こんにちは。あさよるです。内田樹さんの本はまだ数冊しか読んだことがありませんが、どれも面白かったので今回『街場のメディア論』も読む前から楽しみでした。
この「街場の」というシリーズがあって、『街場のアメリカ論』『街場の中国論』『街場の教育論』に続いた4冊目だそうです。Wikipediaを見ると『街場の大学論』『街場のマンガ論』『街場の読書論』『街場の文体論』『街場の憂国論』『街場の共同体論』『街場の天皇論』とシリーズがあって、どれも読んでみたいです。
今回読んだ『街場のメディア論』では、メディアの不調は、そのメディアにどっぷり浸かっている我々の不調であると宣言されています。確かに、異論はありません。
メディアの不調
本書『街場のメディア論』は内田樹さんの「メディアと知」という大学の講義がもとになっています。大学生でもわかるような話で、かつ飽きさせない話題が続きます。
「自分がやりたいことをやる」というのは実は大きな力が生まれない。それよりも「誰かから求められること」の方が人間は大きな力を発揮できるのです。本書では、内田樹さんご自身が、娘さんが生まれて子育てが始まってから、大きな父性愛が溢れ出たと回想されています。そして、その自分の潜在的な力は、その立場になってみないとどうなるのかわかりません。
「望まれる」というのは、とても力強いことなんですね。
ここからメディアの話が始まります。主にテレビ、新聞、出版が扱われます。そしてこれらの業界は「オワコン」と言われて久しい業界でもあります(内田樹さんは「オワコン」なんて言葉使わないけどね)。
メディアはもともと公共ものです。ですが近年、お金が儲からない話ばかりが語られます。また、メディアは世論、正義の名のもとにクレイマーのお手本のような報道をくり返しています。メディア自身がメディア離れを加速させているように感じます。
世間とおまじない
昨日、ブログで鴻上尚史さんの『「空気」と「世間」』を紹介しました。
『「空気」と「世間」』では、伝統的な「世間」という価値観が古びつつも、今なお「空気」という言葉で顔を覗かせてていると説明されていました。「世間」には理屈がなく、迷信や呪術的がまかり通る世界です。理屈がないからこそ、人々はそれに抗えないのです。そして、著者の鴻上尚史さんは「世間」「空気」に対して否定的な語り口です。『「空気」と「世間」』では、誰も本音ではやりたくないお中元お歳暮も、お祝い金をもらったらその半分の額をお祝い返しする風習も否定されています。
一方で、本書『街場のメディア論』での内田樹さんの話は対照的です。そもそも「街場の」と名前のつくシリーズで、「街場」とはまさに「世間」のことでしょう。そして、内田樹さんは迷信や呪術(おまじない)的なことも肯定します。そして、お祝い返しのような、人から贈り物を受け取ったらお返しをする。それは贈り物をもらった嬉しさの表現でもあります。
くり返しますが、メディアは公共のものです。本書では、本来お金を目的にするものではないと語られています。じゃあ、どうやってメディアの人たちは食べてゆくのかというと、テレビやラジオ番組、新聞や出版物という「贈りもの」を提供するのが仕事で、受け取ったわたしたちは、「贈りもののお礼」をするのです。
商売人と客の関係ではないのです。
おまじないのある世界の方がいいかも
あさよる的には、鴻上尚史さんの『「空気」と「世間」』で語られるような、世間から脱して社会に目を向けることよりも、「街場の」おまじないが効力を持っている世界の方がいいかもしれないと思いました。もちろん、非科学的なことを推奨するのではありません。だけれども、人と人の間に、理屈にならない術的な要素が多少はあってもよい……というか、あった方がいいんじゃないかと思いました。
こんなこと、昔の自分なら絶対思わなかったはずです。誰も欲しくない・送りたくないお中元お歳暮や年賀状なんて大嫌いだったし、世間話の天気の話題すら時間の無駄だと思って忌み嫌っていましたから。だけど、今は、まつりごとや、しきたりも、それなりに役割はあるんだと思うようになりました。
ということで、時候の挨拶の練習をしている あさよるです(;’∀’)
メディアは「贈りもの」であり、受け取った人が、贈もののお礼をするという関係性も健全だと思いました。「商売人とお客様」という関係って、自分がお客だと得があると考える人もいるのかもしれませんが、むしろ全員の居心地を悪くしているだけだと思っています。
それよりも、毎日電車が運行していることとか、牛乳がスーパーに届いていることとか、今日もパソコンがインターネットに繋がっていることは「有難い」ことです。だって「乗せてやんない」「売ってやんない」「繋げてやんない」って言われて困るのは自分ですからね。
自分に必要なものがあるというのは、なかなかあり得ない状況、「有難い」のです。今朝は食べ物がなくて、お店にも食品が並んでなくて、「売ってもらいたいなぁ」とホントに思いましたw
そして、最初に紹介した「自分のためにやる(儲かるからやる)」よりも「望まれてやる」方が大きな力が発揮され、良い仕事になります。そしてそれは良い贈りものになりうる存在です。
ミドルメディアに参加する
あとがきには、
本書では特に既存のマスメディア(新聞、テレビ、出版)に対して、たいへんきびしい言葉を書き連ねました。これも蓋を開けてみたら、まるでお門違いであって、十年後もあいかわらずテレビではどの曲でも同じようなバラエティ番組を放送し、新聞は毒にも薬にもならない社説を掲げ、インスタント自己啓発本がベストセラーリストに並んでいる……というようなことになった場合には、ほんとうにお詫びの申し上げようもありません。p.210
とありました。本書が出版されたのは2010年ですから、それから8年経ったわけで、残念ながら内田樹さんのネガティブな予言通り、相変わらず新聞もテレビも出版も変わっていません。
内田樹さんはマスメディアではなく、ミドルメディアというブログの存在に光を当てています。ブログでは、出版社や放送局のスポンサーを気にせず書きたいことを、書きままの言葉で書いても構いません。トゲのあることを書いても、角を取られることもありません。
あさよるもブログを書いているので、ブログがそういう場になればいいなぁと思っています。今はTwitterやFacebookなどSNSに記事や写真、動画をアップロードする人が多いですが、これらのSNSはアーカイブが弱すぎるので、せっかくの活動が埋もれてしまいます。それよりも、ブログの記事として投稿して、自分のスペースをネット上に作った方が、きっとみんなにとってもいいことだと思っています。
微力ながらも小まめにブログを更新していて、人類にとって何かすごく少ない量でも、寄与できればいいなぁと考えています。これが「贈りもの」なんでしょう。喜んでくれる人がいるのかわからないけどね……(;’∀’)
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街場のメディア論
目次情報
まえがき
第一講 キャリアは他人のためのもの
仕事をするとはどういうことか/「適正」ってなんだ/能力は開発するもの/他者という力/自分の能力について人は知らない/キャリア教育の大間違い/呼ばれる声を聴け
第二講 マスメディアの嘘と演技
後退するメディア/命がけの知を発信するのがメディア/「一緒に革命できますか」という判断基準/ラジオの危機耐性/テレビの存在理由/「聴かないふり」/「営業妨害」に隠される知の不調/世界について嘘をつく新聞/「無垢」という罪が広がっている
第三講 メディアと「クレイマー」
クレイマー化するメディア/被害者であるということが正義?/正当化される無責任な「権利」/「ありがとう」が言えない社会
第四講 「正義」の暴走
煽られる利害の対立/患者は「お客さま」か/「とりあえず」の正義/批判から逃れる「知性」と「弱者」たち/メディアは「定型」で語る/言葉から個人が欠如する/マニュアル化されたメディアの暴走/暴走するメディアがメディア自身を殺す
第五講 メディアと「変えないほうがよいもの」
繰り返される「定型」の呪い/「世論」と「知見」/アルベール・カミュの覚悟/市場から逃れる「社会的共通資本」/変化がよいことではない場合/戦争とメディア/惰性への攻撃/市場に委ねられた教育制度/買い物上手になる学生たち
第六講 読者はどこにいるのか
「本を読みたい人」は減っていない/知的劣化は起こっていない/出版は内部から滅びる/電子書籍の真の優位性/不毛な著作権論争/書物は商品ではない/クリエイターから遊離する著作権/読者が「盗人」とされるとき/本は「いつでも買えるもの」にせよ/読書人とは誰のことか/読書歴詐称という知的生活/竹信くんの書棚/本棚の持つ欲望/本はなんのために必要か/出版文化の要件
第七講 贈与経済と読書
贈与と返礼/社会制度の起源「ありがとう」/「価値あるもの」が立ち上がるとき/勘違いできる能力/価値はそのものの中にはない/無償で読む人を育てよ
第八講 わけのわからない未来へ
拡がる「中規模」メディア/マスメディアに内在する「すり合わせ」/ミドルメディアは自粛しない/「ただ」のものの潜在的価値/贈り物を察知する人が生き残る/メディアとは「ありがとう」という言葉/生き延びられるものは生き延びよ
あとがき
内田 樹(うちだ・たつる)
一九五〇年東京都生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。現在、神戸女子学院大学文学部教授。専門はフランス現代思想、映画論、武道論。著書に『街場のアメリカ論』『街場の思想現代』(以上、文春文庫)、『街場の教育論』『街場の中国論』(以上、ミシマ社)、共著に『現代思想のパフォーマンス』(光文社新書)、『現代人の祈り―呪いと祝い』(サンガ)、『若者よ、マルクスを読もう』(かもがわ出版)など。二〇〇七年『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で第六回小林秀雄賞を、『日本辺境論』(新潮新書)で新書大賞二〇一〇を受賞。
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