『知の編集術』を読んだよ

そろそろ新年を迎える用意も始めないといけません。もう、大掃除のコツや豆知識について書かれたブログ記事を目にしました。おせち料理も、昔ながらに手作りをするお宅もあれば、デパートやお店で手配するお宅も増えていますね。
おせち料理のメニューには、いわれがあります。「マメに働く」と黒マメ。子孫繁栄に数の子。栗きんとんは、金色の見た目が財産を表します。縁起がよいとされるものは、言葉遊びや見立てが使われいることも多数です。

中国では縁起ものとして、魚の図案が使わてている絵や工芸品などよく目にします。中国語で「年年有余」と言う、お金がたくさんある、お金持ち、という意味の縁起の良い言葉です。この最後の「余」が、「魚」と同じ読みらしく、「年年有魚」と言い換えられ、魚が縁起の良いものとされています。

さて、「マメに働く」も「年年有魚」も、ダジャレです。「◯◯は△△に通ずる」とか「ダブルミーニング」とか言うとちょっとカッコいいですが、ダジャレです。私は幼いころより、ダジャレ=オヤジギャク=サムイ という方程式で長い間認識していたため、「おめで鯛」とか「試験にカツ」とか“ダジャレ系縁起アイテム”を嫌っていました。

ダジャレ問題に直面しなければならなくなったのは、広告デザインスタジオで仕事をしていた頃でした。仕事中、スタッフ間で交わされる会話は、ダジャレをはじめ、連想ゲームやしりとりなどの言葉遊びでした。ダジャレ方程式が発動し、「サムイ!サムイ!」と嫌がっていたのは少しの間。一度、ダジャレが思いつきはじめると、どんどんダジャレが思いつくようになります。頭の蓋がパカーンと開いて、頭の中の知識や言葉がこぼれ出すような感覚です。

ダジャレに必要なのは、語彙数です。知識です。それらを手に入れるために必要なものは、経験です。体いっぱい使って手に入れた経験は、頭の中で記憶され、たぷたぷと知識となって溜まってゆきます。松岡正剛『知の編集術』では「編集」とはなにかを説き、あらゆるものが編集されている事例を挙げながら、「編集稽古」通し、編集力を高められます。これはダジャレ力を上げる「ダジャレ稽古」でもあります。あるいは、文脈を知ること、ミームを受け取ること、創作をすることです。それは、生きる力なのかもしれません。そして著者によるとそれらは、ごっこ遊び、見立て遊び、宝さがし、言葉遊びなど「遊び」の中に潜んでいます。

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『美人はコレを食べている。~食べるほど綺麗になる食事法』を読んだよ

クレオパトラと果実のイラスト

国立国際美術館(大阪市)にて2015年10月10日〜12月27日まで『クレオパトラとエジプトの王妃展』が開催されています。この夏は東京国立博物館にて開催されており、大阪巡廻を心待ちにしていました。平日の日中で、天気も思わしくなかったのですが、会場にはたくさんの人が訪れていました。

特別展のタイトルにも使われているクレオパトラは、ご存知「世界三大美女」の一人です。“絶世の美女”、“傾国の美女”として西洋絵画の世界でも頻繁にモチーフに選ばれています。『クレオパトラとエジプトの王妃展』では、クレオパトラを7ヶ国語を扱う才女としても紹介されていました。美しさには、知性も欠かせないものなのでしょう。

「美女」と言っても、時代や地域によって美の基準は様々と言われていますが、ドミニク・パケ『美女の歴史』で紹介されていた古今東西の美人像は、現在とも共通する基準ではないか?と思われるものもありました。稀に例外はあるものの、端的に言うと、健康的で適度に引き締まった肉体が、時代や洋の東西を越えて美しさの条件とされていました。

現在の日本でも、同じように健康的な美しさは評価されているとは思いますが、女性たちの間で持て囃される「ダイエット」という名の「痩せ主義」も広まっています。「痩せていること」への執着は、時に病的です。食事を済ませた後トイレで食べたものを吐き出したり、一つの食品しか食べない、あるいは、ある栄養素を摂らないなど、食事を何らかの方法で制限することで体重を減らす行為を、「ダイエット」と称されている印象があります。
かくいう私も、ご飯や麺類、イモ類などの炭水化物を一切絶つダイエットをしていた頃もあります。確かに、最初の3ヶ月ほどで5kgとか8kgとか体重は減りました。しかし、すぐにリバンドしてしまい以前よりも体重が増えてしまう……。しばらくしてまた、炭水化物抜きダイエットをすると、また数kg減るのですが、またリバンドして以前より体重が増える……。それを何度かしている内に、炭水化物を抜いても体重がなかなか減らなくなり、しかもリバンドで、第一回目のダイエット開始時よりも10kg近く体重が増えてしまいました。「痩せにくい体質」の出来上がりです。

『美人はコレを食べている』の著者、木下あおいさんも、同じように無謀なダイエットの常習者だったようです。しかもどうやら、10代の成長期も終わらない頃から繰り返していたようで、痩せ主義も深刻な問題です。木下さんが特殊な女性には思えません。日本の多くの女性が、しかも成長期の子どもたちまで、体重計に乗り、体重の数値に一喜一憂しているのかもしれません。
無謀なダイエットから脱却しようと『美人はコレを食べている』では読者へ訴えかけますが、これもまた病的です。野菜を食べれば痩せられる。肉は血を汚す、科学の力で作られた調味長は身体を汚す……と、菜食を訴えます。これもやはり、食事を制限することでダイエットを目指すものです。また、肉食は血を汚す、という考えはどこからやってくるのでしょうか。

肉食のタブーは世界各地に存在します。有名ドコロでは、イスラム教徒が豚食を禁止していたり、ヒンドゥーでは神聖な生き物とされる牛肉を禁忌とされています。日本でも明治を迎えるまで肉食は一般的ではなかったようで、第十五代将軍・徳川慶喜は豚肉を食したことから「豚一公」と呼ばれていました。日本では肉食は禁忌ではなかったようですが、ゲテモノ食いのような扱いだったようです。

人は雑食性の生き物です。チンパンジーやゴリラなど、人に近いとされる類人猿の種にも雑食性のものがいます。しかし、恒常的に肉を食べているのではなく、普段は果実や種子を中心とした植物食です。人類も同じように元々植物食を行っており、時折肉食をしたのでしょう。植物では足りない分を、後付的に肉食を取り入れ始めた時、肉食のタブーも生まれたのではないでしょうか。

生物としてのヒトの生態を考えるに、菜食も肉食もする雑食性であることはおかしなことではなりません。そして、ヒトが文化を持ち、人間として歩み始めたとき特定の食物への禁忌・タブーの文化も生まれました。文化を持つ人間として、何らかのタブーを持っていることも当然です。我々、現在の日本の女性は、太ること、体重が増えることへの畏怖を抱いているのかもしれません。

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『ヤンキー化する日本』を読んだよ

まんとくん

いよいよ2015年もあと1ヶ月となりました。テレビ番組や雑誌など、様々なメディアで今年を総括する話題が飛び交い始めています。私にとって印象深かったのは、オリンピックロゴから始まったスッタモンダでした。私もかつて、デザイン業界に片足を突っ込んでいましたし、思うところが多かったのです。ロゴの盗作疑惑についてはその後の続報がないので何とも言えませんが、あまり多くの人に愛されるシンボルにはなれないまま、幕引きを迎えてしまったのでしょう。

この騒動で思い出したのは、奈良県の平城遷都1300年祭で作られたキャラクター「せんとくん騒動」でした。アーティストに依頼し作成されたキャラクターが「可愛くない」との理由で市民団体が却下を求めて署名運動にまで広まりました。

当時驚いたのは、市の方針を変えようと働きかけている理由が「可愛くない」ということでした。選考方法に不服だとか、キャラクターの必要性を疑問視するなど、反対するなら切り口はいくらでもあるんじゃないかと思いましたが、実際に「可愛くない」から署名を集めている現場に立ち会った記憶があります。
しかし幸いにも(?)せんとくんは人気キャラクターへ上り詰め、「ゆるキャラ」ブームも相まって、今も奈良県アピールのために奔走しています。ちなみに、対案として市民団体が作った「まんとくん」というキャラクターもとても可愛いので、私はどちらも好きです。

まんとくん

まんとくん
http://mantokun.net/

可愛い/可愛くないとかダサイ/カッコイイとか、形のないとりとめもない「気持ち」がとても重要で、自分の、あるいは自分たちの気持ちこそ何より大切な価値観が広まっているようです。文脈や歴史、文化的背景などよりもずっと、快か不快かが重要です。

斎藤環『ヤンキー化する日本』では、それらを「ヤンキー化」「ヤンキー文化」と呼んでいます。

ヤンキーたちは、気持ちを重んじ、絆を、仲間を、家族を大切にします。

礼儀や伝統を守るので、変革を望みません。素直で正直な気持ちを重視し、知識や理屈を嫌います。「可愛くないからキャラクターを変えろ」というのは、まさにヤンキー的に思えます。

江戸の粋(いき)と上方の粋(すい)という言葉があります。どちらも「粋」と同じ字を使いますが読み方が違い、それぞれの指向が違います。江戸の粋は苦みばしり気風のよさ、上方の粋は甘さのあるカッコよさを「粋」としていました。

参考に九鬼周造『「いき」の構造』をどうぞ。

「粋」の文化もまた、ヤンキー的です。

粋な服装や粋な言動は確かにカッコイイのですが、とても短期的な、その場限りの価値観です。みんなのため長期的な全体の利益になるような行動を画策することは、粋ではないからです。粋は刹那的で、儚いからこそ粋なのです。ヤンキー文化も同様に、短期的に見れば、仲間思いで家族思いの心の優しい人たちです。
泰平の世が続く限りはそれでも良いのかもしれません。しかし、黒船は必ずやって来ます。

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『わたしが情報について語るなら』を読んだよ

新宿末広亭の内装のイメージをコピックで描いたイラスト

初めて「ココナラ」を利用しました。ココナラとは、ワンコインから知識やスキルなどを手軽に売ったり買ったりできるサービスです。

今回、いつもブログを読んでいたメイクアップアーティストの方がココナラにも出店されていると知り、顔分析をしてもらいました。自分の表情や顔の筋肉の使い方のクセを教えてくれるともに、メイクのアドバイスもしてくださいました。
ココナラは以前から登録だけはしていましたが、初めて利用をし、面白いサービスだと感じました。今回はサービスを買う側でしたが、自分が売る側になるなら、どんなサービスを提供するのかと思案し始めています。

インターネットが普及すれば、人類の知識はネット上に集められ、人類の財産として別け隔てなく誰もが恩恵に預かれる世界が来るのかと思っていました。今の現状は、そうはなっていないようです。ネット上の情報に無料で触れられる環境は整っていますが、実際に、自分の欲しい情報を見つけ出すには、未だ書店や図書館へ出向いて文献に当たる方が、信頼のおける情報に早く出会えます。事前にネットで”当たりをつける”ことはしますが、裏を取るのに案外手間取り、本を読んだほうが早い気がします。私はネットネイティブ世代でもありませんし、古い考え方なのかもしれませんが、「なんかインターネットって、思ってたのと違うなぁ」と感じます。

東京は、大都会のビル街の中にポッカリと寄席があったり、最新のトレンドと伝統が平然と並んでいてとても面白い都市です。東京へ上京する際は、東京の寄席にも必ず足を運びます。もちろん落語はCDでも聞けますし、NHKの演芸番組など、テレビで見ることもできます。しかし何故かテレビで見ると面白くない。

不思議なもので、テレビで映像を見るくらいなら、CDで音声だけ聞くほうが面白いのです。

いえ、名人と呼ばれる人の落語ほど、音声だけで聞くほどに迫力やおかしみが滲み出てきます。
この発見は、私にとって衝撃でした。私はずっと、「テレビを見ているだけで経験値が上がっている」と思っていたのです。なんでも、どんなものでもテレビで見れます。疑似体験をしているんだから、自分の経験値になっているだろうと思っていたのです。しかし、落語の例ですと、テレビで見ると落語の面白さが損なわれていて、音声で聞くほうがずっと面白いのです。もちろん言うまでもなく、一番面白いのは寄席会場で聞く落語です。

新宿末広亭の内装のイメージをコピックで描いたイラスト

松岡正剛『わたしが情報について語るなら』では、このような情報の取り扱い方に注意を呼びかけています。インターネットが普及し、私たちが扱う情報の量は格段に増えました。スマホの普及がそれを後押ししています。しかし、その情報の質はどうでしょうか。あるいは、適切な情報は得られているでしょうか。

東京には昔からの寄席小屋が数カ所あります。初めて上京した際、新宿末広亭へ行って驚きました。寄席とはこういうものなのか!と初めての体験だったのです。ひなびた建物の中、お弁当を食べながら、日がな一日落語を聞く。途中で入ってくる人もいますし、途中で退席する人もいます。お客さんの年齢層もさまざまです。みんなに共通するのは、落語を楽しみに聞きに集まったことです。その場の雰囲気。その空気感。肌で感じる臨場感や高揚感は、テレビ画面に映っていないのかもしれません。

テレビやネットで得た情報と、自分で経験した情報とは、圧倒的な情報量の差があります。経験や体験をすると、五感全部で身体の中に情報が入ってきます。それを、私たちは情報をより分け、言語化し、整理してゆきます。それを本書では「自己編集」と呼んでいます。情報を角度を変えて、視点を変えて、編集してゆくのです。もちろん、ネットから得た情報も、そのまま丸呑みするのではなく、自分の手で編集して、切り口や視点を変えて、扱ってゆく必要があります。

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『モヤモヤをキラキラに変える! あな吉さんのハッピーコラージュ手帳術』を読んだよ

駅構内の野良サインとあな吉手帳に欠かせないフセンのイメージをコピックで描いたイラスト

日本人は識字率が高いとされています。民族に関係なく一定の割合で識字が困難な人がいるそうですが、日本語を話す日本人の中であまりそのような人は目立ちません。それは高い教育水準によるところが大きいでしょうが、日本語で使われている漢字仮名交じり文による影響もあるようです。
象形文字である漢字と、漢字を元にして作られた表音文字であるひらがなカタカナの複数の文字を使うので、どちらかが読めなくても、他の文字で意味を補って読むことができます。象形文字と表音文字では、脳の中で文字を認識している場所が違う、という話も聞いたことがあります。

識字率と関係あるのかないのか、「私たちは文字を書くのが大好きなんだなぁ」と感じることがあります。それが、街中に貼りまくられた注意書きや案内書きなどの、貼り紙です。もしかしたら、家の中まで貼り紙で溢れているかもしれません。

駅構内の野良サインとあな吉手帳に欠かせないフセンのイメージをコピックで描いたイラスト

私も以前スーパーでアルバイトをしていた頃、せっせと手書きの注意書き案内書きを量産していました。責任逃れや説明逃れのために書いていたわけではなく、純粋に、お客様にスムーズにお買い物してもらいたい!オススメの商品を手にとって欲しい!と願って試行錯誤していました。面白いもので、貼り紙やP.O.P次第で、実際に人の流れや、売上が変わるのです。

主に駅構内や、道路に溢れかえった手作りの貼り紙を、一部で「野良サイン」と呼ばれています。デザイナーが企業や団体と作ったサインではなく、そこで働く人たちが自発的に作ったサインのことです。近年ではWordやExcelがあれば簡単に印刷できますし、更に丁寧にラミネートされて街に氾濫しています。
分かりやすく誘導するためにサインを書き足しているのにも関わらず、数が増えすぎてわけが分からなくなっている場面もよく出くわします。病院の待合室も、大切なお知らせを貼り紙してくれているのですが、貼り紙が溢れ、情報が氾濫しすぎて、もはや何の情報も汲み取れません。
情報の発し手と受け手の、すごく大きなすれ違い。私たちは、文字を書いて、文章を貼り出してしまう性分なんだろうなぁと面白く見ています。

誰もが文字を書けるんだなぁと実感するのが、今の季節。来年のスケジュール帳がずらりと並んだ書店へ足を踏み込んだ瞬間です。多くの人が手帳に、メモをしたり、予定を手帳に書き込むのでしょう。更に、手帳術を紹介した書籍も人気です。
スケジュール帳売り場の中でも、ほぼ日手帳は毎年、大きなスペースを割り当てられています。ほぼ日手帳とは、糸井重里が主催するWEBサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」がプロデュースしている手帳で、一日一ページと、書き込めるスペースが大きいのが特徴です。普通にスケジュールを書くのも構いませんが、個性的で趣向をこらしたイラストやコラージュなどを毎日楽しんでいる人も多数います。その使い方の多様性から、ガイドブックまで毎年登場しています。

手帳術と言えば、私は”あな吉手帳術”を取り入れて、A5サイズの6穴ルーズリーフの手帳を用意しました。さて、どのように使いこなすと良いものかと、思案中です。なんでもファイルしてゆくことを推奨されていたので、手元に置いておきたい情報はプリントアウトしてファイルに挟み込んでいますが……これまでペーパーレスを目指していたので、どうなることか分かりません。あな吉手帳術の特徴は、ビジネスシーンで活躍するフセンを活用し、主婦へスケジュール管理を紹介している点でしょう。カラフルでかわいいフセンやシールを使って、味ないビジネス手帳術を女性向けにアレンジされています。

更に、あな吉さんこと浅倉ユキさんが、『モヤモヤをキラキラに変える! あな吉さんのハッピーコラージュ手帳術』では、コラージュによるセルフカウンセリングも推奨されています。自分の漠然とした欲求や不満をあぶり出し、改善点を見つけ、スケジュールの中に落とし込み実行します。
その過程でも大切なのは、モヤモヤとした気持ちを言語化することです。言葉に落とし込むことで、形のなかった気持ちが目に見え、扱いやすくなり、更に踏み込んだ思考へと深く潜り込んでゆけるのです。

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