新書

『痩筋力』|確実に痩せたい人にしかオススメしません

こんにちは。食欲の秋を満喫している あさよるです。夏の間節制できてたのに、これじゃだめだ! 今からちょっと気を引き締めて、ついでにお腹も引き締めたいなぁと、石井直方先生の著書『痩筋力』を読み始めました。石井直方先生の本は過去に数冊読んでいて、筋肉のしくみについて全然何も知らなかったあさよるにとっては、石井先生の本に出会えたことで人生観が変わりました。それまで、ザ・昭和な非科学的な行為を「トレーニング」だと思っていたのでした……(-_-;)(-_-;)

ちなみに、あさよるを変えた石井先生の本は『姿勢の科学』でした。

石井先生の本は正論。マジぐう聖。だから、本当に自分の体を変えたい人以外にはおすすめしません。

筋トレだけで痩せる!

本書『痩筋力』は、筋肉をつけて痩せやすい身体をつくる利点と、その理由、そしてその方法が紹介されている親書です。タイトルの「痩筋力」とは「筋肉をつけて痩せる力」のこと。なんとも頼もしい言い方です^^ もちろん、痩筋力はダイエットのためだけではなく、健康習慣や、歳を取ったとき寝たきりになるリスクを軽減したり、肩こりなど身体の不良も緩和します。

速筋と遅筋

筋肉には「速筋」と「遅筋」という二つの筋肉があります。「速筋」は瞬発力を発揮する筋肉で、遅筋はマラソンなど持久力が必要な活動で使われます。

「痩筋力」では、瞬発力を生む「速筋」を鍛えます。速筋はエネルギーを燃やし、体を温める役割も担っています。だから、速筋がたくさんある人はそれだけエネルギー消費の多い人……つまり「燃費の悪い人」ということ。これは食糧難のときには大きなデメリットとなりますが、「ダイエット」という観点からは、エネルギーが燃えやすい=痩せやすいことなので、多くの現代人にとっては嬉しい力です。

「遅筋」も大事な働きをします。脂肪を燃焼するのは遅筋だからです。

今、糖質制限ダイエットが流行していますね。巷で言われている通り、糖質を「制限する」のは大事なことです。糖質はおいしいですから、食べすぎてしまうんですよね~。だけど「糖質抜き」にはリスクがあります。まず、身体は栄養不足になると「省エネモード」に切り替わります。「痩筋力」である、エネルギー消費増大モードとは真逆です。そして身体は、糖質が足りなくなると筋肉を分解して糖質を確保し始めます。筋肉はエネルギーを浪費する機関ですから、動物としての生き残り策としては、省エネに移行するのは理にかなっています(それが飽食の時代にはデメリットになってるんだけど)。また、食べ物がなくてストレスを感じると、ストレス時に分泌されるホルモンの影響で脂肪が作られやすくなるそうです。

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『大人の教養としてのアート入門』|社会人なら芸術をわかってて当然?

こんにちは。新型コロナの影響で、外出もできなにもず、この機会に読書を通して教養を身に着けたいと思われている方も多いと思います。今回はそんなズバリなタイトルの本を手に取ってみました。

どうせ時間をつぶすなら、自分のためになる時間を過ごしたいですよね。

アートを学ぶ理由

アートって知っていたところで何の得になるの? と思っているなら、一度本書『大人の教養としてのアート入門』を手に取ることをオススメします。理由は簡単、タイトルにもあるように「大人の教養としての」なのです。

アートって、感性や感覚的なものだと思っていませんか? 実は違うんです。アー作品を鑑賞するためには、その作品の裏にある歴史や思想、宗教、作品が作られた時代の社会情勢なんかを踏まえて、読み取ってゆくものなのです。つまり、アート作品は「教養」を踏まえて、読み取ってゆくものなのです。

「アートがわからない!」というのは、イコールで「教養がない」と自分で言ってしまっているようなもの……そう言っても過言じゃないと思います。

前置きが長くなってしまいましたが、「あって当然な教養」をサクッと簡単・手短に教えてくれるのが本書『大人の教養としてのアート入門』なのです。かなりのお助け本!

アートの歴史をざっくり!

印象派前と、印象派後

本書では主にアートの歴史を追いながら話は進むのですが、この「アートの歴史」がなんとも大胆に「印象派より前」と「印象派より後」のたった二つにわけてあるんです。わたしも美術系の本は数冊読んできましたが、こんな分かりやすく大胆な分け方は初めてです。

「印象派」がキーになりますが、たぶん印象派の画家の名前や、絵画作品を知っている人は多いでしょう。モネやセザンヌ、ゴーギャンくらいなら名前を聞いたことがあるでしょう。そして一度「印象派」で画像検索をしてみてください。「見たことある」と思います。

それくらい、印象派の絵画は身近です。だから、食わず嫌いしなくても大丈夫。

「画家の個性」は意外と最近

どうして「印象派」でアートの歴史を分けるかというと、印象派を境に、アートの常識が変わるからです。

アート/芸術というと、「画家が思い思いに作品を作成する」「個性を発揮しあう」「見る人に感動を与える」なんていうイメージがありますよね。だけど、そんなアート像って結構最近になって登場したものなんです。その分水嶺となったのが印象派(19世紀)だというわけ。アートの歴史から見れば、19世紀は最近なんです。

日本のアート

本書『大人の教養としてのアート入門』では、日本の美術についてもページが多く割かれています。日本で生活しているのに、日本の文化を知らないというのも考えものです。これをきっかけに西洋美術だけではなく、日本美術についても知りましょう。

こちらも、葛飾北斎、伊藤若冲なんかは名前は聞いたことあるでしょうし、鳥獣戯画や源氏物語絵巻なら、一度はどこかで見たことがあるでしょう。

そして、日本美術は西洋美術を語るうえで欠かせない存在だったりもします。前述の「印象派」は、日本美術からの影響をたくさん受けているのです。19世紀は世界が小さくなった時代です。日本からもヨーロッパにたくさんの物が輸出されるようになり、その中に浮世絵もありました。ゴッホの絵の中に浮世絵が描かれているのは有名な話です。

美術館へ行こう

本書は実際に美術館へ行ってみようと締めくくられます。今の新型コロナの外出自粛が開けたら、ぜひ出かけてみたいですよね。

東京なら上野一択。西洋美術館は、その建物自体が美術品。一日時間を忘れて美術に没頭してみましょう。わたしも地方在住なので東京へはなかなか行けませんが、都道府県立の美術館に足を運んでみても。

本やテレビで見知っているのと、実際に本物を目にするのは違っています。意外と小さかったり、ショボい作品もあります(笑)。だけど、「なぜこの作品は重要なのか」という文脈が教養なんですね。

自粛空けのために、今のうちに書籍で勉強しておくとよいでしょう。ちょっと知ったかぶりをしちゃうのも良いかもしれません^^

この本もオススメ

世界のエリートビジネスマンたちはアートについて精通しているのは当り前だといいます。繰り返しますが、アートとは、西洋の歴史や宗教、思想などの背景があり、それらを知っていて当然だということ。

ビジネスにおいて、自分の身を置く業界についてわかっていても、世界で通用するためには世界の常識を身につけるべきなのでしょう。

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『天然ブスと人工美人どちらを選びますか?』|あなたのマニアがどこかにいる

こんにちは。あさよるです。光文社新書は、思わず手に取ってしまう煽りタイトルの本が多いですね。目を引き手に取らすという点では秀逸とも言えますが、タイトルと中身が違っていることも多いので、あまり期待をせずにページをめくり始めます(苦笑)。今回手に取った『天然ブスと人工美人どちらを選びますか?』というタイトル。もう、煽りまくっていて「はいはい、いつものやつね~」と読みはじめたのですが、話が二転三転して、予想外の結末に着地して、驚きました。

なにをテーマとしているのかわかりにくかったのですが、あさよるなりにまとめてみました。冒頭で「美人論&ブス論」は「どんな顔の人が書いているか」で印象が変わるという話から始まり、最終章では著者の容姿についての話で終わります。なるほど、著者の「顔」を知らずに読みはじめたときと、「顔」の理由について知った後では、本書の意味がまるで変っているのです。

「美のヒエラルキー」が支配する美の格差社会

本書では、この世は「見た目」が大事な美のヒエラルキーが存在する美の各社社会であるとの前提で話が進んでゆきます。書店では「美人論&ブス論」の本が溢れ、また「見た目」本が持て囃されます。大ヒットした『人は見た目が9割』が代表ですね。しかし、これらの「見た目」本は、容姿が「悪くない」人に向けた本であり、そもそも容姿が優れない人は対象外だと指摘します。

本書では、著者の山中登志子さんは、自らを「外見オンチ」と称しておられます。ここでいう「外見オンチ」とは「天然美人以外」みんなです。山中登志子さんは、10代の頃「脳下垂体腫瘍」という病気を患い、「病気で顔が変わった」という経歴を持っています。「脳下垂体腫瘍」とは、脳の脳下垂体から成長ホルモンが過剰に分泌され、体が過剰に成長し「先端巨大症」とも呼ばれる病気です。山中さんの場合は思春期の頃に発病し、顔や手足が成長し「外見オンチ」になったとの経緯を、本書の最終章にて紹介されています。

元はかわいらしい姿だった著者が病気により「顔が変わってしまった」のち、美の格差社会の中で、編集者として各所で取材を続けてこられたのが、本書です。

「天然ブスが人工美人になる」ことは想定されている

本書では「天然ブスと人工美人のどっちがいい?」という質問を著者が男性に問いかけた結果が紹介されていました。多くの男性は回答を濁し、「好きになった人の顔が好き」という模範解答をする人もいました。中には「人工美人が好き」と答える人もいました。この質問の興味深いことは、「天然ブスがいい」と答えた人はいなかったという結果です。

「人工美人」についても言及されています。人工美人……すなわち美容整形手術で人工的に美人になった人のことです。美の格差社会の中では、美人は持て囃されますが、人工美人には後ろ指をさされるのが現状です。「ブス論&美人論」の本を書いている作家の中に、美容整形手術を受けたことを公開した上で、他人の美醜について言及してる人もいますが、稀な例です。

ふしぎなことに、整形疑惑が絶えない芸能人たちは、整形についてカミングアウトしません。例外として、飯島愛さんが現役時代に整形を発表したくらいだと本書では指摘されていました。他に、プチ整形と言われる、ボトックスやシワやシミ取りを公表するくらいです。それくらいに、「美容整形」は広まっているといえど、未だに「公言しない」ことなのでしょう。

可愛い人が「外見オンチ」になった

美の各社社会では、「外見オンチ」から人工的に美人になることは想定されています。あるいは、「美人でない」ということに奮起して、外見を磨く人もいます。しかし、元々が可愛らしい人が、「外見オンチ」になったという例は想定されていません。まさに、かわいらしい容姿だった著者の山中さんが、病気によって顔が変わり、「外見オンチ」になったことは、想定外。

だから、病気のことを隠していると、男性からは恋愛対象外で、低ランクの女性として接せられ、アケスケに男性同士の下ネタにも参加できることもあるそうです。しかし、病気について明らかにすると、相手は困った様子を見せます。「外見オンチ」の理由が、病気によるものだと分かると、どう反応して良いのかわからないのです。

「外見オンチ」の恋愛、セックス、人生観

本書『天然ブスと人工美人どちらを選びますか?』では、人はどんな顔の人の発言かによって、発言内容の受け止め方が変わる、という話から始まります。巷にあふれる「美人論&ブス論」の本を手に取れば、著者の顔写真を検索し、「この人なら語る“資格”がある」と品定めしていると、著者は言います。

本書も、著者の山中登志子さんの病気については伏せ、著者が自らを「外見オンチ」だと自称していて、執拗に人の容姿についてこだわっているようにページは進んでゆきます。そして最終章にて、著者の「顔が変わった」理由についてネタばらしばなされ「ああ、この人ならこの本を書く“資格”がある」と納得させる構成なのでしょう。最後まで読むと、著者の立場が分かるので、本書に書かれている内容が、また違った意味で読めてしまうからオソロシイのです。

本書では病気で顔が変わってしまった著者による、恋愛やセックス、結婚や人生観も盛り込んで、話が展開してゆきます。バブル真っただ中に付き合っていた彼氏には「1千万円あげるから整形手術をしていいよ」と言われたと回想しています。「ヒューマニズムでセックスさせるな」と言われたこともあるそうです。インターネットが普及してからは、いわゆる「出会い系」で出会った人たちとのエピソードも盛り込まれています。

自分の「顔」が好きか、嫌いか

本書の最後で、山中登志子さんは

自分のからだも顔も、好きとはいえない。でも、嫌いでもない。微妙だ。でも、もっと好きなりたいと思っている。まだまだこの「変わった顔」から課題をもらっている。(p.245)

と結んでおられます。山中さんの場合、編集者という職業柄「人と違う」ことで、自分の存在を覚えてもらいやすいとも書いておられます。

この「自分のからだも顔も、好きとはいえない。でも、嫌いでもない。微妙だ。」というのは、多くの方が共感する言葉でもあるのではないかと思いました。「美の各社社会」とはよく言ったもので、誰もが自分の容姿について、なんらかを感じて生きているのではないでしょうか。

そういえば あさよるも昔、自分の容姿にコンプレックスがあって、他人と真正面から目を合わせられなかったことがありました。恥ずかしくて俯いてしまったり、顔を手で隠してしまったり、今もクセでやってしまいます。他人から容姿について特に指摘された記憶はありませんが、ちゃんと「美人じゃない」と空気を読んでいたのです……。コンプレックスについて、真っすぐ見つめてこなかったから、自分を振り返りつつ、コンプレックスから周りの人に勘違いをさせるような言動をしていたなあと思いました。

本書では、自分の容姿にコンプレックスがあっても、人間には「フェチ」があり、「どこかにあなたのマニアがいる」というのが印象的です。

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『QOLって何だろう』|命の質を自分で決める、そのために

こんにちは。あさよるです。あさよるはここ数年、断捨離・片づけに励んでいるのですが、「QOL」という言葉を知ってから、片づけがひとつ進むたびに「QOLが向上した!」と悦に浸るようになりました。あさよるにとっての「QOL」は、生活のクオリティー、気分よく、機嫌よく毎日を過ごすことでありました。

今回手に取った『QOLって何だろう』では、生活の質の話ではあるのですが、もっとシビアな「命」のお話です。生命倫理を一緒に考える内容です。

明快な答えが用意されているものではないので、読んだらモヤモヤとしてしまう読書になるかもしれません。だけどそのモヤモヤと向き合って生きることが、QOLを考えることにつながるんだと思います。

「幸せ」ってなんだろう

本書『QOLって何だろう』は、「幸せ」とはなんだろうかと考え込んでしまうものです。現代日本では、高度な医療に誰もがかかることができ、「人生100年時代」なんて言われるくらい長寿が叶っています。ヒトにとって、医療にかかれる、長生きができるとは、これ以上のない幸せが到来している時代だと言えるでしょう。

そこでわたしたしは「どう生きるのか」「幸せに生きるとは」と新たな課題に直面しています。本書『QOLって何だろう』は10代の若い方たち向けに、医療現場で直面する「命」や「幸せ」「意思」を問いかけるものです。若い世代ほど「老い」や「病」がまだ遠いものである方も多いでしょうから、なおさら大切な問いかけです。

「QOL」とは

「QOL」とは「Quality of Life」の略です。。

 Quality of Lifeは、その「よさ(質)」を問います。
「生命の質」と言えば、生きることの意味や価値が問われ、人間の生命の尊厳や、苦痛のない「いのちの状態」が問題となります。
「生活の質」と表現すれば、病気を抱えながらも、できるだけ普段通りの生活を送れることや、自立して生きられること(これは人間の幸福感の源です)を目指そうとし、「人生の質」と言えば、その人の「生きがい」、自分らしく生き切ること、自分の人生観に沿った生き方が実現できるかが注目されます。
つきつめれば、QOLは、そのいのちを生きる本人にとっての「幸福」や「満足」を意味しているのです。

p.9-10

「病気をしても、いつも通りに生活したい」「自分らしく生きたい」と願い、幸せに生きられる「質」の向上が求められています。「畳の上で死にたい」とか「最後は自宅で」と願う人は多いですし、延命治療をどこまで受け入れるのか、どこでやめるのかは、本人にも、また家族にとっても重大な決断になります。

同時に、医師や看護師、介護士らにとっても、クライアントのQOLは重大です。患者の願いを優先するのか、医療を施すべきなのか、悩みが生まれています。

医療の進歩が「QOL」をもたらした

かつて伝染病が蔓延し、たくさんの人々が死んでいった時代、個人のQOLよりも、患者の治療や隔離が重大でした。ことによってはパンデミックを引き起こし、国の存亡にまで関わることだからです。また、医療が十分に発達していなかった時代には、治療を受けることがリスクになることもありました。例えば麻酔がなかった時代や、抗生物質が発見される前の時代は、治療を受けない人もたくさんいました。

QOLは医療が十分に発達したことで、直ちに治療、隔離しなければ他の人の命にかかわるような環境から社会が脱したことによります。医療の進歩が、QOLの概念をもたらしたのです。

医療の進歩が「QOL」を難しくした

同時に、医療の進歩がQOLの判断を難しくしました。余命宣告をされ、手術により延命できるとき、それを受け入れるのか。認知症高齢者は、入院によって体力が落ち、寝たきりになることがあります。治療とにって食事が困難になるならば「おいしいものを食べたい」という欲求の、どちらを優先すべきなのか。

どれも答えのない問いです。本書ではたくさんの実例が紹介されています。

アメリカで起こった「リナーレス事件」では、生後7か月の子どもが風船を誤飲する事故を起こし、一命はとりとめますが、脳を損傷し自発呼吸ができず、意識も回復しないと告げれました。人工呼吸器につながれた息子を前に、父親は「息子の魂を自由にしてほしい」と人工呼吸器を外すよう頼みますが、医師は断ります。当時の考えでは、人工呼吸器を外すことは「殺人」に当たると考えられていたためです。8カ月ものあいだ父親は苦悩し、ある日ある決断をします。銃で医療者を脅し、誰も病室に近寄れないようにして、父親自らが人工呼吸器を外したのです。そして我が子を抱き、命が失われるのを確認してから、泣きながら自首をしました。

当時「延命治療がもたらした悲劇」として話題になったそうです。

本書ではこう考察されています。

 おそらく、彼は、息子のいのちが「生かされている」状況を見て、延命による生とQOLとのギャップを感じていたのではないでしょうか。それは、このような状態で生き続ける息子の「生命の質」は低いという、QOLの判断です。
その判断をもう少し抽象的にすれば、確かに生命は尊いけれど(息子の生命は自分にとってかけがえのないものだけれど)、その生命の状態によっては、生きるに値しない生命もあるということになります。

p.114-115

本来ならば、何が幸せで、何が活きるに値するかのQOLは、本人の意思によって決められるべきです。他の人が見て「あの人はQOLが低い」「あれは生きるに値しない」と決めることではありません。親であっても、我が子の命の判断をしても良いのでしょうか。

植物状態で意識もないと考えられていた人が、肉体が一切反応もなく動かないだけで、全くクリアに意識があった事例が話題になりました。その後、植物状態だと考えられていた人を検査しなおすと、同じような人がたくさん見つかったそうです。動かない肉体の中に、意識が閉じ込められた状態だったというわけ。タブレットを使って意思の疎通が取れるようになった人の話では、医師と家族とのやりとりなど、鮮明に覚えており、ずっと意識がハッキリとしていたといいます。

意識のない人や、QOLの判断ができない状態の人のQOLを、誰が決めるのかについて「生命倫理学」では統一見解がないそうです。

本人のQOL、家族のQOL

認知症で徘徊のある高齢者が骨折をしたとき、家族は「寝たきりのままでいい」と判断することも少なくないそうです。病気や怪我の本人のQOLのみならず、その人を介護する家族のQOLも絡んできます。

本書では羽田圭介さんの小説『スクラップ・アンド・ビルド』のエピソードが紹介されます。主人公は祖父が「自然死」を望んでいることから、祖父の身の回りの世話をなにもかも勝手出ます。祖父を「なにもしなくていい」状態に置き、体力を低下させ、判断力を失わせ、自然と死に導入させられると考えたからです。一方で、主人公の母は「皿は流しに持っていきなさい」「自分でなんでもやらなきゃ寝たきりになってしまうから」と、祖父に厳しく当たります。母には母の思いがあります。

祖父は自分のことを「早う死んだらよか」と言っていたのに、ある時お風呂場でバランスを崩し、主人公に助けられ「死ぬとこだった」と安堵します。その言葉を聞いて主人公はめまいを感じます。「早く死にたい」と望んでいた祖父が「死ぬとこだった」と言うからです。どちらが祖父の本音なのでしょうか? ……たぶんどちらも祖父の本音でしょう。

スクラップ・アンド・ビルド (文春文庫)

また、家族も「自宅で自然死してほしい」と願っていても、同時に「少しでも長く生きてほしい」と願ってもいます。自宅で死を迎える準備をしていたのに、いざ親や配偶者が目の前で発作を起こすと救急車を呼んでしまう人も少なくないそうです。そして、「もう一回話がしたい」と、「もう一回」を望むのです。

若い世代には馴染みのない話題をやさしく

本書『QOLって何だろう』は、ちくまプリマ―新書で、10代の人でも読めるように構成されています。副題に「医療ケアの生命倫理」と謳われていますが、若い人ほどまだ「病気」や「老い」に縁遠い人も多いでしょうから、多くの事例や例を挙げて紹介されています。

2016年の相模原障害者施設殺傷事件では、事件が海外でも報道されました。

 私はこの事件について新聞の取材を受けた際に、記者の方といろいろとお話したのですが、そのとき、つくづく感じたのは、この事件に対する、海外の反響と日本のそれとの大きな違いでした。
欧米では、優生思想に対して、世論がとても敏感に反応します。今回の事件でも、米国ホワイトハウスやローマ教皇は、すぐに声明を出しました。
ローマ教皇・フランシスコは、同日、事件で人命が失われたことに「悲嘆」を表明し、「困難なときにおける癒し」を祈り、日本における和解と平和を祈願していました。ホワイトハウスでも、プライス報道官は「相模原で起きた憎むべき攻撃で愛する人を殺害されたご家族に、米国は最も深い哀悼の意を表する」という声明を発表しました。
しかし、日本では、障害者がターゲットにされた事件だということに対して、国民の当事者意識が低いように感じられます。精神的に問題のある一人の男性が起こした凶悪事件という認識にとどまり、彼に「障害者はいなくなればいい」と言わしめてしまった社会のあり方や、いのちの尊厳について、根本から問い直すという問題意識が、希薄なのではないかと思えてなりませんでした。

p.16-17

日本は高齢社会ですから、これからますます「どう生きるか」「どう死ぬか」「幸せとはなにか」に社会は直面するでしょう。にもかかわらず、一般にはまだQOLの考え方は広まりきっていないですし、「命は誰が決めるのか」と議論する土壌すらまだないのかもしれません。

本書は、若い世代へ向けた生命倫理について問いかけるもので、明確な「答え」は存在しません。本人の意思だけでなく、苦悩する家族や医療者にも共感してしまい、答えが見つけられない人も多いでしょう。

幸せは自分で決める

あさよるは昔、路上で気分が悪くなって救急搬送されたことがあります(;’∀’)> その時に始めて「救急車の乗り心地は悪いんだなあ」と知り、カーテンで仕切られた処置室の天井を眺めながら「ここで死ぬのは嫌だなあ」としみじみ思いました。「最期のときは自宅で」と望む人がたくさんいる理由を痛感したのでした(ちなみに、今はもう元気っす)。

誰も病気になりたくないし、怪我や事故に遭いたくはない。叶うならどうか、静かに自宅で家族と一緒に居たいと願うのはおかしなことではありません。だけど、病や事故は突然やってくるもので、願いが叶わない人もいます。

今回、記事中ではかなりギリギリな例を挙げましたが、誰もがいつか最期の瞬間を迎えます。その時自分は「どう生きるのか」「どう死ぬのか」「何が幸せなのか」と考えることは、悪いことではないでしょう。

しかし、自分で選択するとはつまり、責任は自分が持つということでもあります。これまでのように「医師にお任せ」ではなく、自分の意識を持つことが迫られているとも言えます。自分の命の行く末を家族に決めさせるのも、それはそれで酷な話だろうと思います。やっぱり、自分でよく考えて、自分でよく調べて、家族に話しておくべきことじゃないかと思いました。本書はその助けとなる、最初の一冊になるでしょう。

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ハッカーにあなたは利用されている?『サイバー犯罪入門』

『サイバー犯罪入門』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。あさよるは自宅のネットワークを構築したいのですが、よくわからなくて頭を悩ませております。接続が不安定なのも困っていますし、セキュリティが弱いので、なんとかしたいのですが、なにがなんやらなのです。ちゃんと勉強しなきゃなあということで、とりあえず簡単に読めそうな『サイバー犯罪入門』を手に取りました。

本書はサイバー犯罪について啓蒙する内容で、読了後、あさよるもしっかり啓蒙されて「ネットワークのセキュリティちゃんと設定しなきゃ!」と焦り始めています(苦笑)。内容も、多くの人に理解できる文章で書かれており、「すでにもう被害に遭ってるかもしれない」サイバー犯罪につて意識を高める良書でした。

まず、本書ではサイバー犯罪を行う人々を「ブラックハッカー」とし、「ハッカー」と呼ぶとき、この「ブラックハッカー」を指しています。ここでも本書に倣ってサイバー犯罪を行う「ハッカー」と呼ぶことにします。

まずはサイバー犯罪への意識を

本書『サイバー犯罪入門』は、サイバー犯罪への対策を講じるものではありません。なぜなら、そんなことをしてもあっという間に情報は古くなり、「使えない情報」になるからです。そこで、本書は「サイバー犯罪への意識を高める」ことが目的とされています。

まず知っておくべきは、誰もがサイバー犯罪の標的になりえること。そして、残念ながら今の日本はサイバー犯罪の対策はとても万全とは言えません。2020年の東京オリンピックに向けて、東京の街では公衆Wi-Fiの設置が急がれているようですが、それはサイバー犯罪を企てる人々にとっても都合のよい整備になるかもしれません。

わからないまま報道するマスコミ

サイバー犯罪がテレビや新聞のニュースになることもありますが、マスコミもサイバー犯罪について熟知しているとはいいがたく、よくわからないまま報道しているのが現状です。

 多くの報道内容を確認していくなかで、プレスリリースをインターネット翻訳しただけのような、どの角度から読んでも全く理解できない文章を多々見かけることとなった。用語が混同されていたり、製品名とプロトコルの名称が混同されていたり……というのが主な要因だと思われるが、残念なことに、大手報道機関の文章にも、そういった誤りが散見されたのである。
だが、これも仕方ないと言えなくもない。というのも、もはや、単に「ITに詳しいだけ」ではサイバー犯罪やセキュリティについて読み解き、説明をしていくことは難しい、というのが実情だからだ。

p.27

例として、自動車のハッキングについて理解するためには、

自動車に関する基礎的な知識、自動車のIT化に関する知識に加え、ハッキングに関する知識やネットワークに関する知識なども総合的に必要となる。そのため、いずれかの領域の専門家であったとしても、全体像を正確に理解することは容易ではない。(p.27-28)

その事件について理解すること自体に時間がかかり、またそれを一般に向けてわかりやすく説明することは難題です。報道がサイバー犯罪について正しく扱いきれていないのも納得です。

盗まれていも気づかない!?

本書では紹介されているサイバー犯罪の例が紹介されているのですが、印象的なのは被害者たちは「サイバー犯罪に巻き込まれていることに気づかない」とうことです。

預金残高が1億円以上ある銀行口座から、3%を上限にこっそり抜き取る手口が紹介されていました。

日本円換算でおよそ1億円以上の預金残高がある銀行口座から、最大で3%(1億円の預金残高がある場合、300万円)ずつを上限に、こっそりと抜き取ってしまうという方法を取った。しかも被害者のブラウザには「抜き取られる前の残高」が表示されるようにハッカーが細工した偽画面が表示されるため、すぐには被害に遭ったことに気付けない。

p.46

「3%だけ」というのが巧妙で、何かの拍子に少しだけ残高が減っていることに気付いたとしても、「何かの手数料を差し引かれたのか」程度にしか考えず、発覚に時間がかかります。

また、「マルウェア」と呼ばれる、不正にコンピュータやシステムをハッキングするためのソフトウエアが、自分のパソコンに侵入していたとしても、なかなかそれに気付かないそうです。また、ハッキングの対象はパソコンやスマホのみならず、冷蔵庫や自動車、街中の監視カメラがハッキングされているかもしれません。

サイバー犯罪において日本はとても魅力的

サイバー犯罪はもはやSF映画の世界のではなく、スパイ映画さながらのハッキングが日常で起こっています。ある人にとってはそれは寝耳に水のような話であり、別の人にとってはもはや常識かもしれません。サイバー犯罪に対してのリテラシーには人によってかなりの差があります。

残念ながら、日本は国も大企業もとてもサイバー犯罪への対策ができているとは言えません。ハッカーたちは強固なシステムを狙いません。彼らは、どこか〈弱い〉ところを探し当て、弱点を突いてシステムに侵入します。日本はサイバー犯罪への対策が広まっていないため、弱点だらけということです。

たとえ大企業が、自分たちの持っている情報を守ろうと強固なセキュリティを作っても、その企業へ出入りする下請け企業のどこかに弱点があれば、そこからハッカーがシステムに侵入することも十分考えられます。

映画のような、建物を爆破したり、自動車をハッキングし遠隔操作することも、フィクションではなくなります。

「わたしは狙われない」はない。その理由

『サイバー犯罪入門』挿絵イラスト

「ハッカーにとって日本は魅力的な市場である」と聞いても、「わたしのスマホorパソコンは大丈夫、だって大したデータが入ってないし」と考える人がいれば、それは間違いです。ハッカーは、あなたに興味がなくても、あなたの知り合いに興味があるかもしれません。あるいは、あなたの知り合いの知り合いの知り合いの……と、あなたを踏み台にして、他の人の情報を欲しがっていることがあります。

誰もが狙われる理由として「六次の隔たり(six Degrees Separation)」というものが紹介されていました。

「人は自分の知り合いを6人以上介すと、世界中の人々と間接的な知り合いになることができる」という仮説のことであり、知り合いの知り合いを6回たどれば世界中の人とつながることができるという。(中略)
試しに計算してみよう。
あなたの知り合い44人から、さらにそれぞれの知り合いの44人と言う具合にたどっていくことを数式に表すと「44人の6乗」となる。44人の6乗は、7,256,313,856人。すなわち世界の人口(国連による2013年の統計で約72億人)と同じくらいの人数がそこには存在することが分かる(ただしこの場合、理論上では、最初の44人と次の44人、そしてその先に繰り返している44人ずつはそれぞれが互いに重複してはならない)。
つまり、あなた自身が重要な情報を持っていなかったとしても、あなたの友人やそのまた友人を何人かたどってゆくことができれば、重要な情報を持った人物にたどり着ける可能性が極めて高いということだ。
もしあなたに情報的な「価値」がなかったとしても、あなたには「利用価値」があるのだ。

p.39-40

ハッカーはシステムの弱い部分から狙います。もしあなたが、サイバー犯罪へのリテラシーが極めて低いなら、ハッカーにとって「利用価値」があると判断されかねません。

正直、どうしていいかわからない……

本書『サイバー犯罪入門』を読んで、サイバー犯罪は他人事ではなく、自分も狙われるかもしれない……というか、すでに被害に遭っているのかもしれないと知り、冷や汗をかきました。何が恐ろしいって、「それを知ったところで、どう対策していいかわからない」というのが正直な感想だからです。

本書は先に述べたように、具体的な対策を指南するものではく、サイバー犯罪について啓蒙することが目的の本です。とても平易な表現を使い、多くの人が理解できる言葉や例を挙げながら、今、われわれが晒されているサイバー犯罪について紹介されています。セキュリティ、ハッキングについて右も左もわからない、全くの素人にとって、本書は良書でした。

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