心理学

『「正しさ」にふりまわされないコツ』|「正しさ」の反対は「正しさ」?

自分の「正義」が、自分を追い詰めてない?

和田秀樹先生の新刊!

当あさよるネットでも以前、和田秀樹さんの書籍を紹介しました。

↑この本もですし、昔読んだ和田秀樹さんの本も面白かったので、新刊を見つけて手に取りました。

「正しい」と「正しい」のぶつかり合い

本書では、自分のもっている正義感や正しさが、自分自身をがんじがらめにし、自分を追い詰めてゆくと紹介されています。「自分自身を苦しめる正しさ」とはこれいかに。

例えば「鬱なんて怠けだ!」と仕事を休む同僚を揶揄している人は、いざ自分が鬱になったとき、仕事を休めません。確かに、気力でなんとか乗り切れる時もあるでしょうが、どうにもならない時もあるのに。

要は「詰み」になっちゃうんですね、過去の自分の発言のせいで。自分で自分の選択肢を消してしまう。本来なら、たくさん選択肢のある場面なのに、にっちもさっちもいかなくなってしまう。

そして、「正しさ」は他人が持ってる「正しさ」とぶつかり合います。例えば、「ずっと子供の側にいてあげたい」と辞職する母親も、「子供のために働きたい」と仕事に出る母親も、どちらにも正義があり、どちらも間違っていません。なのに、時にイガミあってしまいます。

「~すべき」「~であるべき」に振り回されていませんか?

「正しさ」への対処法

『「正しさ」にふりまわされないコツ』では、「正しさ」への対処法が紹介されています。

そもそも、自分の「正しさ」に振り回されてしまう人は、それだけ正義感が強い人です。だからっちょっとだけ、自分に甘くなりましょう。そして、同じように他人にもちょっとだけ甘くしましょう。「開き直り」も大切です。

「○○ならば△△しかない」と思い込むのはやめ、自分にも別の生き方、別の人生があることを大切にします。案外、間違ったって大丈夫だったりするのかもしれません。自分で勝手に「決めつけ」を行うのはやめましょう。

そして、相反する正しさと出会ったとき「どちらが正しい」と考えるだけでなく、「どちらも正しい」場合も考えます。

やっかいな「正しさ」もあります。例えば「可哀想な人に親切にする」というのは、一見素晴らしいことのように見えます。しかし、特定の誰かを「可哀想」と自分が決めていることを忘れてはなりません。

「正しい」を決めているのは自分。

そう、「正しい」「正しくない」を決めているのは、他の誰ならぬ「自分」なんですね。その決めつけ、思い込みを、時に「偏見」と呼ぶこともあるでしょう。もしかしたら正義の名のもとに「差別」と呼ばれることをしているのかもしれません(;’∀’)

そして「こうしたらあの人はこう思うだろう」「こんなことをしたら○○だって思われる」と、他人の行動や思考にまで決めつけをしちゃってます。実際問題、相手がどう出るかは相手次第です。他人は自分とはまた別の「正しさ」で動いているのです。

『「正しさ」にふりまわされないコツ』感想

本書『「正しさ」にふりまわされないコツ』は、「ほんとマジ共感」と頷いてばかりの読書体験でした。

ああ!あさよるも10代、20代の頃の自分に読ませてやりたいぜ!まったくもって、自分の正義を心から信じ、その正義に刃向かうヤツは「間違っている!」と鼻息荒く突っかかっていました。いやぁ、思い出すと恥ずかしや~。

自分の「正しさ」以外の行動基準を見つけられず、自らの「正義」を振りかざし、その「正義」に自分が苦しめられていました。いやぁ、我が青春は苦しみしかなかったぜ!(^_-)-☆

八方ふさがりで、本当に「詰んだ」と悟り、「もう生きられない…」と思ったけれども、覚悟も決められず(-_-;) だらっと未だに生きていますよ。だけどそれ以降、だらっと生きながら、自分の正しさに折り合いをつけたり、他人の正しさにも正義があることを受け入れられるようになりつつあります。

( ゚д゚)ハッ! 自分語りしてしまった!

今すぐ変われるものでもない…?

とまぁ、『「正しさ」にふりまわされないコツ』に書かれている内容、「んだんだ!」と大いに納得なのですが……。じゃあ、この本を読めば、書いてある通りに行動できるのかっ!ってとこですね。

正直……自分の「正しさ」にがんじがらめになっているモードのときに、和田先生のお言葉が胸に入ってくるだろうか……(遠い目)。

あさよるの過去を振り返ると、今思えば適切なアドバイスをしてくださる人生の諸先輩方もたくさんおりましたが、全然耳に入りませんでしたっ!で、『「正しさ」にふりまわされないコツ』も、響いてなかったんじゃないのかな?と思ってしまう……。

イチバン届いてほしい人には届かないジレンマがあるのかもしれません…。

誰もが「正義」をふりかざしている?

『「正しさ」にふりまわされないコツ』で改めて認識したのは、「誰もが『正義』を持っている」ということです。

もうちょっと強く言うと、誰もが正義を振りかざしている。正義の名のもとに、誰かが誰かをバッシングする。不正を許すまじと、弱者を追い詰める。ズルをした、悪いことをした人を正義という名の「私刑」に処す。

みんな、誰もが正義を持っている。自分は「正しい」と信じ行動している。これって、時に厄介で、時に恐ろしくもある。

自分とは違う「正義」を持っている人と、譲ったり、認めたり、尊重することで、何か変わるのかなぁなんて思う。その、譲るものは、自分には理解しがたい「正義」であっても。なんだか、とても矛盾しているようにも思うけど、それしかないのかなぁ。

あなたを追い詰めるのは、誰?

もし今、息苦しさや、行き場がないように感じているなら、もしかしたら自分の「正義」感が、自分を追い詰めているのかもしれません。

他者が何か阻んでいるのかもしれません。自分が、自分の「正しさ」にがんじがらめになっていないでしょうか。

『「正しさ」にふりまわされないコツ』は、自分の「正しさ」にも、他者の「正しさ」とも、そして社会の「正しさ」とも、上手く折り合いをつけるコツがたくさん紹介されています。

読みながら納得するものばかりでした。

「ちょっと肩の荷が重く感じるなぁ」「ギスギスしてるなぁ」という時にどうぞ。

関連記事

続きを読む

『地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」』

地頭は生まれつきのことじゃない!

考えるための基礎の力。

訓練次第で手に入っちゃう!?

「頭の良さ」ってなんだ!?

頭がいい人やすごい人を表すとき、「IQが高い」とか「賢い」「利口」「勉強ができる」とか「頭の回転が速い」「教養が高い」など、いろんな言い方をします。

「地頭がいい」もそのうちの一つです。この「地頭」って言い回し、たまに聞くことが有りますが、一体何なんだ!?そして、あさよるも地頭が良くなりたいぞ!

その通りのタイトルである『地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」』を読み始めたのでした。

全体を見て、枝葉に惑わされない

『地頭力を鍛える』で語られる「地頭」とは、全体を俯瞰できる視線です。

枝葉の部分に気を取られてしまい全体像がつかめない「木を見て山を見ず」状態から抜け出します。そのために、本質を見抜く力が必要です。

そのために本書『地頭力を鍛える』で取りあげられるのは「フェルミ推定」。

本書内では、この宇宙に宇宙人はいるのか、日本に電信柱は何本あるか、という問がありました。

「日本全国に電柱は何本あるか?」

※回答に際してのルールは以下の三つ:
・制限時間:三分(厳守)
・電卓/PC等は使用不可(紙と筆記具のみ)
・一切の情報の参照不可

細谷 功『地頭力を鍛える』(東洋経済新報社、2007)p.50

「どう考えるか」を問うものなので、正解があるものではありません。ポイントは紙と筆記具のみで、3分しかないことでしょう。

そう、じっくり熟考したり、資料を集める能力を問うものではないんですね(^_^;)>

そこで、単純化して考えるしかない。本書では、200km×1,500kmの直方体とし、電柱の密度を、市街地部分は50m4方に1本、郊外は200m四方に1本と仮定し、計算しています。

これ以上ないってくらいまで単純になっていますね。

さて、みなさんはどう考えましたか?

「フェルミ推定」いつ使う!?

「フェルミ推定」についてページを割いて紹介されています。抽象度を自在に操り、物事の本質と枝葉を見分け、短時間で考え方を導き出してゆく……。

「フェルミ推定」とはそういう力を持ったものだと思うのですが、一般人にとっては、「いつ使えばいいの!?」という側面を持っているかと。なにせ、日本中の電柱の数や宇宙人の存在を数えたい、知りたいときには使えるものですが、そんな機会あんまりない!?

あさよるは、『地頭力を鍛える』を読んでから日本国内に犬が何匹いるのか考えてみました。

フェルミ推定をそのまま使うのではなく、他の考え方を組み合わせて使うのが正解っぽい?(^_^;)

仮説思考、フレームワーク、抽象化

フェルミ推定以外にも、仮説思考、フレームワーク、抽象化についても章が設けられています。

仮説思考は、まず「仮説」を立てその後に検証や実験を行うこと。仮説が間違っていなのなら、その都度仮説を立て直し、再び検証し、微調整をし続けます。

フレームワークは、思考の癖、思い込みを脱却します。人と会話をしていても、お互いの視点や前提などが違っていれば話は噛み合いません。だから、お互いの座標を合わせる必要があります。同じ地図を共有する、俯瞰をします。そして、それを的確に切り分け、分類、分解し、ボトルネックを発見する。

そして抽象化。問題を単純化、抽象化し、そして再び具体に戻します。先ほどの電柱の問でしたら、日本列島を直方体に、電柱の密度を市街地と郊外の2パターンに、単純化し計算します。そして、再びそれを具体に戻し、問に答えます。このとき、物事の本質を見極め、枝葉を除外できる力が求められます。喩え話も抽象化でよくなされますね。

バラバラの思考を集結させよ!

こうやって「地頭力」を鍛える方法を文字情報として読むと、とてもややこしくって難しい!(´;ω;`)

なのですが、ここで語られる内容は、案外、誰もがやっている思考も多分に含まれていると思うんです。抽象化て考えることや、他のことに喩えること。行動する前に仮説をたてること、図に書きながら伝えること、などなど。

それぞれの事柄は、それぞれに使っているんじゃないかと思います。が、それらを組み合わせ、より多角的に考えることはできているでしょうか。あさよる的には、自信がありません(-_-;)

バラバラに使っている思考を組み合わせ総動員することで、自分の「地頭」が鍛えられるのか!と知ると、ちょっぴり勇気も湧きました。

ぜひぜひ(^^)v

関連記事

続きを読む

『シャーデンフロイデ』|ざまあみろ!人の不幸が嬉しい気持ち

こんにちは。えらそうばってる人を見ると、いじわるしたくなる あさよるです。自分のことを大きく見せようとしたり、上から目線な応対をする人を見ると、なんかこっちもトゲトゲした気持ちになっちゃう。ただ、相手の挑発に乗るのは、相手の思うつぼだったりする。本当は、スルーするのが大人の対応なんだろう。

他人の失敗や、他人の不幸を期待してしまう、喜んでしまう気持ちのことを「シャーデンフロイデ」と言うそうだ。今回読んだ本では「他人を引きずり下ろす快感」とも書かれている。

ドキッとする言い回しだけれども、多少なりとも誰もが持っている感情じゃないかと思う。

愛が人の不幸を喜ばす

「シャーデンフロイデ」とは、

誰かが失敗したときに、思わず沸き起こってしまう喜びの感情(p.14)

だそうだ。ネットスラングでいうところの「メシウマ状態」。他人の不幸は蜜の味。えこ贔屓されているあの子の化けの皮を剥がしてやりたい。いつも出しゃばる気にくわないアイツがポカをして穴を開けてしまう様子を見て「いい気味だ」とほほ笑む。

それは誰もが持っている感情で、本書『シャーデンフロイデ』では、脳科学的にその現象を分析してゆく。

シャーデンフロイデには、通称「幸せホルモン」「愛情ホルモン」とも呼ばれている、オキシトシンという脳内物質が関係しているらしい。オキシトシンは、人々が愛し合ったり、仲間を大切にしたい気持ちを起こさせるホルモンだ。男性よりも女性の方がオキシトシンが分泌されやすく、授乳中の母親が我が子を大切にするのにも、オキシトシンは重要な役割を果たす。

「愛情」と言えばポジティブな印象だけど、言い方を変えれば「執着」とも言える。母親は我が子に執着するからこそ、身を削ってでも子育てができる。仲間や恋人は、その人でなければならず、他の人じゃダメなのだ。

だからオキシトシンが分泌されると、子どもや仲間、パートナーを守るために、攻撃的になったり、保守的になるそうだ。素敵な恋人ができたら「その恋人を失わなうんじゃないか」と嫉妬する。あるいは、同僚に非の打ち所がないような素敵な恋人ができたら、あの人はどうやってそんな人と付き合ったのか、なぜわたしじゃなかったのか、と「妬む」。

ちなみに「嫉妬」と「妬み」は心理学的には別のものだそう。「嫉妬」は自分が持っている物を奪いにくるかもしれない人を排除したい感情。「妬み」は自分よりも良い物を持っている人に対して、その差を解消したい感情だ。「妬み」は、相手があまりに格上で足元にも及ばないとき、「憧れ」にも変わる。

シャーデンフロイデは、執着や嫉妬や僻みの発露だけれども、それは愛着や愛情、絆の裏返しだ。必ずしも悪いものではなく、人間社会には必要な存在でもある。

いじわるな自分に無自覚な人は厄介

シャーデンフロイデを感じない人はいないだろう。他人の不幸を楽しむのは品がいいとは言えないけれども、厄介なのはシャーデンフロイデに無自覚で、「自分はそんなものを持っていない」と否定する人じゃないだろうか。たぶん、本人は本当に、自分にはそんな邪悪な心はないと信じ切っているんだろう。だからこそ厄介だ。まだ「他人の不幸は蜜の味」と自覚的で露悪的な人の方が、話が早いだけにマシな気がする。

状況把握できるだけで

「最高の復讐は幸福になること」という言い回しがある。誰かのせいで自分が不幸になって破滅してしまうと、他人を喜ばせてしまうだけだ。自分が幸せになることが、一番人を悔しがらせることだから。それって、まさに「シャーデンフロイデ」。

自分の幸福になるために必要なのは、他人の悪口の輪に参加したり、イヤなヤツのことを思い出してイライラする時間ではないだろう。それは自分の時間=人生を他人に乗っ取られているのと同じだ。自分の時間は、自分の判断と決断によって、自分が采配することが、自分の幸せにつながっている。「させられる」のではなく、自分はどうするのかを考えるところから始まるのかもしれない。

あと、いじわるな気持ちになったとき「オキシトシン仕事してるなぁ」と思ってもいいだろうし、いじわるされたときも「ああ、シャーデンフロイデ」と心の中でツッコむのも、いいかも。よくわからない思いにとらわれるよりは、きちんと今の状況を言葉で認識すれば、理解が変わるだろう。

関連記事

中野信子さんの本

続きを読む

『正しい恨みの晴らし方』|最高の復讐は……

こんにちは。清廉潔白、妬み嫉みを持たずに生きている……と思っていた あさよるです。「人を恨んで生きるなんてヤな人生ネー」「嫉妬なんて醜いなぁ」なんて他人事のように思いつつ、本書『正しい恨みの晴らし方』を手にしたのです。著者は脳科学者の中野信子さん。これまでも中野さんの本を数冊読み面白かったので、手に取りました。

「正しい恨みの晴らし方」、結論を先に言っちゃうと、

「優雅な生活が最高の復習である」―p.239

中野信子先生はこう結んでおられます。さてポイントは「何を以て〈優雅〉とするか」ということでしょう。本書ではその答えは示されません。ただ、多くの人が恨みを晴らすべく勤しんでいる取り組みは〈優雅〉とは言えないだろうと、本書にて示されています。だって「不毛」だから~。

恨みとはなんだ?

まず、「恨み」とはどんな状態を指すのでしょうか。本書ではこう定義されています。

恨みとは「思い出し怒りにとらわれた状態」もしくは、「怒りをもたらした出来事を反すうせざるをえない状態」とみなせます。 -p.16

怒りを何度も思い出し、そのたびに怒りに駆られる状態を「侵入思考」と呼ぶそうです。過去の出来事が、現在に侵入してきて怒りにかられるからです。同じことを繰り返し考えてしまい、あれこれ思いめぐらせてしまう状態を「反すう」と言い、精神的な健康を害することもあるそうです。これらが「恨み」です。

怒りが恨みに変わるには、相手が〈他者〉の〈何らかの意図〉でないといけません。物に躓いても、物を恨むことはありません。

もっと言えば、「正しくないことをされた」という被害者意識こそが恨みの源といえます。自分のプライドを酷く傷つけるようなことをしてきた相手に怒り、その怒りがなかなか収まらないとき、それを恨みと呼ぶのです。 -p.18

「正しくないことをされた」とは、不当なことをされた、侮辱された、不条理な扱いをされたことを、自分の中で整理できない。だから怒りが持続し、恨んでしまう……。

あるいは、自分ではどうにもならない状態に置かれたとき。近しい人が事件や事故に遭ったとき、加害者を恨まずにはおれません。リストラに合って、会社を恨んでも仕方がないけど、恨んでしまいます。

仕返しをしたい!

我々は傷つけられると、怒りを感じます。

アメリカの心理学者ジェームズ・アヴェリルは、「失われた自尊感情の回復」が怒りの目的であると述べています。プライドを傷つけられて怒るのですが、それを癒す道筋を照らすためにもまた、怒りが存在しているというわけです。
こうした考え方に沿うなら、恨みを感じた後にも、傷ついたプライドを回復させるような行動をとりやすくなるはずです。
その一つが「仕返し」です。相手にも自分と同じ傷を負わせ、自分と同じ苦しみを味わわせてやりたいと思うのです。

p.20

傷ついたプライドの回復のために「仕返し」が必要なのですな。

さらに「見返し」という言葉もあります。これは、自分を侮辱した相手に、立派になった自分の姿を見せ、見返したいという願望です。しかし、見返しはプライドを直接的に回復させないようで、見返しが成功することは少ない模様。

妬みと嫉妬

「妬み」と「嫉妬」というよく似た言葉があります。これらは、日本語でも英語でも意味が少し違います。

 妬み(envy)は、自分の持っていない何らかの好ましい価値のあるものを、自分以外の誰かが持っていて、それを自分も手に入れたいと願うとき、その相手に対して生じる不快な感情のこと。
嫉妬(jealousy)は、自分の持っている何らかの好ましい価値のあるものを、自分以外の誰かが持っておらず、それをその誰かが奪いにやって来るのではないかという可能性があるとき、その相手を排除したいと願う不快な感情のことです。
時には、これらがの2つの感情が混じって感じられることもあります。

p.74-75

整理すると、

  • 妬み→「ニンテンドースイッチを○○ちゃんが持ってる!ズルイ!私は持ってないのに!」
  • 嫉妬→「私の彼が△△ちゃんと親しくしてる!浮気か!」

妬みは、他の誰かだけ持っててズルイ! 嫉妬は、自分の持ってるモノや関係性を奪われるかも!? という状態です。

妬ましい!

リア充自慢を街中やfacebookで見かけて、内心「ケッ」とムカつく気持ちは「妬み」です。妬みはいろんなところで起こります。能力の差、容姿の差、お金や財産、地位や能力、コネなどなど。で、妬ましい相手の悪口を言ったり、足を引っ張ろうとします。

「羨ましい」という気持ちも、「妬み」と同じですが「ネガティブではない妬み」です。せめて、人を妬むにしても「羨ましい」にしておきたいものです。

「妬み」は、例えばイチローのように、自分とかけ離れた相手には感じません。自分と近い相手が、自分より好ましい状態にある時「妬ましい」と思います。

なので、お金持ちの有名人が死の直前、一般の女性と結婚し、その女性が女優やモデルのような超美人なら構いません。しかし、その女性が「普通の女性」だったとき、「妬み」が爆発します。事実もわからないのに「遺産目当てだ」なんてバッシングが始まります。しかもこのとき、「妬んでるんじゃない、遺産目当てのセコい女を懲らしめるんだ」と「正しい」「正義」のために見ず知らずの女性をこき下ろしはじめます。でも冷静に考えると、他人をバッシングしたところで、自分は何の得にもならないし、むしろ時間も労力もムダにしてしまうばかりだったり……。

「正しい」ほど怖いものはない

他人の不幸は蜜の味です。ゴシップ大好き!他人のあら捜ししたい。「メシウマ状態」を心待ちにしています、よね?ね?ね?

なぜ他人の不幸を見ると満足するか、というと、自分が辛いとき、自分と同じくらいか、自分より不幸な人と比べると、気持ちが楽になるそうです。心理学的にもこう考えられているそうです。

人は周りの人に同調する習性を持っていて、Twitterで情報共有されれると多くの人が同調し、またたくまに炎上します。「正しくない」と思われる投稿が大量RTされ、なんとなくバッシングしていい雰囲気が出来上がります。……ただ、あくまで見ず知らずの他人をつるし上げても、自分は何の得もないのです。原動力は「自分は正しく、相手が間違っている」から。「自分は正しい、相手が間違っている」と認識すると、我々はその相手を攻撃することを厭わなくなります。「いじめ」と同じように、わざわざ自分が止めに入らなくても……という同調圧力も働き、仲裁する人もいなくなります。

正義という麻薬

なんとなくムカつく人をつるし上げ、みんなで恨み、悪をやっつければ勧善懲悪めでたしめでたし。みんな「水戸黄門」「半沢直樹」が大好きなのです。スカーッとして気持ちいい!のです。

「正義」を考えるときのポイントは「ズルをした」から恨まれるのではなく、「ズルをしそう」な個体もフリーライダー予備軍とみなされ、排除の対象になることです。「ズルをしそう」と疑わしい人を探し回っている状態が今の社会かもしれません。

人を恨んで生きてましたm(__)m

あさよるは他人にあまり興味ないし「人を恨む」なんて疲れるだけのことしたくないわいと思っていました。しかし、本書の定義に従えば、あさよるは「人を恨みまくっている人間」になってしまいますw もともと関西弁で言うところの〈イラチ〉で、気が短い方なので、他人にイラつく瞬間はありました。しかも、時間が経っても怒りが収まらず、むしろどんどん「侮辱された」「ナメられた」と怒りが膨らんでゆく経験はよくありました。そうか、あれ、恨みなのかw

さて、冒頭で、本書では「優雅な生活が最高の復習である」と結論付けられていることを紹介しました。はてさて「優雅な生活」とはどんな状態でしょうか。

あさよるが考える「優雅な生活」とは、規則正しい生活をして、アイロンをかけたシャツを着る。ゆっくりと朝食を食べ、早朝に掃除をし、午前中に仕事をして、夕方には終業して、夕食の準備をして、8時にはお風呂に入って、9時には寝る。ふとんは乾燥機にかけてでフカフカ。

これが最高の復讐です。

関連本

『サイコパス』/中野信子

『サイコパス』|冷静で共感しない人たち

『脳内麻薬 人間を支配する快楽物質ドーパミンの正体』/中野信子

『脳内麻薬 人間を支配する快楽物質ドーパミンの正体』|誰もがドーパミン依存!?

『あなたの脳のしつけ方』/中野信子

『あなたの脳のしつけ方』|モテも運も努力も脳次第?

続きを読む

『パブロフの犬:実験でたどる心理学の歴史』|アヤシイ雰囲気にワクワクしちゃう

こんにちは。ナゾなもの、フシギなものに気が取られちゃう あさよるです。本書『パブロフの犬』もタイトルだけ見て「読んでみたい」と思いました。なぜかというと、あさよるは完全に〈シュレーディンガーの猫〉と勘違いしていたからでしたw 読み始めてしばらくするまで気づいていなかったw

パブロフの犬とは、ベルを鳴らしてからエサを犬に与えていると、ベルの音を聞くだけで犬はヨダレをたらすようになるアレ。梅干を見たら唾なアレ。心理学のお話です。人間の心理学だけでなく、動物に知能があるのか? 動物に心があるのか? 誰もがソボクに気になっちゃうことも、ちゃんと過去に実験がなされているんです。

……ちなみに、本書のシリーズで〈シュレーディンガーの猫〉もあるそうですw こっちもまた読みたいデス。

心理学の50の実験:心ってなんだ?

本書『パブロフの犬』は心理学の重要な50の実験を歴史順に並べたもので、心理学入門編であり、心理学の歴史がわかるという仕掛けになっています。

一番最初に紹介されるのはダーウィンの研究で、ミミズに知能があることが実験により発見されました。ミミズは自分で掘った穴に木の葉を引っぱり込んで蓋をします。しかも、穴に刺さっているのは先がとがった葉っぱが多いのです。ミミズは葉っぱの形が分かっているの?と、ダーウィンは子どもたちと一緒に観察を始めました。反対に言うと、この時代までミミズに知能があるとは思われてなかったってこと?

ネズミは道を覚えられるのか?や、タイトルにもなっているパブロフの犬の実験(犬にベルを鳴らしてからエサを与え続けると、ベルの音を聞いただけでヨダレを出す)。被験者を囚人と監視員に振り分けると、監視員たちが囚人を虐待し始めた実験。吊り橋効果やなど、有名な心理実験のあらましも紹介されています。

我々は〈自由な心〉を持っているように思えますが、それも環境や学習により書き換えられ、行動に変化をもたらします。それは無意識にも。つい「他の〈みんなの意見〉が正しい」と思い込み、目の前の一目瞭然の事実すら見えなくなってしまいます。どうやら、周りの人の考えに流されてしまうのは、勇気や根性の話ではなく、心理的に「自分がおかしい」「自分が間違っている」と思ってしまうからみたいなのです。

自分の心ってなんだろう。自分の意志ってなんだろう。みんながこう言ってる。みんなそうしている。これって、いったい何だろう?

オールカラーでイラストも賑やかに

本書は心理学の入門的一冊ですので、多くのトピックスは見開き2ページで収まる程度の長さがほとんどです。しかも、ポップなイラストが散りばめていて、なにやら禍々しい雰囲気がたまりません。

見開きページ例をご覧ください。

『パブロフの犬:実験でたどる心理学の歴史』見開きイメージ

パブロフの犬:実験でたどる心理学の歴史 (創元ビジュアル科学シリーズ1) | アダム・ハート=デイヴィス, 山崎 正浩 |本 | 通販 | Amazon

古い書物をひも解き、魔法の本を読んでいるかのような演出。見ているだけでワクワクしちゃいます。あさよるも、ヴィジュアルイメージがカッコよくて本書を手に取りました。

あさよる的には〈読みやすさ〉という点では白い紙に挿絵ナシの方が読みやすいと思います。しかしこの〈特別感〉は魅力的。知らない世界を誘ってくれるに相応しい雰囲気です。

中高生にオススメ!

本書『パブロフの犬』は好奇心と探究心にあふれる中高生に贈りたい一冊です。もちろん大人も読んでも面白いけれども、なんかこのアヤシイ空気感は、絶対年頃の人に合うと思うんですよ! というか、あさよるもその頃に本書を読みたかった!!

アヤシイ雰囲気も、考えるとコワイ実験やもっとコワイ結果の数々や、禍々しいイラストも、世界観がワクワクしちゃいます。

続きを読む