で勤め続けられなくなると「餓死」というのは困ります。

エリートでもない我々は「コペル君にはしっかりしてもらわないと」と思うしかないんでしょうか。

あと、これを引用しながら〈浦川君のうちの若い衆〉は「将来自分も工場を持てたら……」と多少の希望を持ってるんだなぁ~と。すごい時代にわたしたちは生きているのかもしれません。

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『天才児のための論理思考入門』|子どもの「なぜ?」「どうして?」大人よ、どう答える

月に数度、図書館をウロつく あさよるです。

地元の図書館には幼いころから通っています。

子どもが言う、子どもの質問「どうしてお空は青いの?」「雷ってなに?」「どうしてお砂糖は甘いの?」などなど、まるで哲学なような質問がありますよね

あさよるの母はそれに全力で答える母でして、インターネットのない時代でしたから、毎日のように図書館へ通い詰めだったのです。

ですもんで、未だに「分からんことがあったら図書館へ行く」という習慣があります。

子どもの「なんで?」にどう答える?

子どもの「なぜ?」「どうして?」の質問の嵐は、大人の側からすると「なにをあたり前のことを」「言うまでもない」と思う質問が多数です。或いは、質問に答えることができず「……ぐぬぬ」と黙り込んでしまうこともあります。

あさよるも、幼稚園児から「なんで裸で外に出ちゃいけないの!裸の何が悪いの!」と言われ、言葉を失いました……(;’∀’)

しかし、ガチな質問に「さぁねぇ」「どうしてだろうねぇ」とはぐらかすのもどうかと思うし、かといって適当な返事をするのもおかしい……。ましてや「しょうもないこと聞くな!」とか「うるさい!」なんて返事してしまっては大変。

と言いつつ、日々忙しくしている親御さんが、お子さんの「なぜ?」「どうして?」にマジレスし続けるというのも、これまた非現実的な話です。悩ましい……。

今回読んだ『天才児のための論理思考入門』は、子どもの「なんで?」に全力で答えようとしている大人たちへ向けられた一冊です。

問いに答える大人へ向けて

そう、この『天才児のための論理思考学』は、子どもの「なぜ?」にどう答えるのか!?大人の、試される瞬間に役立つ一冊です。

ですので、“天才児のための”とタイトルにありますが、子供向けの内容ではありません。ご注意を。あくまで、大人が読んで、大人が理解するためのもの。

しかも、大切にされているのは「答え」ではなく、「筋道の立て方」「考え方」であるところもポイントです。まずは、それを理解せねばならんのは大人の側なんです(;’∀’) 自分の得意不得意もありますし、割と平易な文章で、好奇心をかき立てるような書かれ方がしているから、大人も読みやすいと思いました。

子どもの質問の答えに、パラドクスやパラレルワールドまで話が及べば、話している大人の方も楽しいですよね。

あくまで、学校の勉強の邪魔をしない

『天才児のための論理思考学』のいいところは、子どもに“話して聞かせる”ことが前提になっている点です。シチュエーションとしては、親がじぶんの子に言い聞かせる場合がほとんどだと思います。

この時困るのが、学校の教育との兼ね合い。

「どうして1+1=2なの?」という質問に、十進法以外にも表記法があることや、数字じゃなくて絵や記号でも構わないことも告げると、学校の学習の妨げになってしまいます。大混乱になっちゃいますね。

きちんと、学校で習う学習を邪魔しないように、だけど学校の勉強では触れられない「考え方」まで広がります。

もちろん、学習を進めるには、小学校中学校の学習は有益です。疎かにするのはお勧めできません。ただ、教科書の範囲外にまで飛び出して「なぜ?」「なに?」を知るのってとっても楽しい!オモシロイ!

素朴な「なぜ?」「なに?」を解決するためには、今以上にワクワクする学習が必要でしょう。疑問を突き詰めてゆく楽しさ、興味深さの一端に触れられます。

調べて答える大人、カッコいいよね!?

『天才児のための論理思考入門』を読んで、あさよるは思ったのでした。分からないことは、じっくり調べてから答える大人って、カッコイイ!

どんな事柄でも、書籍をあたり調べてみると、それなりの回答にたどり着きます。

きちんとステップを踏めば、求めている情報に到達する様子を、身をもって体現するのって大事なのかも。

あとね、どんどん問いへの「答え」を教えても、この世のすべての理を教えることは決してできません。

ある地点まで説明が進むと、「それは分からない」になってしまいます。だって、人類はまだ、ほとんど分からないことばかりです。

どこまで突き詰めても「分からない」ことにぶち当たるんですから、出し惜しみせず、なんでも年若い子どもたちのガチ質問にマジレスしても、全然大丈夫!

むしろ、余計に好奇心かき立てられるぅ~!

自分の「なぜ?」を、過去にマジで考えた人がいること。本を読めばそれに触れられること。しかも、世界中の天才が考えまくっても、まだ分からないことが山のようにあること。

その一端をちょっとだけ、子どもたちへ見せられるチャンス!それが「なぜ?」「なに?」の質問です。

これを機会に、大人も一緒に、ワクワクの世界へ飛び込みましょう^^

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『本音で生きる 一秒も後悔しない強い生き方』|時間がない、お金がない、のホンネ

『本音で生きる』は、堀江貴文さんが日頃相談されるコトについて書かれています。

それは「やりたいことがあるのにできない」というもの。

その理由は「時間がないから」「お金がないから」「家族がいるから」「上司に理解がないから」「職場で浮いてしまうから」等々、多種多様です。

本音では「やりたい」と思っているのに、理由があってできない。堀江さんのように、自分の思うがままに振る舞いたいと、相談が寄せられるんですね。

堀江さんの答えは明快。

「やる」。

これだけ。

“やらない言い訳”を封じられてしまう…(^_^;)

堀江さんの言葉は真っすぐです。正論で返されるとも言う…。

例えば「お金がないからできない」という相談には、「ないのはお金ではなく信用である」と返します。信用がないからお金を集められないんです。……ごもっとも。

「時間がないからできない」にももちろん、正論で返されてしまう。というか、そもそも何も出来ないくらい時間がないってコト……ありませんよね(^_^;)

また非効率な時間の使い方も「できない」を生み出します。

やりたいことはチャッチャとやる。やりたいことなら回り道も苦じゃないし、もっともっと取り組みたいんだから、自ずと効率化されていくんだろうと想像します。

「効率化されない」こと自体が、取り組み方の現れなのかも……orz

「やらない言い訳」にも、真面目に答えてくれる

堀江さんの主張って、至って真っ当で当然のことなんです。

だけど、だからこそ「できない」って言えなくなってゆくΣ(・∀・;)

ああ、これは「やらない言い訳」だったんだ……とガーンときましたorz

「本音を言うと…」という建前、やめる

堀江さんは「本音で生きたい」と相談する人たちの気持ちが、正直分からないと告白されています。堀江さんご自身は、本音で生きている人だからですね^^

あさよるは、「本音で生きたい」と言うとき、実は「本音は違うという“建前”」を持っているのかもしれないなぁと思いました。

「本当は◯◯したい」「心では△△しようと思っている」「このままじゃダメだと思っている」などなどの言葉って、本音は別にあるのかもしれない……。

それは「私は悪くない」とか「頑張れないのはアイツのせい」とか、なんかそういう、責任を別に持っていきたい「ホンネ」があるのかも……と思い至ってしまいました。

「本音で生きる」とは、責任逃れしている自分を認めることから始まるのかもしれない。そして、堀江さんはその先にある、自分に責任を持つ生き方の指針を示しているんだと気づきました。

「このままがいい」もホンネである

「本音で生きたい」と、行動するのも、なにもしないのも、どっちを選ぶのかは、自分で決めることです。

本書『本音で生きる』では、行動するための考え方や、環境の準備の仕方など、今すぐ行動開始できるシンプルなアドバイス集です。

今まさに、動き出そうとしている人にとっては、励ましの言葉になるでしょう。

一方で、「このままでいい」「今で満足」という本音だって、そのまま受け入れていいんだと気づきました。だって、それが本音だもん。

別に「意識高い系」の本音ばかりじゃないでしょう(堀江さんの元にあつまる相談は、夢の実現や、ビジネスの話が多そうですね)。

自分が本当はなにがしたいのか、せめて自分では把握しておきたいものだなぁと思います。

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『哲学の使い方』|街角で、哲学をつかおう

こんにちは。あさよるです。以前、鷲田清一さんの『てつがくを着てまちを歩こう』を読み、それまでよくわからんかった「ファション」について興味を持つきかっけになりました。そして、被服をまとうことについて「哲学」するというのも、好奇心かきたてられました。

今回手に取った『哲学の使い方』でも、布を体にまとうように、「哲学」を身近に、肌感覚のあるものであるし、そうあるべきものだと書かれており、興奮冷めやらぬ読了となりました。

「自分らしさ」ってなんだろう?『てつがくを着てまちを歩こう』

〈ガクモン〉から使える哲学へ

本書のタイトル『哲学の使い方』とは、現在「哲学」と言えば大学の限られた学問としてのものであり、西洋哲学を並べて触れること指す状況への提言です。哲学とは、子どもでも年寄りでも、誰にとっても「使う」ものであるし、身近なモンダイを哲学してもいい。

哲学は「である調」の書物に書されるようになったのは最近で、古くは対話形式であったり、エッセイとして書かれたり、詩であったりもしました。だから現代の我々だって、「である調」の哲学をする必要はありません。

本書では一例として〈哲学カフェ〉が挙げられていました。街角で、普通の人たちが集まってテーマについて哲学する。年齢も職業もさまざま。孫くらい年の離れた人と対等に論議する。哲学専攻の学生なんかが進行役をするそうですが、交通整理と最後のまとめをする程度で、特に混乱もなく進むそうです。

哲学カフェについて知ると、ふしぎなことに気づきます。とうして実生活では孫ほど年の離れた人と論議にならないのだろう。どうして友達は同年代に限られているんだろう。どうして「知っていること」を改めて考えることがなかったんだろう。

日本では「哲学」は大学で、やっと触れるものですが、ヨーロッパでは子どもの内から学校で哲学の問いがなされるそうです。さらに日本では、日本の哲学と、西洋哲学の二階建てで、多くは〈西洋哲学の本を読む〉ことが「哲学」な感じがしています。我々は、もっと「哲学」してもいいのかもしれない!

哲学の使い方、入門

本書『哲学の使い方』は、きっと高校生くらいなら読めるはず。ちょっと背伸びした読書が楽しめると思います。

哲学ってムズカシイ、取っつきにくいものじゃなく、身の回りにあるものです。冒頭に紹介した「服を着る」ことや、ポスターのキャッチコピーにだって哲学できます。ソクラテスは街角で対話をすることで哲学をしました。あなたの近くでも、今日も哲学カフェが催されてるかも。一度覗いてみるのも面白いかも。

もちろん、大人が読んでも結構読み応えあります(;’∀’) 哲学勉強された方はどうかわかりませんが、あさよるは結構、読むだけでいっぱいいっぱいでしたよ。しかーし、鷲田清一さんの文体はやわらかで読みやすいのです。

あさよるネットで紹介した哲学の本

『哲学用語図鑑』/田中正人

『哲学用語図鑑』|ド忘れ&知ったかぶりから卒業!

『はじめての哲学』/石井郁男

『はじめての哲学』|西洋哲学の偉人くらい、知ってるよね?

『西洋哲学の10冊』/中川純男,杉山直樹,石川文康,村山達也,竹内綱史,関口浩,小島和男

『西洋哲学の10冊』を読んだよ

『ハーバードの人生が変わる東洋哲学──悩めるエリートを熱狂させた超人気講義』/マイケル・ピュエット,クリスティーン・グロス=ロー

『哲学用語図鑑』|ド忘れ&知ったかぶりから卒業!

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