わたしの祖母は二人とも、キツネにだまされたことがあるらしい。
一人の祖母は、夜の田んぼ道を歩いていると、歩けど歩けど前へ進めなくなってしまった。
おかしいなあと歩いていると、突然知らない人に肩を叩かれてハッと気が付いた。
どうやら、同じ場所をぐるぐると回っていたようで、不審に思って声をかけてくれたらしい…。
もう一人の祖母は、家へ帰ろうと峠を越えた途端、真夏なのにスーッと空気が冷たくなり、ゾッとしていると、目の前に狐火を見たんだとか。
昭和40年ごろまで人はキツネにだまされていた……らしい
「キツネにだまされる/化かされる」というのは、ある年代の人までは、日常の中にあった経験だったようだ。
(ちなみにわたしの祖母は、大正生まれと、昭和一桁台生まれだ)
内山節さんの『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』によると、1965(昭和40)年くらいを境に、「キツネにだまされた」という証言がなくなるらしい。
反対に言えば、それ以前の日本人はキツネにだまされていたということだ。
それは、その頃にわたしたちの生活、思想が変わったことも原因だろうし、キツネと人間が生きていた里山や雑木林の様子が変わったのもその頃だ。
わたしたちの生きる世界を取り巻く環境(それは外的にも内的にも)様変わりしてゆくのが、ちょうどその頃だったのだろう。
ちなみにわたしの祖母は、キツネにだまされただけではなく、葬式の日に火の玉も見たことがあるらしい。
その世界では、山ではキツネの他にもタヌキやムジナが人をだまし、川では河童がいたんだろう。そういう世界で、少し前までの日本人は生きていたのだ。
外国人はキツネにだまされない
先に挙げた『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』の中で、面白い話があった。
明治維新後、農業を教えるため、農村に西洋人がやってきた。
もちろん日本人と同じように農作業をして、一緒に生活をするのだけれど、なんと彼らはキツネにだまされないのだ。
「そんなことってある?」と、当時日本人の間で話題になったそうである。
それだけ、「キツネにだまされる」というのは生活の中で当たり前のことで、その当たり前の経験をしない外国人が当時は珍しかったのだった。
わたしたちはキツネにだまされなくなった。それは、わたしたちが西洋化したということなのかもしれない。
ここでいう私たちは、「庶民」とか、そういうニュアンスだ。
落語「七度狐」
上方落語で「七度狐」という噺がある。ポピュラーな噺なので知っている人も多いかもしれない。
旅の途中の二人組が、あるとき七度狐を怒らせてしまう。
これはしつこいキツネで、一度悪いことをすると、七度は仕返しをしてくるというキツネだ。
まんまと七度狐にだまされ続ける二人組がおかしい噺だ。
この噺、今となればバカな噺なんだけれども、その、1965年以前の、人々が日常的にキツネにだまされれていた時代には、どんな風に聞かれていたんだろうか。
キツネにだまされる、ということが現実味があるとすると、今とは感じ方が違うだろう。
キツネにはだまされなくなったけど、代わりに何にだまされるようになったんだろうか
結論を言えば、テレビとか、広告とか、そういうようなものにわたしたちはだまされるようになったんだろうか。
テレビで一時期話題になり、テレビを見ながら一緒に怒ったり批判したり心揺さぶられたことも、時間が経てばすっかり忘れてしまっている。
そして、そのことを振り返ったとき「なんでそんなに怒っていたのだろう」とキョトンとすることも多々ある。
こういうのを「キツネにつままれた」というのではないだろうか。
現在のコロナ禍でも、日々さまざまな情報が飛び交い、報道され、そしてわたしたちの心は揺さぶられている。
その中には本当のこともあれば、無暗に不安にさせるだけのものもあるだろう。
時間が経ち、落ち着いて今を振り返ることができる日が来れば、「○○にだまされていた」と思うこともあるんだろうか。
キツネのせいにするのではなく、きちんと事象を見極めていきたいものですな(`・ω・´)フンス!
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