
「雑談力」があると、人に大切にされる?
悩み:世間話ができない……
「世間話が上手にできない」
そんな悩みを抱えていました。
世間話ごときで……と思われるかもしれませんが、要件だけの会話で済ませてしまうと、いつも人間関係がギスギスしてしまいます。家族との間でさえ、要件に、+ α の世間話するかしないかで、家庭内の雰囲気が全然違います。
世間話を避けるのは「面倒くさいから」という理由も大いにあるのですが(^_^;)、「どんな話をしていいのか分からない」といのも本音です。
そんなモヤモヤをずっと抱えているとき、 齋藤孝さんの『雑談力が上がる話し方』が Amazon のおすすめで紹介されていました。「雑談力」という言葉を見た瞬間、足りないのはこれだ!と思い、手にとりました。
「嫌われない」技術は幸福感を呼ぶ
要件のない雑談、いわゆる「ダベリ」なるものに苦手意識を抱いていました。
人間が何人か集まれば、どうしても誰かの悪口に華が咲いたり、仕事や組織への愚痴大会になってしまうと思っていたからです。ですから、「雑談」という言葉には、ネガティブな印象しかありませんでした。
そんな場に居合わせてしまったら大変です。なんとかして「話題」を生み出し、中身のある会話に仕立て直さないと、悪口や愚痴大会になってしまう!そう必死になっていました。
そんなことを数回繰り返していると、疲れ果て、人と話すこと自体が億劫になってしまいました。
「嫌われたくない!」と願うあまりの失敗談
昔々のことですが、ずっと「みんなから好かれたい」と願っていました。
しかし、そうは上手くいくはずなく、思春期の頃には「皆から好かれることは出来ないのだ」と悟りました。ですから、「嫌われないよう、最低限の関わりにしよう」と心に決めました。
それから数十年経ち、果たして「嫌われないようにする」というのは正解だったのかなぁ?と疑問に思います。それにどんな意味があったのでしょうか。
若き日の あさよる は、「嫌われない」ということと「関わらない」ということを、イコールで結んでいました。
しかし……人と、なるべく関わらないよう距離を置き続けても、ちょっとしたことですれ違ったり、トラブルは起こります。それが原因で嫌われてしまったり、避けられることは不本意ながらも起こってしまいました。
一方、人と関わらないのですから、「好かれる」「愛される」ことは絶対にありません。
これを続けていると、みるみる周りとの人間関係がギスギスし始め、自分自身の居心地も悪くなってしまったのです。
気が合わない=嫌い ではない
周囲の人達すべてから、手放しに「大好き!」と愛されるということは、絶対に有り得ません。
ですが、それは悪いことではないのです。
自分を好いてくれる人もいれば、避ける人も居る。人には「個性」があるのだから、当たり前のことです。気が合う人もいれば合わない人もいます。意見や考え方が違う人もいますし、ノリやテンポの違う人もいます。
それらは「自分とは違う」というだけです。
個性に多様性があることは、むしろ喜ばしいことです。その中で、たまたま反りが合わない人がいるのは、仕方がありません。
「気が合わない」「考えが違う」人と、「嫌いな人」というのは、違った話です。
スムーズな人間関係は「幸福感」を生む
人間社会には、たくさんの個性の違うの人がいます。気の合わない人もいれば、考え方の違う人もいます。
その人達と、無理に仲良くしたり、自分の考えを曲げてまで一緒にいる必要はありません。しかし、だからと言って「違う」ということを、嫌って遠ざけることも変な話です。
たまたまお互いの個性と個性の「相性」が良くなかっただけで、誰が悪いわけでもないからです。
わざわざ好かれる必要もないけれど、かと言って無意味に関係をギスギスさせる必要もありません。お互いにやり難いでしょうし、なにより、ピリピリした雰囲気の二人がいると、その周囲の人までイライラさせてしまいます。
「雑談力」とは、人間関係を“いなす”力や、ちょっとしたクッションを作り出す力です。心をトゲトゲさせず、フワッと気の合わない人や考えの違う人とも、その場を包み込むのです。
トゲトゲがなくなり、フワフワに包まれた人間関係は、自分にとっての「幸福感」につながります。
プロのトーーク!は、しなくていい
『雑談力が上がる話し方』では、そのタイトルの通り「雑談力」を上げるためのノウハウが細かに紹介されています。
なにも雑談と言っても、プロの芸人さんのように話す必要はないのです。
人気番組「アメトーーク!」や「人志松本のすべらない話」のようなトーク番組も、芸人さんたちプロの「話芸」のなせるもの。素人が真似できるものではありません。
落語の「まくら」は参考になる
と言いつつ、参考にすることはできます。特に落語の「まくら」は絶好のお手本になります。
落語のネタは、落語家さんたちが代々語り継いできたお話で、決まったストーリーがあります。同じ落語の噺(はなし)を、複数の落語家さんたちが話すので、その人の個性や芸が光ります。
その落語には、必ず「まくら」がセットでくっついているのです。「まくら」とは、落語のネタに入る前、その日の天気の話や時事ネタなどを織り交ぜながら、ウダウダと雑談をしながら、お客さんの興味を引きます。しかし、さっきまで雑談していたハズなのに、いつの間にか落語のネタが始まっていたりするのです。
トーク番組も「まくら」をチェック
「アメトーーク!」や「すべらない話」のネタも同じですよね。最近あった話や、世間話のようにトークをはじめ、いつの間にか芸人さんのネタにすり替わっています。どこからネタでどこから「まくら」だったか分からないほど、巧妙にトークが手配されます。
芸人さんの「ネタ」の部分は真似できませんが、「まくら」でどんな内容が話されているかチェックしてみようと思いました。
「等身大の自分」を尊重してもらうために
日頃からのコミュニケーションは、人間関係の衝突を緩和します。
「人に嫌われたくない」という一心から、人と距離を置くよう試みましたが、結局裏目に出てしまいました。コミュニケーションを減らしてしまったせいで、お互いに「この人は誰?」「何を考えているの?」「良い人なの?悪い人なの?」と不信感ばかり募ってしまったせいだと思います。
反対に、お互いの弱みや、好き嫌いまで事前にわかっていれば、疑心暗鬼にならなくて済んだのでしょう。それに、人の好みや得意不得意など把握していれば、気遣いや配慮もできるのです。
同じように、自分の弱みや好き嫌い、得意不得意が相手に伝わっていれば、自分も気を使って貰えたり、大切にされるのです。
人から大切にされ愛されていると、自分の承認欲求も満たされ、自分に自信が持てます。
「雑談力」はその手助けになのです。
媚びや、モメ事から距離を置くために
もし「雑談力」を後天的に身につけることを、「人に媚びるみたいで嫌」と思うならば、そんな人ほどこの本を手にとって貰いたいです。
雑談力を身につけることと媚びることは全く違うことです。むしろ、誰に媚び諂いもせず、等身大の自分で渡り合ってゆくための下準備だと考えたほうが良いでしょう。
「人と必要以上に関わりたくない……」と、かつての あさよる と同じように考える人には、なおさらオススメします。
人と関わらないことと、人とコミュニケーションを取らないことは全く違います。人と不要なモメ事を起こさないことが、人と必要以上に関わらないことです。人間関係がこじれてしまうことは、実は人間関係が濃密だからに他なりません。
周囲の人と気持ちのいい距離感を保つために、「雑談力」が必要なのです。
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