鷲田清一『哲学の使い方』|街角で、哲学をつかおう

こんにちは。あさよるです。以前、鷲田清一さんの『てつがくを着てまちを歩こう』を読み、それまでよくわからんかった「ファション」について興味を持つきかっけになりました。そして、被服をまとうことについて「哲学」するというのも、好奇心かきたてられました。

今回手に取った『哲学の使い方』でも、布を体にまとうように、「哲学」を身近に、肌感覚のあるものであるし、そうあるべきものだと書かれており、興奮冷めやらぬ読了となりました。

〈ガクモン〉から使える哲学へ

本書のタイトル『哲学の使い方』とは、現在「哲学」と言えば大学の限られた学問としてのものであり、西洋哲学を並べて触れること指す状況への提言です。哲学とは、子どもでも年寄りでも、誰にとっても「使う」ものであるし、身近なモンダイを哲学してもいい。

哲学は「である調」の書物に書されるようになったのは最近で、古くは対話形式であったり、エッセイとして書かれたり、詩であったりもしました。だから現代の我々だって、「である調」の哲学をする必要はありません。

本書では一例として〈哲学カフェ〉が挙げられていました。街角で、普通の人たちが集まってテーマについて哲学する。年齢も職業もさまざま。孫くらい年の離れた人と対等に論議する。哲学専攻の学生なんかが進行役をするそうですが、交通整理と最後のまとめをする程度で、特に混乱もなく進むそうです。

哲学カフェについて知ると、ふしぎなことに気づきます。とうして実生活では孫ほど年の離れた人と論議にならないのだろう。どうして友達は同年代に限られているんだろう。どうして「知っていること」を改めて考えることがなかったんだろう。

日本では「哲学」は大学で、やっと触れるものですが、ヨーロッパでは子どもの内から学校で哲学の問いがなされるそうです。さらに日本では、日本の哲学と、西洋哲学の二階建てで、多くは〈西洋哲学の本を読む〉ことが「哲学」な感じがしています。我々は、もっと「哲学」してもいいのかもしれない!

哲学の使い方、入門

本書『哲学の使い方』は、きっと高校生くらいなら読めるはず。ちょっと背伸びした読書が楽しめると思います。

哲学ってムズカシイ、取っつきにくいものじゃなく、身の回りにあるものです。冒頭に紹介した「服を着る」ことや、ポスターのキャッチコピーにだって哲学できます。ソクラテスは街角で対話をすることで哲学をしました。あなたの近くでも、今日も哲学カフェが催されてるかも。一度覗いてみるのも面白いかも。

もちろん、大人が読んでも結構読み応えあります(;’∀’) 哲学勉強された方はどうかわかりませんが、あさよるは結構、読むだけでいっぱいいっぱいでしたよ。しかーし、鷲田清一さんの文体はやわらかで読みやすいのです。

あさよるネットで紹介した哲学の本

哲学の使い方

目次情報

はじめに

第一章 哲学の入口

1 哲学の手前で
2 哲学の着地点――一つの例題
3 哲学のアンチ・マニュアル

第二章 哲学の場所

1 哲学とその〈外部〉
2 哲学の知――あるいは「技術の技術」
3 哲学と「教養」

第三章 哲学の臨床

1 哲学の「現場」
2 哲学のフィールドワーク――哲学の臨床・1
3 ダイアローグとしての哲学――哲学の臨床・2

終章 哲学という広場

主な引用文献

鷲田 清一(わしだ・きよかず)

1949年,京都生まれ.京都大学大学院文学研究科博士課程修了.大阪大学文学部教授,同大学文学部部長,総長を経て
現在―大谷大学教授,せんだいメディアテーク館長,大阪大学名誉教授
専攻―哲学,倫理学
著書―『モードの迷宮』(ちくま学芸文庫)
『現象学の視線』(講談社学術文庫,以上2冊でサントリー学芸賞)
『メルロ=ポンティ』(講談社)
『顔の現象学』(講談社学術文庫)
『「聴く」ことの力』(阪急コミュニケーションズ,桑原武夫学芸賞)
『時代のきしみ』(阪急コミュニケーションズ)
『「待つ」ということ』(角川選書)
『思考のエシックス』(ナカニシヤ出版)
『「ぐずぐず」の理由』(角川選書,読売文学賞)
『〈ひと〉の現象学』(筑摩書房)
『パラレルな知性』(晶文社) ほか多数

コメント

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