新書

感想『武器としての交渉思考』|いま、その場で、動き出せ!(目次情報アリ)

こんにちは。お小遣いの交渉もできない子ども時代を過ごしたあさよるです。

これは長子にありがちな「与えられて当然」のふわふわした感じだったのかもしれません……2つ下の妹は、いつもちゃっかり大人たちから小銭をせしめていたし……。

「与えられて当然」の子ども時代は終わりました。

そして大人になった今、「与えられて当然」の時代が終わろうとしています。

交渉術が今後生き抜く術なのだなぁ……と痛感する読書でした。

交渉?なにそれおいしいの?

あさよる、交渉に縁のない人生を送ってきました。マジで、「努力していれば伝わるハズ」「結果を出せば評価されるベキ」と信じていました。はい、信仰のように信じていました。

ですから、人と「交渉する」というステップがスコーンと抜け落ちていました。むしろ、口先だけで結果を得ようとする悪しき行為!とさえ思っていました。マジ信仰だった気がする……ちーん。

これって、神様みたいな存在がいて、自分の努力や頑張りをジャッジして、公正に評価と対価を配分されるんだ、それが当然だ!権利だ!という考えが元にあったと思います。マジ信仰でしょ?

『武器としての交渉思考』。あさよるの浅はかな考えを思い知らされ、見事打ち壊される内容でした。

(……一応、アンチ交渉思考はすでに卒業し、今は考えが変わっているつもりでした。が、ガツンと来ました……)

交渉のキホン

『武器としての交渉思考』は、学生や若い世代に向けられた書籍です。

これから社会へ出ていく、世間知らずな10代、20代向けですから、すでに世間擦れした大人たちにとっては常識かもしれませんね。

交渉のキホン。自分の利益を求めるのではなく、相手の利益を提示してあげる。交渉相手に得をさせてあげると、交渉は進む。

以下、あさよるが『武器としての交渉思考』で覚えた言葉。

「バトナ」と「ゾーパ」

3章からは、交渉のテクニックが紹介されます。

「バトナ」は、交渉時、相手の提案以外の選択肢で、最も良いもののこと。他の有利な選択肢を用意することで、余裕を持って交渉に挑めます。

「ダメなら他にしよう」。この余裕は、交渉時に欠かせません。

雇用状態が悪くても「貯金がないから転職できない」「次の仕事がないから辞められない」というのも、バドナがない状況なんですね…。

相手のバトナを限定して提示することで、交渉を有利に進めることもできます。

例として、警察の取り調べが紹介されていました。無罪を主張する容疑者に「どうせ有罪だ。否認すれば刑が重くなるぞ。早く認めれば軽く済むぞ」とミスリードした二択を提示します。

「ゾーパ」は双方が合意できる範囲です。ゾーパの範疇で、得しすぎず損しすぎずちょうどいい所を探します。

「アンカリンク」

「アンカリンク」は最初の条件提示のこと。最初の条件をどう提示するのかによって、交渉の行く先が変わってゆきます。

例としてのお話。アメリカの大統領選で、候補者のポスターが刷り上がってから、カメラマンから写真の許可を取っていないことに気づきました。普通に交渉すれば、とんでもない額の報酬を支払わねばなりません。どうする?

選挙対策委員長は、カメラマンに電話をかけ、あなたの写真を選挙ポスターの候補になっている。しかし他にも候補はあるから、あなたが選ばれるためには選挙資金が必要だ。いくら払える?

こんな交渉をするんです。資金を支払わなければならない側が、アンカリンクを資金を受け取る交渉にしているんですね。すげー。

最初に提示されたアンカリンクに、その後もズルズルと引きずられてしまうので、相手にアンカリンクを仕掛けられた時に対応しなきゃなぁと思いましたw

相手が同レベルじゃないと成り立たない!?

『武器としての交渉思考』の終盤、まる一章を使って、非合理的な人間との交渉術が紹介されます。感情的になったり、思い込みやこだわりを重視して、非合理的な答えを導き出しちゃう人との交渉です。

しかし、それでも「話のわかる」相手との交渉です。

あさよる、ショッキングでした。いや、当たり前なんですが、交渉って、少なくとも会話によるコミュニケーションが成り立つ相手と行うものなんだなぁって……当たり前すぎてすいません><

自分に相応しい交渉相手と交渉すべきです。そのために自分の立場や、自分の環境を変えてゆかねばなりません。

いま、その場で、動き出せ!

『武器としての交渉思考』は、若者へむけられています。この世界を生き抜くための「武器」を与えているのです。

しかし「武器」と言っても物騒なものではありません。「交渉」とは話し合いであり、コミュニケーションであるからです。

暴力ではなく、話し合いで決着するための「交渉」は、身につけておくべき力でしょう。

さらに、最終章には〈いま自分のいるその場で「秘密結社」を作れ〉と、熱いメッセージ。

あさよるも、いま自分のやるべきことをやろう。もっとやろう!興奮して力がムクムク湧いてきました。

何をすべきなのか、最後の最後でヒントがあります。

自分自身が、自分の今いる場所で小さいながらも集団をつくり、そこでリーダーとなっていく。

たったこの一文ですが、本書『武器としての交渉思考』一冊を通して著者が伝えたかったことに触れた気がします。

関連記事

続きを読む

『だから、新書を読みなさい』|ググらない!広く浅く情報源

新書を読む大人に憧れていた あさよるです。

書店の新書コーナーって、いつも静かで落ち着いていて大人のイメージだったんですよねw

ググらず新書を読め!

『だから、新書を読みなさい』の表紙はマンガのようになっています。

企画書を作るためネット検索で情報収集をするも、良い情報にたどり着けない人。世間の波をつかむために、ベストセラーを手に取る人。

だけど、ネット情報って、同じワードで検索すれば同じような記事がヒットします。「自分だけの」「オリジナル」の切り口や情報に出会うのは意外と難しい。

「売れているから」という理由でヒット本を読むのは、結局は周りに流されているだけなのですが、「自分が情報を掴んだ」「自分の考えだ」と勘違いしちゃうことがあります。

そこで、著者・奥野宣之さんは新書をおススメするのです。

企画書のネタ探しは、ググらずに新書を読む。

ベストセラーを追っかけるのも構いませんが、目まぐるしく入れ替わっていく話題作ではなく、細く長く読まれる新書にも目を向けてみましょう。

この本は新書じゃないの?w

どーでもいいツッコミなんですが、この『だから、新書を読みなさい』は新書じゃないんですよね。まぁ、『だから、新書を読みなさい』なんてタイトルの新書があったら、ただの宣伝ですからねw

あさよるは個人的にこの『だから、新書を読みなさい』と同じ、ハードカバーじゃない単行本が読みやすくて好きです。

新書って、レーベルごとにシリーズで刊行されているものですから、本書のような、本の読み方シリーズは新書っぽくないのかな?

広く浅くザッピング読書

『だから、新書を読みなさい』で推奨されている読書は、広く浅く情報収集としての読書です。

Google検索で情報を集めたり、新聞を何誌も購読して情報を集めるのはやめて、まずは入門書としての新書を読みこなしましょう。

一冊の新書をじっくりと読むのではなく、3冊一緒に読み進め、どんどん貪欲に情報収集です。

新書の著者は、学者、研究者も多く、その分野の最新の知識のエッセンスが、誰でもわかるように平易に紹介されています。

本を読むだけで人とは違うんです

Google検索は、同じワードで検索すれば同じような記事がヒットしてしまいます。

新聞を読んでも、結局みんな同じ紙面を読んでいます。テレビも同様です。

他人とは違うアイデアを得るためには、日ごろから人とは違う情報収集が必要です。そのために手っ取り早いのは「読書」なんですね。

新書も全国で販売されるシリーズですから、みんな同じ情報に触れているように思いますが、それでも新聞やテレビにくらべると、ずっと読者数は少ない。

しかも「どの本を読むか」という組み合わせは限りがありません。オリジナルなんですね~。

『だから、新書を読みなさい』の著者はベストセラー『情報は1冊のノートにまとめなさい』であり、情報を探し収集し、それをノートにメモし、保存し運用するまでの一連を「読書」と仰っているのも特徴的。

「読んで終わり」じゃないんです。

そして、読書って、「本を探してくる」というステップが意外と大変(苦笑)。本をチョイスするとき「新書を読む」と絞っておけば、膨大な書店の棚の中から、新書に絞って探すことができます。

実践されている方も多いと思いますが、個性的で面白い読書法だなぁと思いました。

関連記事

続きを読む

熊代亨『若作りうつ』が描く未来 心の健康への取り組み

『「若作りうつ」社会』の冒頭で、精神科医の著者・熊代亨さんの元へやってきた患者さんのエピソードから始まります。

Cさんは仕事と子育てをソツなくこなす女性で、合間には趣味も楽しみ、社内で尊敬を集める人でした。しかし、ある時から睡眠や食事がうまく取れなくなり、心療内科で「うつ病」と診断されました。

治療により病状は改善しましたが、彼女は納得しません。朝から晩までスケジュールが詰まった、エネルギッシュで充実した“元の生活”に戻られないからです。

年の取り方がわからない

「若い頃と同じように頑張りたい」と主張し、自身の加齢を受け入れることに抵抗を感じています。

「老いを受け入れられない」

アンチエイジングがトレンドの21世紀。多くの人が抱えている問題です。

世代が分断された社会

かつての日本社会は、良くも悪くも様々な世代が関わり合って生きていました。

監視し合い、古い風習や価値観に支配された生活であった一方で、生まれる人、老いる人、病気になる人、死ぬ人。人間のさまざまなステージの人々が一つのコミュニティに交じり合っていました。

現代は、地域社会や因習から解放された一方で、孤立した世帯は、他の世代と隔絶されてしまいました。

「年の取り方がわからない」とは、自分たちの先を行く人々を見失ってしまった世界です。

70代に差し掛かる団塊世代も、自らを「老人」とは感じていません。いつまでも若々しく、老いのない世界は夢のような世界ですが、残念ながら存在しない世界です。

現実と願望のギャップにより、じわじわと苦しむのが現在人なのかもしれません。

誰も何も言わなくなった

アンチエイジングは超人気です。テレビをつければ次から次へと健康食品のコマーシャルばかり。

何を口にするのも人の勝手ですが、それにしても、買う人がいるからテレビで宣伝してるんですよねぇ……。

と、「人の勝手」というのも、現在人が陥っている落とし穴になっています。

赤の他人である友人知人が、怪しいげなものにハマっていても「人それぞれだし」「人の自由だし」と積極的には口出ししません。

ムラ社会的な相互監視の世界から抜け出した我々は、気軽になった半面に、間違った方へ進もうとしても誰も引き留めてはくれなくなりました。自由と責任、両方を手に入れたんですね。

本書『「若返りうつ」社会』の「第二章 誰も何も言わなくなった」は静かにゾツとする話でした。

父親不在の社会

「年の取り方がわからない」社会は、「モテ」が力を持つ社会です。

小さな子どもは、一人で生きてゆけませんから、大人から「愛され」ることで生存率を確保できます。ここでいう「愛され」とは、容姿が優れていたり、コミュニケーション能力が高いことです。

簡単に言やぁ、かわいらしい、愛らしい子どもが可愛がられるという、身もふたもない話なんすが……(;´・ω・)

かつてのムラ社会では、多少コミュニケーション能力が低い子も「みんなの子ども」「社会の子ども」という認識がありましたから、なんとかやっていけました。

しかし、現在は個人と社会が遮断されていますから、生まれ持ったかわいらしさ(容姿)か、コミュニケーション能力がないと、かわいい子どもになれません。

いつまでも「愛され」たい

そして、年の取り方を忘れた社会は、大人たちもいつまで経っても子どもの世界にいます。容姿が優れ、コミュニケーション能力の高い「愛され」「モテ」こそが社会を生き抜く力なのです。

……なんか自分で書いてて冷や汗しか出ないんだけど(;’∀’)

で、自分の「愛され」「モテ」要素を受け入れてくれる「母性」を求めている。

一方で、現在は父性不在の社会でもあります。

戦後の経済成長とともに、父親は朝早くにはるばる遠くへ出勤し、夜遅くに帰宅する、家庭にいない人物になりました。子どもから見ると、父親が毎日なにをやっているのか分かりません。

「仕事をしている」「働いている」とは言っても、具体的に何をしているのか分かりません。実際に育て、養育してくれるのが母親ですから、母性が力を持つのも頷けます。

社会の構造が変わったことで、家庭内の形まで変わり続けています。そして、新しい社会像、家族像をなかなか描けず、終わらない子ども時代を過ごしているのが現代なのかもしれません。

……って、エヴァンゲリオンみたいな話やないか!

(「第三章 サブカルチャーと年の取り方」は、オタクと年を取れない我々のお話で、他人事とは思えません)

「老い」と「死」をどう受け入れる

「年の取り方がわからない」世界は、「老い」と「死」のない世界です。

しかし、実際に現実には我々人間は日々刻刻と年を取り、老い、死に近づいてます。観念世界と現実世界の隔たりこそが、苦しみや、居心地の悪さを生んでいるように思いました。

個人的な話ですが、あさよるの祖父母はみな早く他界していて「老人」というものを知りません。

街中で出会う高齢世代の人たちは、みなさんハツラツとしてらして、元気いっぱいで何度目かの青春を謳歌しているように見えます。または、まだまだ現役世代バリに働く人たちばかりです。

これから両親も老いてゆくのでしょうが、「老いた人」を側で見たことがありませんから、「老人」がどのようなものか、あさよるにはロールモデルがありません。それは、自分自身が老いてゆくイメージがないことです。

あさよるもまた、現在人の一員として自らの「老い」や「死」を持っていない一人なのでしょう。

関連記事

続きを読む

『池上彰の宗教がわかれば世界が見える』|社会、外交、世界を考える

こんにちは。テレビで池上彰さんを見かけると、思わずお話を聞いてしまう あさよるです。

テレビでの池上彰さんしか知らないので、著書も読んでみたいなぁと『池上彰の宗教がわかれば世界が見える』を手に取りました。

世界の宗教を通じて、信仰を考える

本書、『池上彰の宗教がわかれば世界が見える』の冒頭、著者・池上彰さんが「宗教」の働きが定義されます。

 私は、宗教を考えることは、よく死ぬことだと思っています。宗教は「死のレッスン」と言った人もいます。つまり、どう死ぬかという予習なのです。
(中略)
死の予習をすることが、よりよく生きることにつながる。それが宗教を考える意味だと、私は思っています。

『池上彰の宗教がわかれば世界が見える』p.66

「宗教を考えることは、よく死ぬこと」「死の予習をすることが、よりよく生きること」とあります。

宗教とは「死」を考えること。それは「生」を考えることでもある、というのです。

ですからタイトル『池上彰の宗教がわかれば世界が見える』にある「宗教」とは「死がわかれば世界が見える」「生がわかえば世界が見える」という意味に解釈できますね。

じゃあ、ここでいう「世界」っていうのは、「現世」とか「この世」とかいう意味でしょうか。

誰のための本?

なんでタイトルにこだわっているかというと、この本、なかなか難解なんです。

一読すると、タイトルと、冒頭の文言、そしてその後に続く専門家との対談、それぞれがちぐはぐに感じるのです。

というか、あさよる、正直さっぱり意味が分かっておりませんw

タイトルも興味深いし、池上彰さんの冒頭の第一章は面白い。そして、対談の内容も悪くはない。しかし、3つの要素がどう関連しているんだろう??

対談の内容も、池上彰さんが各宗教者から“何かを聞き出そうとしている”感じがするんですが、何を聞き出したのかわかりませんでした><

最終章でも、結論として“何かを言おうとしている”と匂わせている感じがしますが、上手くくみ取れませんでした><

世界三大宗教+神道+科学

と言いつつ、やはり対談が何といっても興味惹かれます。

世界三大宗教である、仏教、キリスト教、イスラム教と、神道に詳しい識者との対談です。

「仏教」「キリスト教」等と一口に言っても、宗派もたくさんありますし、そもそもそれぞれ専門書がいくらでも書けるような内容です。

たった一冊の新書で、これだけ複数の要素を扱っているので、ライトな内容ではあります。

が、これだけディープなら十分じゃない!?と思います。

辞書引きながらとか、ワード検索しながら読まれる方も多いはず。注釈も特にないので、分かっている人にとっては基本的なことなのかな?とも思います。

さらに、宗教家だけでなく、最後に科学者である養老孟司さんが登場するのが、いいなと思いました。

宗教、信仰の話題を身近なものに

本書『池上彰の宗教がわかれば世界が見える』この一冊を読んで、宗教の世界がわかるようにはなりません。

しかし、我々は「宗教」「信仰」の中にいます。

日本人には「無宗教」だと自称する人が多いですが、本書に登場する宗教家+科学者は、口をそろえて、日本人ほど信仰が深い人はいないと言います。

もう、私たちは信仰を意識しないくらい、息をするのと同じように信仰を持っているんです。

そして、信仰は行動規範となり、社会を形作っています。信仰を考えることが、今の日本の社会を考えることなのかもしれません。

『池上彰の宗教がわかれば世界が見える』は、社会や政治、外交を考える上で、意識しておきたい「宗教」の話を、意識させられる本だと思います。

関連記事 池上彰さんの本

続きを読む

『なぜ皮膚はかゆくなるのか』|かゆい→掻く→気持ちいい→掻く→かゆい

こんにちは。体がかゆい あさよるです。

先週の週末、久々に軽い蕁麻疹が出て、全身掻きむしってしまいました。

痒みから気を紛らそうと、図書館に出かけ『なぜ皮膚はかゆくなるなるのか』という本に出会った。こんな今の自分にピッタリくる本なんてそうそうないぜ!w

「痒み」とはなんだ?

あさよるは幼いころから皮膚のトラブルに悩んでいました。アトピーもあったし、今もアレルギーが強い(;´Д`)

しかしそういえば「かゆみ」について何も知らないことに気が付きました。「かゆい」って感覚は、どこから来るの?

『なぜ皮膚はかゆくなるのか』では、多くのページ数を使って「かゆみ」のメカニズムが紹介されています。

かゆみとは原始的な感覚で、痛みと比べるとトロい。痛みとかゆみを同時に感じると、痛みが優先されます。時間が経って痛みが引くと、かゆみだけが残ります。

また、かゆみが伝わるスピードは痛みに比べるととても遅いのに、かゆみは周りの神経まで刺激し、どんどんかゆみは広がります。

そして、かゆみの厄介なところは、かゆみを感じ、掻くと「気持ちいい」。「かゆい」→「掻く」の動作をすると、快感が得られるので、ますます掻くことがやめられない。かゆいから掻く、掻くと気持ちいい、気持ちいいから掻く、掻くとかゆくなるの繰り返しです。

注)医学書ではない

ちなみに本書、PHP新書のシリーズですから、医学書ではありません。

もちろん、著者は皮膚科医であり、医学的見地から書かれたものですが、医療や治療のための本ではなく、教養を目的としたものです。

ですから、実例よりも「かゆみ」という感覚についてや、皮膚の内側で何が起こっているのか、詳しく紹介されていることで、好奇心がより刺激されます。

生物学的な話もたくさん登場してオモシロイのですが、適当な紹介ができないので割愛させていただきます(^_^;)>

あさよるは、「かゆみ」という独立した感覚があることを知りませんでした。また、神経伝達物質はたんぱく質なので、温めると分泌が促進されてしまいます。冷やし方がいいというのも知らなかった。

アトピー患者の中で、幹部に熱いお湯をかけるとかゆみが弱まるという人もいるそうですが、間違った対処です。熱や痛みを加えることで「かゆみ」は一時的に弱まります。しかし、かゆみの根本原因を根絶しない限り、その場しのぎにしかなりません。

掻きむしりや、熱を加える、痛みを加える行為は、まさに自傷行為であることも知りました。

医師の間でも認識はさまざま

本書の後半では、医療現場の様子も少し紹介されていました。

どうやら、「かゆみ」や特にアトピーについての知識や対応は、医師によってかなり幅があるようです。

皮膚科以外の科では不適切な処置がなされていることもあるらしい。やっぱ、皮膚のトラブルは皮膚科にかかってみなきゃなぁと痛感。

しかし、中には皮膚科医の中でも安易な治療や処置をする医師もいるらしく、著者も憤慨していました。何件か皮膚科を回ってみるというのが、現実的なところなのでしょうか。

また、アレルギーも、思ってもみないところに原因がある場合も。

例えば、歯の金属の詰め物が原因でアレルギーを起こしている場合。歯の治療からずいぶん時間が経ってから症状が現れると、歯科医に説明してもわからないこともあるっぽい。

髪を染める染料でアレルギーを起こしている人の例もありました。数十年、同じ染料を使っているのに、ある日突然アレルギーを起こすことがあるようです。

肉体は日々変化してゆきますから、「今までは大丈夫だった」はアテになりません。

適切な治療、適切な対処を

皮膚のかゆみに関するトラブルは、軽視されがちです。医師の間でも認識に差があるみたい。

すでにアレルギーやアトピーなど、症状を抱えれる方も、錯綜する情報に疲れ果てています。

本書でも、著者がアトピー患者の治療の様子が紹介されていましたが、患者の側も、治療に取り組む姿勢が様々です。医師が指導をし、処方をしても、その通りにやらなかったり、薬もちゃんと飲まなかったり。

かゆみを感じる環境を一掃するため、布のソファを処分するよう指示したり、寝具の買い替えを促しても、すぐに実行する人と、理由をつけてやらない人。

悩みや苦しみを負っている患者も、治療への姿勢に違いがあります。

ただ「かゆい」ってだけの話なのに、話は入り組み、ヒジョーに重大で悩ましい話になっているようです。

……あさよるも、まずは掃除の徹底と、寝具の変更と……畳……(←たぶんダニの温床だよね……)。

関連記事

続きを読む