『絶滅の人類史 なぜ「私たち」が生き延びたのか』|みんないなくなった

『絶滅の人類史』 40 自然科学

こんにちは。あさよるです。このブログはまあまあ流行にも乗っかるブログなんですが(;’∀’) 未だに『サピエンス全史』は取り上げていまへん。その言い訳かなんやは、この記事の後半に……。正直、上下巻の2冊もまた読み返すのものな~というのが、本当の本音かもしれないけれど(;^ω^)

しかしその後、サピエンス全史的なタイトルや内容な本が目立ちます。『絶滅の人類史』もそんな中の一冊ですが、進化の考え方についてよく知れる本たったと思います。オモモー(`・ω・´)b

「進化」を知るために

『絶滅の人類史』は進化論についてよく知れる。わたしたちはつい「自然界は弱肉強食で、強いものが生き残る」と考えてしまいがちだ。だけど、それは違う。本書では「子孫をたくさん残したものが生き残る」と簡潔にまとめられている。どんなに強い生物でも、子孫が絶えてしまえば絶滅するし、一個体では弱くたって、よりたくさんの子孫を残し続ければ、生き残ることができる。

わたしたちホモ・サピエンスには、ほかのホモ属の仲間がいた。だけどみんないなくなってしまった。それはわたしたちが最も勝っていたとか、最も賢かったわけではなく、わたしたちが子孫をたくさん残し続けてきたからだ。

わたしたちには敵が現れても「闘う」「逃げる」「ようすを見る」のどれも選べない。わたしたちは闘うための牙も爪も持っていない。直立二足歩行をするわたしたちは、逃げ足がとても遅い。捕食者にあっという間に追いつかれてしまう。直立二足歩行のメリットは「立ち上がって遠くを見渡せること」だけれども、それだけ敵から見つかりやすいことでもある。隠れて様子を見るには不向きな設計だ。

わたしたちの生き残り策は、群れで行動することだった。群れは敵からも見つかりやすいが、集団で行動すれば、ある個体が襲われても群れが全滅することはない。そして、たくさん子どもを産んで育てる。ヒトは複数の子どもを同時に育てることができる。群れでありながら一夫一妻制をとり、より子孫をたくさん残せる社会が残った。

『絶滅の人類史』

ホモ属は弱い動物だからこそ、どこでも生き、なんでも食べられられるものだけ生き残った。食べにくいものは消化に時間がかかるから、わたしたちはゴロゴロと暇な時間を過ごさなければならない。その暇な時間こそ、道具をつくったり、言語が発達する時間だったのかもしれない。「スクール」の語源であるギリシア語の「スコレー」は「暇」という意味だ。暇こそ知性に必要な時間だ。

そんな人類の歴史が『絶滅の人類史』では語られている。もちろん、証拠が不十分だったり、仮説でしかないことも多く、想像で補ったり、諸説あることも十分に説明がなされる。

また一見、因果関係があるように思えることも、ただの思い込みであることもある。そんな事例をたとえ話を駆使しながら丁寧に説明されている。「進化とは何か」を知るのに、よいガイドになるだろう。

仮説・諸説・わからないことばかり

『サピエンス全史』は一応読んだけれども、ブログでは取り上げていない。人から「どうだった?」と聞かれても「読まなくていいんじゃない」と答えている(;’∀’) 「『竜馬がゆく』か『坂の上の雲』でいいんじゃないの」というのが本音です<(_ _)> (だけど、やっぱヒットした本だから、その後それをイメージするようなタイトルや内容の本がたくさん出版されていて、わたしも数冊読んでいる。そろそろ『サピエンス全史』もブログで取り上げとかないと、記事が書きにくいなぁと思い始めている……)

なんで『サピエンス全史』はイマイチだったかというと、仮説や想像の域を出ないことを、断定口調で書いてあるからだ。断定的に書かれている方が読むのは気持ち良いが、科学的ではない。つまり、歴史小説なのだ。で、歴史小説として読むのなら、『竜馬がゆく』の方が断然楽しい(これは個人の感想デスw)。

だから、「気持ちのいい物語」を読みたい人にとっては、今回の『絶滅の人類史』は、歯切れが悪く読みにくいだろう。だって、諸説あることは諸説あるとし、仮説は仮説、想像の話は想像だと書いてあるから。つまり、なにも断定されていないのよね。ただ一つ、断定されているのは、結果、生き残ったのはわたしたちだった、ということ。付け加えると、わたしたちのDNAには、他のホモ属の遺伝情報も一部残っているということ。それくらい。

『サピエンス全史』のあとに出版された、これ系の本を数冊読んだけど、わたしが読んだ本はどれも、わからないことはわからないと書いてある本だった。本を一冊頑張って読んでも、結論が「わからない」というのは居心地が悪いけれど、そういうものだ。むしろ「わからないものはわからない」という人は親切だ。

太古のロマンか……

わたし自身、あまり「ロマン」を求めないタイプなんだけれども、こういう話はロマンしかないよね。この前、恐竜展に行って、恐竜の化石の数々を見てたんだけど、恐竜って、ロマンなのよ。そう痛感したのは、比較対象として現存する哺乳類の骨格標本を見たとき。思わず「哺乳類ってダセー」と思ったんだけど、よくよく考えてみると、哺乳類がダサいんじゃなくて、恐竜をやたらカッコよく復元しているのだw

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絶滅の人類史―なぜ「私たち」が生き延びたのか

目次情報

はじめに

序章 私たちは本当に特別な存在なのか

人間は特別な存在か
人類は何種もいた
みんな絶滅してしまった

第1部 人類進化の謎に迫る

第1章 欠点だらけの進化

人類とチンパンジー類の違い
直立二足歩行をしていた類人猿がいた?
イースト・サイド・ストーリーは間違い
直立二足歩行の最大の欠点
難産と直立二足歩行

第2章 初期人類たちは何を語るか

4種の初期人類
四足歩行と直立二足歩行のあいだ
学名に込められた先人の思い
アルディピテクス・ラミダスの特徴
初期人類はどこに住んでいたか

第3章 人類は平和な生物

チンパンジーにあって人類にないもの
ウマに噛まれても死なない
大型類人猿の犬歯と社会形態
人類の犬歯はなぜ小さくなったか

第4章 森林から追い出されてどう生き延びたか

草原より森林の方が暮らしやすい
人類は森林から追い出された
仮説はスジが通っているだけではダメ
進化する場合としない場合
他の霊長類にはない特徴

第5章 こうして人類は誕生した

私たちの祖先はチンパンジーではない
人類の祖先も道具を使っていた
ニホンザルは食物を分け合わない
ナックル歩行の複雑な事情
同じ進化は別々に起こり得る

第2部 絶滅していった人類たち

第6章 食べられても生めばいい

アウストラロピテクス対ピルトダウン人
原始形質と派生形質
直立二足歩行が上手くなる
重視すべきは下半身
どうやって身を守ったのか
なぜヒトはたくさん子供を産めるのか
レイ・ブラッドベリのびっくり箱
華奢型猿人と頑丈型猿人
頑丈型猿人は不味いものも食べた
アウストラロピテクスが絶滅させた?

第7章 人類に起きた奇跡とは

オルドワンとアシューリアン
石器を最初に作った人類
混乱する初期ホモ属の分類
なぜライオンは人類より脳が大きくないのか
直立二足歩行の隠れていた利点
ウエストが細くて暇な人類の誕生
人類から体毛がなくなった理由
なぜ頑丈型猿人は絶滅したのか

第8章 ホモ属は仕方なく世界に広がった

アフリカから出た人類
サーベルタイガーに襲われたドマニシ原人
地球は意外と狭い
貧しいものが生き残った
仕方なくアフリカから出ていった?
ホモ・エレクトゥスの地域集団

第9章 なぜ脳は大きくなり続けたのか

面倒なアシュール石器をなぜ作ったのか
火の使用が始まった
私たちにつながる人類の出現
世界一になったのは最近
脳が大きくなったもう1つの理由
恐竜が知的生命体に進化した可能性

第3部 ホモ・サピエンスはどこに行くのか

第10章 ネアンデルタール人の繁栄

もっとも有名な化石人類
ヨーロッパで唯一の人類となる
ネアンデルタール人が暮らした環境

第11章 ホモ・サピエンスの出現

30万年前の化石はホモ・サピエンスか
ミトコンドリア・イブはヒトの起源ではない
ミトコンドリア・イブはいつの時代にもいる

第12章 認知能力に差はあったのか

形が変われば機能も変わる
ネアンデルタール人の文化
象徴化行動の証拠
食人と埋葬
ネアンデルタール人は話せたのか

第13章 ネアンデルタール人の別れ

2種の人類の共存期間
ホモ・サピエンスの方が頭がよかった?
創造性だけでは文化は広がらない
燃費が悪いネアンデルタール人
8勝7敗でいい
脳は大きければよいのか

第14章 最近まで生きていた人類

フローレス島の小さな人類
なぜ小さくなったのか
ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの交雑
ホモ・サピエンスの高度な適応力の謎

終章 人類最後の1種

人類の血塗られた歴史
ホモ・サピエンスだけが生き残った

おわりに

更科 功(さらしな・いさお)

1961年、東京都生まれ。東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。博士(理学)。現東京大学総合研究博物館研究事業協力者。著書に『化石の分子生物学』(講談社現代新書、講談社科学出版賞受賞)、『爆発的進化論』(新潮新書)など。

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