自分にとって「大切なこと」ってなんだろう。
大切な家族やパートナーと一緒に過ごす時間かもしれない。ゆっくりと、食事をいただくことかもしれない。それとも、やわらかな毛布に包まれて眠りに落ちる瞬間だろうか。
大切なことを大切するとき、湧き上がる感情は、それは「幸福感」だ。
私たちは幸福を得るために生きている。それは何物にも代えがたいモノだ。
だけど、幸福は形もなく、取り留めもなく、お金を出して手に入るものでもない。ただ、幸福をキャッチするのが上手な人と、不得手な人がいる。上手な人は、たとえ物質的に恵まれていなくとも幸福を噛みしめるし、不得手な人はどんなに環境に恵まれようとも、なかなか譲受できない。
「時間がない」が「幸せ」を逃す
それを実現するには、一見関係なさそうなことが繋がっている。
一日たった数分のストレッチだったり簡単な筋トレが、幸福感へと繋がるのかもしれないし、朝起きて数秒のベッドメイキングかもしれない。そんな些細な事で生活の質が上昇することは、多くの人が気づいているだろう。
だけど、私たちには「時間がない」。いつもいつも時間に追われている。数秒も惜しいくらい忙殺されている……ような気がしている。
だけど、もしかしたら、本当に大切な仕事や要件以外を手放してしまえば、新たな時間が生み出せるのではないだろうか。
決して、お風呂の中でボーッと過ごす時間や、こたつに入ってぬくぬくする時間を削るのではない。それらの時間は、きっと必要な時間だろうから(たぶん多くの人にとっても)。時間がないからって、睡眠時間を削ったり、食事を掻っ込んで時短を図るのも、それって本末転倒だ。
私は、一体何のために生きているのだろう。
もっと本質的に……不要な仕事はなに?
考えるべきは、自分の生き方そのものだ。単にタスクに順番がつかず収拾がつかなくなっているだけではないか?あるいは、他人からの頼みを安請け合いしているだけではないだろうか?自分にとって不要な仕事を背負い込んでいるだけではないのか?
思い切ってそれらを捨て、手放し、断ってしまえば時間ができる。
人からの頼みごとを断ってしまうと、人間関係にヒビが入ったり、信用がなくなるのではないかと心配は不要。案外、キチンと断っても大丈夫なものだ。それよりも、期日を守り、クオリティの高い仕事をする方がずっと信頼に繋がる。反対に、何でもかんでも抱え込んで、中途半端に終わらせたり、うっかり間に合わなかったときのリスクの方がずっと高い。
私たちはそのために、しっかりと自分の体調を管理し、能力を把握し、断るべきものははっきり「断る技術」が必要だ。相手に嫌な思いをさせずに申し出を断るには、気遣いや礼儀も必要だ。
幸福感を手に入れるべく必要な技術
本書『エッセンシャル思考』では、見極める技術、捨てる技術、しくみ化の技術と大きく区分して、それぞれの考え方や具体例を紹介する。
見極める技術は、時間を生み出すためにしないといけないことを見極めること。相手の気持ちを言外から読み取ること。モノゴトの本質を見抜くこと。
捨てる技術は、本質以外のものを思い切って手放すこと。断ってしまうこと。惰性で続けていることに決別すること。
しくみ化の技術は、しっかりと準備をし、最悪の状況でも乗りきれるようにすること。コツコツと小さな達成感を積み重ねること。良い習慣を身に付けること。
私にとっての“エッセンシャルライフ”
私にとって……
一日8時間しっかりと睡眠を取り、一汁三菜の朝食を摂る。朝の時間帯に掃除を終わらせ、午前の仕事を片づける。昼食前に少し散歩をする。
これが、今の私の理想の生活だ。朝の日差しの中で、掃除をすればどんなに気持ちいいだろう!きれいになった部屋で、優雅に午後の業務や、読書なんかできたら幸せだなぁ。片付いたテーブルで、落ち着いて食事をすればさらに美味しく感じるだろうなぁ。
少しずつだけどもエッセンシャルな生活に近づきつつはある。少しずつの小さな積み重ねだ。
もちろん、エッセンシャルな生活のイメージは、千差万別だろう。あなたのエッセンシャルライフも教えてほしい。
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