一般文庫

『スッキリゆったり暮らす』|自分の居心地は自分でつくる

こんにちは。毎日部屋を片付けても片づけても散らかってしまう あさよるです。それを結構悩んでいたんですが、「つまり生きるとはそういうことか…」となにか納得しようとしていますw

自分の「理想の生活」を思い浮かべると、毎日お花が生けてあって、ドリップしたコーヒーを飲んで、カーテンも小まめに洗って、絨毯は敷かずに拭き掃除しやすい部屋で、スピーカーの上に埃の溜まっていない空間で生きたい……。ヘンなとこマメなので、コーヒーはドリップして淹れるんですけどね。

機嫌よく生きること

『スッキリ落ち着いた暮らし68のヒント』は、気持ちよく生活するための心得やコツが68紹介されています。掃除や洗濯など、多忙な人にとってはうんざりしてしまう家事……とくに子育て中の方なんかは大変ですね。どうせ家の仕事をするのなら、イヤイヤ受動的に「やらされる」よりも、能動的に自分の意思で「やる」方がいい。しかも、物があふれかえって、物に支配されて生活するよりも、自分が物を選別して、自分主体で生きる方がいい、という、至極まっとうな考えを、あたらめて提示してくれる本です。

わかってます……わかってるけれども、そうそう上手くいかないから悩むんですよね……(;^ω^)

ということで、第1章はモチベーションの話から始まります。そもそも「なんで部屋を片付けたいのか」「なんで持ち物をスッキリさせたいか」のかを考えると、一にも二にも「自分が居心地良くしたいから」以外に理由はないんじゃないかと思います。仮に家事を外注するにしても、家事自体は人に頼めても、やっぱり家の中の「居心地」は自分でつくるしかないんじゃないかと思います。たぶんね。

この「居心地のよさ」は一人ひとり違うし、その世帯によっても落としどころが違うだろうから、だから「ミニマリスト」とか「断捨離」とか「ときめき」とかいろんな言葉が使われるし、言葉が独り歩きして尾ひれはひれがついて人待ってくんじゃなかろうか。それぞれ、提唱している元ネタ本を読むと、「なるほど」と納得できるんだけど、言葉が独り歩きして別の意味として理解されている節があります。

自分のために居心地をよくする

思えば、なんでわたしたちは家事を煩わしい、嫌なことだと思ってるんでしょうかね。だって、自分の住まいを維持することって、それって生きることそのもののようにも思えます。本書では、片づけのヤル気の源を「美しさ」としています。美しい空間で、素敵な時間を過ごすために住まいを手入れし、身支度を整えるんだと考えると、今まで以上に「これって大事なことじゃね?」と思えてきます。

『スッキリ落ち着いた暮らし』では、片づいてなくても「花を一輪飾りましょう」という話があって、これも納得。あさよるはそういう繊細な心を持っていないのですが……母が花を生ける人で、いつも家に花がありました。別に花屋で買ってきた花ばかりではなく、その辺の雑草も生けてくれていました。雑草の方が、季節感もあってよかったりするんですよね。そういう習慣、新たに身に着けたいなぁ。

邪魔なものほど衝動的に欲しくなる

あさよるも今、部屋の片づけにとても悩んでおりまして……もう不要なものは一通り手放してしまったし、新たに手に入れるものも厳選したものしか入ってこない状況は整いつつあります。なのに、めっちゃ部屋が散らかる! で、そろそろ「その時」が来たんじゃないかと。その時とは、そう、「収納用品を買い足す時」です。

片づけの本によく出てくる話題なんですが、片づけ・断捨離を始めると、最初に大量に出てくるのが「収納用品」なんだそうです。突っ張り棒とか、なんかの仕切りとか、ひっかける網とか、100均のカゴとか、ああいう系です。これはみなさんも共感なされるんじゃないかと思います。「収納用品が一番邪魔だ」という、身も蓋もない話です(;^ω^)

で、片づけを進めてゆくと、ちょっとひと段落するたびに欲しくなるんです。新たな収納用品がw そこで欲望のままにカラーボックスやポリプロピレンケースを買うと元の木阿弥。我慢、ひたすら我慢!

ででで、今までカラーボックスの誘惑に負けずやってきたんですが、ついにもしかして「収納用品」を買い足す時が来ちゃった??? まだ半信半疑なんですが……。買い足すなら、必要なものもわかっています。散らかるのは机の上限定なので、机の上に出してくるものを収納できれば良いのではないかと考えています。んで、今考えているのは、机のこういうキャビネット的なやつ↓

ただ、まだ大きさや形は最適解を見いだせていないので、どうしようかなぁ。なにか代用品を作って、テストしてみたいんだけどなぁ。

そんで、こうやって一つ一つ丁寧に精査して、物を選んでいる時間は嫌いではない。テキトーにババッとやっちゃうと一瞬のストレス解消になるかもしれないけど、邪魔なものに圧迫されて生きるのはもう嫌だし、そして「捨てる」という行為もめっちゃしんどい。できればもうしたくない。

ボーっとしてるとエントロピー増大の方向へ動いてしまいますから、時々エネルギーを使ってそれをもとの状態に戻す活動はしなきゃいけないのですね。で、どうせやるなら積極的に、自分の居心地がより良くなる方向にもってきたい。

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大槻ケンヂ『サブカルで食う』|文化系オタク趣味でお金を稼ぐ

『サブカルで食う』挿絵イラスト

こんにちは。サブカルになれなかった あさよるです。10代の頃、サブカル的な存在に憧れていて、日々邁進していたのですが、結果、なんかサブカルとは違った感じのオタクになってしまいました……。「日本語の〈オタク〉というより英語の〈ナード〉だよね」と定評です。 ん?ディスされてんのか!?

友人の中にも〈サブカル〉な人と〈アングラ〉な人がいますが、正直なにが違うのか分からなかった。本書『サブカルで食うの』著者は大槻ケンヂさんで、本書内でサブカルとは、アングラに笑いの要素を加えたものだと定義されていて「なるほど~」と納得しました。なのでアングラ趣味よりも、サブカルのほうが一般受けしやすいと。言われてみれば、アングラなお芝居に誘われたり同人誌を受けとるとき、妙に裏取引をしてる的な感じだった理由がわかりました。

本書は〈サブカル〉の話なので、映画『モテキ』的なノリでOKだそうです。文化系オタク必読です。

「サブカルで生きれたらいいのになあ」…と思う君へ

本書『サブカルで食う』は、「社会適応性も低いし、体力もないし、なんかサブカルなことをして生きていけたらいいのになあ。例えばオーケンのように……」と思う人へ向けて書かれた本です。著者の大槻ケンヂさんは、そんなサブカル周辺で生きたい人のことを、「サブルなくん」「サブルなちゃん」と名づけています。

大槻ケンヂさんもかつて「サブルなくん」でした。本書は一つのケーススタディとして、大槻ケンヂさんがサブルるなくんから、「サブカルで食う」に至った経緯をまとめたものです。

「サブカル」とは

まず「サブカル」とは。本書では、

ややこしい歴史的なことは一切無視して、最近、映画『モテキ』のヒットなどによって注目されている「サブカル」ってアレのことだと思っていただけたら。
「サブカルチャー」じゃなくって、もっと軽い「サブカル」ですね。一応本業らしきものは持っているけど、どう考えてもそれ一本で食っていけるとは思われていないって感じ。
たまにテレビやラジオや雑誌で名前を見たり、そういえば新宿ロフトプラスワンでイベントとかもやっているけど、結局、何をやってるんだかよく分からない。でも、就職しないで好きなことをやって楽しそうに生きている人たち……それが世の中の人がボンヤリとした「サブカル」のイメージじゃないでしょうか。

p.11-12

「これがサブカル」という定義があるわけじゃなく、なんかフワッとした、文化系の趣味が高じて仕事になっているような人のイメージですかね。本職はどうなってんのかわからんけど、ロフトプラスワンでイベントをたまにしているような……ああ、なんかリアルw

サブカルの人たちは「○○になりたい」という夢や目標があるわけじゃなく、何かに打ち込んで△△一筋!ってワケでもない。スポコン的な世界観じゃないのです。ふわっとしたものだから、アレコレといろんな変化球を打ってみる。大槻ケンヂさんの場合はロックバンドがそれで、デビューに至ったけれども「ロックをやるぞ!」と意気込んでそうなったわけではないらしい。

「何かをしたい」「何かができる」人は、そっちに向かって進んでゆきます。しかし、サブカルな人は「何かができない」ことに着眼していて、できないからこそ、変化球を繰り出すことになり、それがヒットすることもあるのだ。

サブカル=アングラ+笑い

本書ではさらに、「サブカル」をアングラ+笑いだと指摘しています。

僕がアングラな世界にどっぷりだった80年代、アングラって本当に気持ち悪いものとして捉えられていました。(中略)その後、「自主制作盤」のことを「インディーズ」と呼んでちょっとオシャレにしたように、「アングラ」だとみんなが引いてしまうので、誰かが「サブカル」と言い換えて敷居を低くしたんだろうなとも思うんですよ。そして、アングラがサブカルに変化していく過程でさらに「笑い」が付け加えられ、より多くの人にとって取っつきやすい軽いものとなったわけです。
「サブカル」というのは「アングラ」に笑いの要素を加えた結果、軽い印象になり、間口が広がったものだと考えることもできるかと思います。

p.15

近年では「サブカル」を自称する人も多いですね。どれくらいの人たちがアングラやサブカルチャーを踏まえているのかわかりませんが「サブカル」という言葉がある一定の知れ渡っていて、その存在も周知されているのは事実でしょう。

オーケンの場合

本書は元サブルなくんだった大槻ケンヂさんが、現在のようにサブカルで食うまでになるまでの経緯を紹介するものです。一つのケーススタディとしましょう。

大槻ケンヂさんの子ども時代は身体が弱く気が弱く、ある日「お前、明日からいじめるぞ」と宣言され、強迫神経症になってしまったエピソードから始まります。教師からも「腐った魚の目をしている」「お前の人生はいつもビリだ!」なんてヒドイことを言われたそうで、お、おう……。

そして当時、インターネットもSNSもない時代です。マイナーな趣味を持つ人たちは、仲間探しにあの手この手を使います。その一つが「机SNS」。机に落書きをしておいて、同志を探すのです。落書きが縁で親しくなった友人とマンガを描いて同人誌を作ろうかと相談しますが、なんか地味だし、友人宅限定のロックバンドを始めました。バンドの名前は「ドテチンズ」。するとオシャレなコピーバンドをやってる同級生から、公民館でのライブの前座を頼まれ初舞台を踏みます。

その後、「ドテチンズ」のメンバーが進学先の大学の先輩に自分たちの音楽を聴いてもらうと、気に入ってもらえ新宿JAMでライブをすることになります。

あの頃、何かを表現したいと思っている少年少女が出会う場所というのはライブハウスしかなかった。だからみんな仲間とつながるため、友達を作るためにはとりあえずライブハウスに通っていたんです。今、SNSでやっていることを、僕らはリアルでやる必要があった。それはとてもいい経験値の上げ方だったと思います。パソコンがなくて僕らは得をした。

p.27

「自分学校」で自習する

ライブハウスでは刺激的な経験をするけれども、学校生活ではパッとしないし、いじめられないよう透明人間のように過ごしていると、精神的に追い詰められて、火炎瓶まで自作してしまいます。

スクールカースト制度からドロップアウトすると、サブルなくんは学校の外にもうひとつの学校を作ろうとするんですよね。言うなれば「自分学校」です。学校の授業についていけない分、そこで自らに何かの宿題を課すわけです。
「俺は数学ができないけれど映画は山ほど観ている」「物理とかも分からないけど、本はこれだけ読んだ」そういった自分に対する宿題。これが彼にとってはちっぽけなプライドになるんです。

p.28-29

映画を見るというのも、「とにかくたくさん見なければならない」と自分に課し、まるで修行のように見まくったそう。もちろん、本も乱読するし、少女マンガまでチェックします。

「プロのお客さん」になるな

本書ではサブカルで食べてゆくために、大槻ケンヂさんはどうやってサブカル力(?)を上げてきたのか、またデビューの経緯や、ブレイク後の仕事や契約の話など、これまでの経験を語っています。

その中で重要だろうと思しきは「プロのお客さんにはなるな」という忠告です。

「プロのお客さん」とは、

サブカルな人になりたいと思って自分学校で一生懸命に自習している人が陥りがちなんですけど、色々な本や映画、ライブ、お笑い、演劇を見ているうちに、それを受容することばかりに心地よさを感じてしまって、観る側のプロみたいになってしまうことってよくあるんです。
だからといって、批評、評論の目を養うわけでもなく、それこそツイッターとかに「今日はそこそこよかったなう」とかつぶやくだけで満足してしまう。それでいてチケットの取り方だけは異常に詳しい……みたいな。そういうのを「プロのお客さん」というんです。

p.36

ドキッ……なんか胸が痛いんですけど……。ただサービスを受容して「ああ気持ちよかった」ってだけじゃただのお客さんです。サブカルな人になるのなら、

色んなライブを観ました、色んな映画を観ました、でも「じゃあその結果、君はどうしたの?」と聞かれると「え? いっぱい観たんですけど……何か?」で終わっちゃう。もちろん、そういう生き方もあると思いますけど、自分も表現活動をこれからしていこうというサブルなくん、サブルなちゃんは、プロのお客さんになっちゃいけませんよ。

p.36-37

ライブや映画鑑賞の結果「〈君は〉どうしたの?」という問いが、サブカルなんですかね。一般の評価とか歴史的位置づけとか、同時代に及ぼした影響とか、そんな話ではなく「君はどうしたの?」と、評価が内に向いています。また、サブカルになりたい人って、ゆくゆくは表現活動をしたいと考えているんですね。そのための肥しとしてのゲージュツ鑑賞なのだ。観賞することが目的になってしまっては、本末転倒なのです。

『サブカルで食う』挿絵イラストIMAXシアターの追加料金で椅子の背もたれの音響が使えるやつ、椅子がめっちゃ揺れる

あとは〈運〉だけなのだ

本書『サブカルで食う』は大槻ケンヂさんの自伝的構成なのです。大槻ケンヂさんはサブカルな仲間とつながるためバンドを始め、ライブハウスのステージに立つようになる頃、ちょうどインディーズブームが起こり、バンドブームに乗って、デビューに至ったと、なにやらそれはまるで「運が良かった」という話になっていますw

あさよるの感想は「大槻ケンヂさんは罪作りな人だなあw」というモノでした。サブカルな活動をしこしことしていて、たまたま「運が良かった」から「サブカルで食う」ことができているという話は、「身も蓋もない」とも言えるし「夢がある」とも感じる人がいるでしょう。あさよるは前者ですw

忘れちゃだめなのは、大槻ケンヂさんはただ映画見たり本読んでただけじゃないんだからね。仲間とバンドをやったり、ステージに立ってたんだからね、と一応書いておこう。

〈サブルなくん〉の言うことがわかった

あさよるの周りにも、サブカルな人になりたい〈サブルなくん〉〈サブルなちゃん〉がいましたw 本書『サブカルで食う』を読みながら、彼らの顔が浮かびます。そして、彼らの言動の意味が少しわかった気がします。それは「ぬるい趣味の延長で食べていけたら」「自分の知識やセンスが認められたら」と言いながら、特に何かに打ち込んでいる様子もないところ。

そうか〈運〉が巡ってくるのを待っているのね。毎日ブログを書いてると、誰かが自分を見初めてくれて、なんかトークライブとかに招待されて、なんとなくギャラや執筆料をそこそこもらって、贅沢しないけどセンスのいい友達が増えて、楽しくやれたらいいなあってことなのか。

みんなバンドやらないのもわかった

大槻ケンヂさんは仲間とバンドをすることで、より多くの仲間をつながりを持とうとしました。しかし、現在はインターネットもSNSもありますから、バンドをする必要はなくなったんですね。今の若い世代はバンドをやらなくてヤバイという話をアチコチで聞きますが、「居場所づくりとしての」「仲間とつながるための」音楽バンドは、やる必要性がなくなってしまった。そのせいでゴソッとバンド人口が減ってしまったのでしょうか。音楽一筋に打ち込む人は、時代や仲間は関係なく打ち込んでいるでしょうし。

今、YouTubeに動画投稿する10代や学生さんたちは、「仲間との思い出作り」や「仲間との活動として」動画を公開していると聞いたことがあります。だから儲けや費用対効果は度外視で動画を作ってるんですね。現在の「サブカル」の発表の場は、YouTubeがステージになっているのでしょうか。

そんなこと言ってる あさよる自身も、10代の頃バンドもやらずにWEBサイトを作って、日々ブログを更新していましたw あさよるにとって、サイトやブログはサブカルな発表の場だったのかもしれません。そして、今もね。

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『正しいウォーキングの始め方』|その歩き方は効いてないかも?

『正しいウォーキングの始め方』挿絵イラスト

こんにちは。運動不足な あさよるです。ちょうど今の季節、どんな服装をしていいのか分からず、外出がとても億劫だ~。半袖じゃ肌寒い。しかし上着を着ると厚い。

特に運動もしてないので「なるべく歩こう」と心がているんですが、この歩き方であっているのか。そして、そもそも歩いてるけど、これってなんか効き目があるのか(なにもしないよりは良いだろうとは思うけど)。

いつものウォーキングは効いてないかも

本書『ウォーキングの始め方』では、正しいウォーキングの知識やが紹介されているのですが、そこで示唆されるのは「いつものウォーキングは効いてないかも?」ということです。

犬の散歩や、通勤時一駅分歩いてみたり、歩く習慣を心掛けている方もいらっしゃるでしょう。しかし、ウォーキングってのは、結構マジメにやると息が上がるような運動みたいですね。最終目標は最大心拍数の70%だそうで、前傾姿勢のフォームでウォーキングをするのですが、それより「ジョギングする方が楽だ」と感じる人もいるそうです。

だから、悪いフォームでダラダラと歩いてもウォーキングの効果は得られません。ウォーキング、ガッチリやるとまあまあの運動強度なのですな。

デスクワーク中心の人はウォーキングを

基本は、いつもの自分の姿勢から活動量を一つ増やすことを目標にしましょう。寝たきりの人は、まずは「立つ」ことを目標に。デスクワークが中心の人は「歩く」を目標にしましょう。ですので、よく歩く仕事をしている方は「走る」を目指しましょう。

突然、強いトレーニングを強いてもできないし、続きません。本書は「ウォーキング」の本ですから、デスクワークが多い人にオススメですね。

目標8千歩。距離を意識しよう

ウォーキングは毎日しても構いません。また、アスファルト舗装された道は足に悪いと地道を選ぶ方もいらっしゃるそうですが、土の上だったら足に負担がかからないわけでもないそうです。

目標は8000歩。また、歩数や歩いた時間だけじゃなく、「歩いた距離」も意識しましょう。だいたい、自分の身長の半分の歩幅が目標らしいです。

細切れでもOK。

ウォーキングは10分とか短い時間を細切れにやってもいいそうです。細切れの時間なら一日の中で捻出できそうです。ただ、短い時間で負荷が少ない運動は達成感が得られないので、少しずつレベルアップしてゆきましょう。

目標は、毎日30分を10週以上続けること。

続けられるなら時間帯はいつでも構いません。前傾フォームで、心拍数を計りながらウォーキングをするので、ランニングを始めるのと同じですね。後々ランニングへシフトできるように、距離を意識して歩いておくと良いでしょう。

歩いてきました(^^)>

糖尿病予防や、ダイエットにも効くウォーキング。前傾姿勢で正しいフォームで歩くと、体幹に力が入り、下腹ぽっこり体形予防にもなるそうです。いいこと尽くめなので、本書を読みながらムクムクと「歩きたい」欲求が高まり、用もないのにウォーキングしてきましたw

途中、TSUTAYAへ寄り道してCDレンタルしたり。ジョギングを始めるように、ウエアやシューズもこだわった方がよさそうですね。また、心拍数や歩いた距離など、記録する準備をしましょう。これまで歩くように心掛けていましたが、記録も取ってないし、ほんと「なんとなく」しかやってなかったので、もっと意識的にしてみます。

『正しいウォーキングの始め方』挿絵イラストアップルウォッチが欲しいですな

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『世にも奇妙な人体実験の歴史 』|命知らずな科学者列伝

『世にも奇妙な人体実験の歴史 』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。あさよるのイタイケな幼少期時代、子どもらしく虫やカエルで遊んでいました。「実験」もよくしました。それは重力や水の表面張力についてよく知ることになりましたし、まあ、子どもの遊びって残酷ですよね。

本書『世にも奇妙な人体実験の歴史』は、子どもの頃の好奇心を持ったまま科学者となり、実験を続けているマッドサイエンティストたちの記録です。命知らずの医者や、人を人とも感じていない当時の価値観が交錯する、なんともふしぎな世界を醸す一冊でした。

追記(2020.6.22)

岡田斗司夫さんのYouTubeライブでも本書が取り上げられていました^^

マッドサイエンティストの世界へ

本書『世にも奇妙な人体実験の歴史』は、人類の歴史の中の果敢なマッドサイエンティストたちのエピソード集です。「果敢」と書きましたが、うーん、ほかにどんな言葉で紹介すれば良いのやら。今となっては常識の知識であっても、かつては原因不明の病気や症状であったのです。謎を解き明かすため、あくまで科学的探究心を心に灯して研究に邁進する姿は、まさに多くの人が思い浮かべる「科学者」の姿であろうと思われます。

しかし……本書で紹介される科学者たちは、確かに世紀の大発見をした偉人たちなのですが、向こう見ずで乱暴な人体実験を繰り返す……なんと言っていいんだろう。「実験、雑っ!」というのが、感想でしたww

科学者とは……以下ry

印象に残ている話をいくつかあげます。

まず、心臓にカテーテルを通す手術をした外科医フォルスマン。彼は人体実験の検体として、自分の体で実験を始めます。自分で自分のオペって『ブラックジャック』の世界観をリアルにやってるんですよ。しかもその実験、犬の心臓にカテーテルを通したときは失敗して犬は死んでしまいました。助手に「危険はない」とウソをついて、自分の血管からカテーテルを挿入し、レントゲンで確認しながら心臓にカテーテルを通しました。「どんな心臓しとんねん」というのがこの話の主題です。

麻酔の発明は、人類の歴史の中で大きな飛躍になりました。麻酔がなかった時代、外科医は力が強く、早業で身体を切り落とせる職人でなければなりませんでした。患者の気を失わせるために、酒を飲ませたり、桶を頭にかぶせトンカチで殴り気絶させました。毒ニンジンのエキスを使った麻酔を試したところ、患者は二度と目を覚ましませんでした。そんな中やっと「笑気麻酔」が発見されます。しかし、麻酔の適量がわからず、麻酔が効かなかったり、効きすぎて死んでしまうこともあります。また、麻酔の研究する科学者たちは必ず自らでも人体実験をし、みな中毒になりました。医療の姿を変えた「麻酔」の発明は、地道で苦難の道があったのでした。

人体実験に必要な「検体」集めに奔走する科学者の姿も印象的です。かつて医学生たちは座学しか学ばず、現場で生まれて初めて「人の体を切る」というなんとも無謀なことをしていました。学生には実際に人間の体で慣れておかないといけないと「死体」集めの奔走が始まるのです。検体集めはエスカレートし、墓暴きや、殺人まで起こりました。

現代の医療は、いかに「人道的」であるか染み入ります。医師たちが我々の体をモノのように扱おうとも、歴史の中のどの瞬間よりも最も今が「人道的」である……そう思うようにします(苦笑)。

また、人体実験の実験台に、貧しい人や孤児、死刑囚など、人を人として扱わない話てんこ盛りなので、気分の良い話ではありません。あしからず。

今に生まれてよかった……

『世にも奇妙な人体実験の歴史』を読むと、しみじみと「21世紀に生まれてよかった!」と思いますね。特に、麻酔のある時代で良かった。歯医者さんが麻酔使ってくれて良かった良かった。また、歴史の中で「医師」の地位は低いというか、人々から尊敬されない職業なのはなぜだろうと感じていましたが、かつて「迷信」や「デタラメ」「おまじない」のインチキ医者もたくさんいて、民衆が翻弄されていたそうです。そりゃ、みんな医者が嫌いになるわね。それでなくても「病」を扱っていて、できればお世話になりたくない存在なのに。

あさよるは小学生のころキュリー夫人の伝記をよく読みまして、人々が放射線物質に〈魅せられる〉のが印象的で、危険だとわかっていても、研究をやめられません。キュリー夫人も若くして亡くなります。そして、その研究室のあった場所はいまも放射線量が高く、危険なエリアのままです。

本書『世にも奇妙な人体実験の歴史』に登場する科学者たちは、なにかに魅せられ、自分の命を忘れて研究に没頭してしまう、向こう見ずでクレイジーな人々です。少なくとも、あさよるとは全く違うタイプの人だわ。くわばらくわばら。

『世にも奇妙な人体実験の歴史 』挿絵イラスト

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『速読勉強法』|参考書を自分専用カスタムで時短!何度も読もう

『速読勉強法』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。先週読んだ『高速回転仕事術』が良い内容だったので、続けて同じ著者の『速読勉強術』を手に取りました。

また、先週読んだ『独学勉強法』も良書で、素直に「勉強しよう」とパワーが出る本だったので、勉強術の本であることも、決め手でした。

「速読」って憧れるけど、ホントにテレビで紹介されるような速読ってできるの?と疑問でしたが、本書の著者も速読には入れ込んでいたことがあるそうです。その結果、導き出された「速読勉強術」をどうぞ。

すばやく、何度もやる!

本書『速読勉強術』は、資格試験やスキルアップのための「勉強」を効率よく高速で目標達成するための指南書です。「速読」と銘打たれているように、資料を速読するのですが、「特殊技能としての速読法」とは違った説明がなされています。

著者の宇都出雅巳さんも巷に良くある「速読術」にハマって、お金も使って勉強したそうです。しかし、速読よりももっと単純なことが本書で紹介されています。それは「初めて読む本よりも、2回目読む本の方が早く読める」ことです。初見の本よりも、何度も何度も繰り返し読んだ本の方が、内容がわかっているだけに、すごいスピードで読めるのです。それが「速読勉強術」のポイントです。

資格取得のため勉強するときは、参考書にガシガシ書き込みをして、本を「自分オリジナルテキスト」に作り替えていきます。完全に頭に入っている箇所は、もう読む必要がありませんから、大きく「×」をしましょう。また、問題集を解くときは、回答を切り離して、時短します。とことんまで本を自分にとって「読みやすく」「使いやすく」カスタマイズしていくことが大切です。そうやって作り込んだテキストなら、パッと見るだけで速読できて当然ですよね。

『速読勉強法』挿絵イラスト

目的を達成しよう。資格取得? スキルアップ?

『速読勉強術』で紹介される勉強法は、しっかりと勉強する「目的」が自分の中にある人に向いたものです。ある人は資格試験かもしれませんし、別の人はスキルアップかもしれません。また自分のライフワークに取り組む人もいます。

どんな勉強法でも、大事なのは「目的を達成すること」です。本書でもそこに重点が置かれています。たとえば、資格取得のための勉強なら、目標は「試験に合格すること」です。なにも満点を取る必要はありません。合格点が70点なら、70点取れる勉強をすれば良いのです。それを真面目にパーフェクトを目指すことで、もたついてしまう必要はないのです。

目標を明確に据え、そのために惜しまず何度も何度もスピーディーに繰り返し勉強しましょう。

「1回で成功させたい」って〈手抜き〉予備軍?

本書『速読勉強術』を読んでは「何回も何回も読み倒す」「テキスト・参考書に書き込みしまくる」ことでスピードアップが図られています。ここで、はたと気づきました。もしかして「テキストを汚さないように勉強する」って、自分への恰好の「怠け」の言い訳になっているかもしれない。テキストを汚さないよう、ノートに問題を移しとっている時間、自分は「勉強してる感」を感じているかもしれない……(;’∀’)

また、同著者の『高速回転仕事術』でも、とりあえず最後までやってみて、それから何度も繰り返し取り組んで精度を上げてゆくやり方が紹介されていました。これって反対に言えば、「最初の一回で成功させようとするから手が止まってしまう」とも言えます。

「質にこだわる」「細部まで気を配る」のは素晴らしいことです。しかし、それは一歩違えば自分への最高の言い訳にになってしまうんだとも思いました。すなわち「量よりも質」と嘯いて、サボってしまうかも。

「たった1回で成功させたい」と、できるものならそうしたいですが、実際にはそう上手くいきません。むしろ「量よりも質で勝負」と言いながら、これ幸いと手抜きしてることの方が多かったナと反省しました。

「がんばってますアピール」も一つの目的

本書『速読勉強術』は、高速で勉強をしながら、短期間で結果を出すためのメソッドです。たぶんここに書かれていることは本当で、著者の言う通りに勉強すれば、誰だって成果に繋がるだろうと感じました。

しかし、「人の心」はそう単純でもありません。ときには「がんばってるアピール」を他人にしたいこともありますし、自分自身を「私はがんばってる」と騙しとおしたいこともあるでしょう。そういう時には、本書は全く不親切です。なにも言い訳させてくれないのですから!

きれいにノートを作って悦に浸りたい時間も人にはあります。周囲に意識高い系をアピりたいこともあります。それが人情ってもんでしょ。そういうときは、本書を読むフリだけをして、実行しないように気をつけましょう。

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宇都出雅巳さんの本

勉強法の本

速読・読書術の本

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