『天才児のための論理思考入門』|子どもの「なぜ?」「どうして?」大人よ、どう答える

月に数度、図書館をウロつく あさよるです。

地元の図書館には幼いころから通っています。

子どもが言う、子どもの質問「どうしてお空は青いの?」「雷ってなに?」「どうしてお砂糖は甘いの?」などなど、まるで哲学なような質問がありますよね

あさよるの母はそれに全力で答える母でして、インターネットのない時代でしたから、毎日のように図書館へ通い詰めだったのです。

ですもんで、未だに「分からんことがあったら図書館へ行く」という習慣があります。

子どもの「なんで?」にどう答える?

子どもの「なぜ?」「どうして?」の質問の嵐は、大人の側からすると「なにをあたり前のことを」「言うまでもない」と思う質問が多数です。或いは、質問に答えることができず「……ぐぬぬ」と黙り込んでしまうこともあります。

あさよるも、幼稚園児から「なんで裸で外に出ちゃいけないの!裸の何が悪いの!」と言われ、言葉を失いました……(;’∀’)

しかし、ガチな質問に「さぁねぇ」「どうしてだろうねぇ」とはぐらかすのもどうかと思うし、かといって適当な返事をするのもおかしい……。ましてや「しょうもないこと聞くな!」とか「うるさい!」なんて返事してしまっては大変。

と言いつつ、日々忙しくしている親御さんが、お子さんの「なぜ?」「どうして?」にマジレスし続けるというのも、これまた非現実的な話です。悩ましい……。

今回読んだ『天才児のための論理思考入門』は、子どもの「なんで?」に全力で答えようとしている大人たちへ向けられた一冊です。

問いに答える大人へ向けて

そう、この『天才児のための論理思考学』は、子どもの「なぜ?」にどう答えるのか!?大人の、試される瞬間に役立つ一冊です。

ですので、“天才児のための”とタイトルにありますが、子供向けの内容ではありません。ご注意を。あくまで、大人が読んで、大人が理解するためのもの。

しかも、大切にされているのは「答え」ではなく、「筋道の立て方」「考え方」であるところもポイントです。まずは、それを理解せねばならんのは大人の側なんです(;’∀’) 自分の得意不得意もありますし、割と平易な文章で、好奇心をかき立てるような書かれ方がしているから、大人も読みやすいと思いました。

子どもの質問の答えに、パラドクスやパラレルワールドまで話が及べば、話している大人の方も楽しいですよね。

あくまで、学校の勉強の邪魔をしない

『天才児のための論理思考学』のいいところは、子どもに“話して聞かせる”ことが前提になっている点です。シチュエーションとしては、親がじぶんの子に言い聞かせる場合がほとんどだと思います。

この時困るのが、学校の教育との兼ね合い。

「どうして1+1=2なの?」という質問に、十進法以外にも表記法があることや、数字じゃなくて絵や記号でも構わないことも告げると、学校の学習の妨げになってしまいます。大混乱になっちゃいますね。

きちんと、学校で習う学習を邪魔しないように、だけど学校の勉強では触れられない「考え方」まで広がります。

もちろん、学習を進めるには、小学校中学校の学習は有益です。疎かにするのはお勧めできません。ただ、教科書の範囲外にまで飛び出して「なぜ?」「なに?」を知るのってとっても楽しい!オモシロイ!

素朴な「なぜ?」「なに?」を解決するためには、今以上にワクワクする学習が必要でしょう。疑問を突き詰めてゆく楽しさ、興味深さの一端に触れられます。

調べて答える大人、カッコいいよね!?

『天才児のための論理思考入門』を読んで、あさよるは思ったのでした。分からないことは、じっくり調べてから答える大人って、カッコイイ!

どんな事柄でも、書籍をあたり調べてみると、それなりの回答にたどり着きます。

きちんとステップを踏めば、求めている情報に到達する様子を、身をもって体現するのって大事なのかも。

あとね、どんどん問いへの「答え」を教えても、この世のすべての理を教えることは決してできません。

ある地点まで説明が進むと、「それは分からない」になってしまいます。だって、人類はまだ、ほとんど分からないことばかりです。

どこまで突き詰めても「分からない」ことにぶち当たるんですから、出し惜しみせず、なんでも年若い子どもたちのガチ質問にマジレスしても、全然大丈夫!

むしろ、余計に好奇心かき立てられるぅ~!

自分の「なぜ?」を、過去にマジで考えた人がいること。本を読めばそれに触れられること。しかも、世界中の天才が考えまくっても、まだ分からないことが山のようにあること。

その一端をちょっとだけ、子どもたちへ見せられるチャンス!それが「なぜ?」「なに?」の質問です。

これを機会に、大人も一緒に、ワクワクの世界へ飛び込みましょう^^

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『察しない男 説明しない女 男に通じる話し方 女に伝わる話し方』|ド男、ド女と男と女

こんにちは。何歳になっても、人との関わりに悩んだり戸惑う あさよるです。

あさよるは人とツルムのが苦手なので、女性同士の仲良しグループに属し続けるのも息が詰まる気がします。

一人で気ままにおれると良いのになぁと夢見つつ、生きています(笑)。

ですから、他人との関わりについて書かれた書物は……気になって手に取っちゃう機会が多めです。今回は『察しない男 説明しない女』という本を手に取りました。

「ド男」「男」「女」「ド女」あなたはどれ?

はてさて、まず確認せねばならないのは、ここでいう「男」「女」というのは、生物学的な区分ではないことです。思考のクセというか、特徴を大きく2つに分けているんですね。

「オスとメス」とか「陰と陽」とか、対になっているものだと、なんでもいい気もしますが、「男と女」で分けるほうが何かと盛り上がりやすいのかもしれません。

本書『察しない男 説明しない女』の最初には、以下のようなチェックシートが用意されています。ぜひみなさんもチェックしてみてください。

「ド男」「男」「女」「ド女」と4つのタイプに振り分けられます。

『察しない男説明しない女』チェックシート

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ちなみに、あさよるはAが9つだったので「男」でした。

で、思考のタイプを4つに分けて、それぞれのクセを学んでゆくという内容です。

おバカっぽい風味を装っているが……

実際の性ではなく、架空の性(?)で4つに分けるというのは、血液型占いとか、そういう眉唾っぽい雰囲気をバシバシ感じますw

実際に、血液型をはじめ、人間を3つ4つくらいに分け、単純化する“話のネタ”。これ盛り上がる層に向けられた本だと思います。こういうの、大概悪口のネタに昇華されていることが多いので、あさよるは苦手ですがw「鉄板ネタ」であろうことは認識しておりマス。

ですからネタ本として読んでも構いませんが、一応、中身はそれなりに「他者理解」を促すもので、微妙に真面目だったりしますw

いっそ、動物占いみたいに、意味のない動物にでも分類してくれる方が読みやすい気がしましたw

他人の言動は意味不明

『察しない男 説明しない女』は、難しい話を抜きにして「他人の言動は意味不明である」という事実を再確認しました。

「男」「女」というから話がややこしくなるのであって、単純に、人というのは支離滅裂なのであります。それをいかに理解するか?

いいえ、本書『察しない男 説明しない女』は、ハナから理解しようとしていないんです。そう、それは土台無理な話ですから。

ですから「理解する」ことではなく、「折り合いをつける」ことや「許す」ために、どう解釈すればよいのか指南されています。

女の涙は、汗だったのか

あさよるは女性ですが、他の女性が“泣く”タイミングが意味不明に思えます。

クレームをつけられたり、人から注意を受けているときに涙を流す人を見ると「態度が悪い」ようにしか見えないし、「泣いたら許してもらえると思ってるのか!」と非常に腹が立ちます(苦笑)。

少なくとも、あさよる自身はそのタイミングで“泣く”という選択肢は取らないので、理解不能なんですね。

しかし、『察しない男 説明しない女』では、涙がでるのは、一時的に感情がコントロール不能状態に陥り、パニック状態で涙が出るというもの。あくまで生理現象として涙がでるのであって、なぜ泣いているのかは本人も理解していないということで。

生理現象ということは、「暑いと汗をかく」みたいに捉えておけばいいのかしら。

へぇ、そんなもんなのかなぁと勉強になりました。

コミュニケーションは日々勉強?

『察しない男 説明しない女』はあくまで、理解できない他者を受け入れるためのノウハウ集です。

自分が「男」の考え方を持っているなら、「女」を持っている人にどう働きかければいいのか。「女」の考え方をする人は、「男」にどう声をかければいのか。

スムーズなコミュニケーションのための、コツが紹介されているんです。

しかし、何度も言いますが、これを「男と女」に振り分けているのは、非常にややこしい気がします。

外見は男性に見えても「女」の言動をすることもあるし、「男」の女性もいるわけで、こんがらがりません?

まぁ、「男と女」と分けた方が、下世話な感じで盛り上がるのかなぁと思うのですが、どうなんでしょうか。

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『知識ゼロからのハイボール入門』|ハイボールはカッコいいのじゃ!

こんにちは。「とりあえずビール」ならぬ「とりあえず日本酒」を飲みたい あさよるです。

実はね……ビールよりも日本酒や焼酎のほうが好きなんですよね。しかし、人と飲むときは一杯目は間取って(?)無難にチューハイを頼むことが多いのです。

なんですが、実は実はハイボールはねぇ、苦手意識があるんですよね~。なんでだろう。

ということで『知識ゼロからのハイボール入門』という、ハイボールへの門を開くであろう一冊を読み始めたのだった。

ハイボールは飲み方次第!

結論から、ハイボール、飲みたいwww

ハイボールって、飲み方がいっぱいあるんだと知りませんでした。居酒屋チェーン店でたまにハイボール飲むことがありましたが、あれはだいたいサントリーのトリス?

しかも、飲み方もお店の人へお任せだったから、そりゃハマらないのかも!

自分で美味しい飲み方を探せばいいのね。

ハイボールの銘柄と水やソーダの量だけでなく、氷の形や量でも飲みくちが変わる。もちろん、グラスによっても違います。

気合い入れて家飲みの準備がしたいっすww 「バー」ってところに足を踏み入れたことがないので、デビューしたいなぁ。

ちなみに、あさよるは街の居酒屋(魚が美味しいところ)や、一杯飲み屋が好きであるw

ハイボールのラベルも一目瞭然

ハイボールの種類も豊富に紹介されているのですが、文字情報だけでなくイラストも添えられています。

ハイボールの瓶の形やラベルも一目瞭然だから、非常に探しやすい。というか、よく見知ったものばかりです。

「おお、これもハイボールだったのか」という感じ。

(私事ですが昔、酒屋でバイトしていたので、酒瓶のビジュアルは知っているw)

古谷三敏さんのマンガも楽しい^^

で、著書の古谷三敏さんはご存知マンガ家の先生です。

内容はあくまでハイボールが主役ですから、ハイボールのデータブックみたいになっているんですが、ところどころに古谷先生の数コマのマンガが挟まるのも楽しい。

雰囲気は、表紙を見ていただければ分かりますw

ええねぇ(*´艸`*)

知識ゼロから「とりあえずハイボール!」

知らない世界を開拓するってワクワクするじゃないですか。

ハイボール、ああ、これまで知らない世界です。

もともと、あさよるはお酒をチビチビ飲むのが好きなんですが、銘柄には拘ったことがなく、別の言い方すれば「アルコールならなんでもいい」飲み方をしていました。

食べ物は美味しいものじゃないと嫌なので、絶対に美味しいお店で、チビッといきたいんですね。美味しい食べ物+お酒だったんですね。

しかし、本書『知識ゼロからのハイボール入門』では、お酒が主役の飲み方が紹介されているんです。しかもそれがカッコいい。

ハイボールラベルもカッコいいしね。カッコいい飲み物なのだなぁ~。

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『年収150万円で僕らは自由に生きていく』|「少ないお金でもなんとかなる」に

こんにちは。自分でブログをはじめて、他の人のブログも読むようになった あさよるです。

イケダハヤトさんのブログもちょこちょこっと拝読し、「この人はどんな人なのかなぁ」と気になり、著書を手に取りました。

貧しい社会で、幸せに生きる

イケハヤさんの本を読んでまず気づいたのは、“今後、今よりも貧しい社会がやってくる”“我々はその社会で生きる”という前提であるということです。

著者は1986年生まれのアラサー世代・ゆとり世代です。著者と同じ世代の方なら、同じ世界観を持ってらっしゃるのではないかと思います。

というのも、この世代は、物心ついた頃にはバブルは既に崩壊しており、不況の時代しか知らない世代です。「少子高齢化」も「年金問題」も既に取りざたされていました。もっと言えば「環境問題」や「エネルギー問題」など、今に通ずる問題を、すでに抱えていた時代です。

イケハヤさんの語る世界観は、夢も希望もない話にも聞こえます。しかし、現にそういう時代を生きているのですから……ね(´・ω・`)

砕けた口調で真面目な話のミスマッチ?

ということで、本書『年収150万円で僕らは自由に生きていく』で扱われている内容って、非常に真面目なお話です。

今後、今よりも貧しい社会が訪れることは予見できます。もちろん、景気回復を切に望みますが、楽観的にばかりなっておれません。来るべき時に備えて、用意しておくべきです。

来るべき時代とは、貧困の時代と言えば良いのでしょうか。その社会では、教育や福祉、医療や治安など、今と同じようにはいかなでしょう。

と、とても本質的で真面目な話なんですね。

しかし、砕けた文体で“今”のわたしたちが共感できる、親しみのあるネット社会や文化に触れながらページが進みます。

扱っている内容は固くて真面目な話なのに、砕けた文体でライトな喩えを用いている点に、読みにくさを感じる人もいるかもしれません。反対に、親しみを感じるのか、極端な気がします。

アラサーゆとり世代のリアル

「お金がない」という前提で生きる世代。どのように生き延びるのか。

お金がないなら知恵や人力を使うしかありません。

お金があった時代というのは、人間関係や手間や暇を、お金で解決できた時代と言えます。煩わしい家族や親戚との付き合いをやめ、面倒な地域社会との関わりを絶ってしまっても、お金があればやっていける。

しかし、貧しい社会というのは、親類縁者との関わりがないと生きれないかもしれません。地域社会で助け合わねば生活が成り立たないのかもしれません。

「わずらわしい」「面倒だ」と避けてきた人間関係に、我々は今後直面するのでしょう。

また、「働き方」「お金の稼ぎ方」も従来通りにはいかないでしょう。社会の仕組みそのものが変わってしまうだろう、ということですね。

お金がないなら知恵が必要

社会が貧しくなるというのは、どういうことが起こるのでしょう。あさよるは予想できません。

しかし、今のように医療や福祉サービスを利用するのは難しいのではないか。
今と同じように治安が良いままとは思えない。
今と同じように、食べ物があって当然、上下水道が完備されていて当然ではなくなるのではないか。
災害時、すぐに救援がやってくるのは、国が豊かであることが前提じゃないだろうか…?

最悪、サバイバルするように、生きる瞬間もあるのではないか。

その時、きちんと電力を確保できるかなぁとか、バッテリーやエンジンを上手に使えるだろうかとか、そういえば最近、機械をイジってないから、道具の構造&使い方を忘れてしまっている……。

あさよるは、非常時に役に立たない人だなぁと気づきましたorz もうちょっと、サバイバル力上げないと。

困ったときには、知恵と技術を持った人が必要です。

貧しい時代をどう生きようか?

タイトルが『年収150万円で僕らは自由に生きていく』と、なんとも夢のない、ネガティブなタイトルに思えますw

しかし、それが現実に起こるであろう話です。いいえ、既に起こっているけれど、まだ気づいていないだけの話かもしれません。あるいは、「気づきたくない」だけかもしれません。

と言っても、「今まで通りが通用しない」というのは、過去のどの時代でもそうだったでしょう。

「お金があればなんとかなる」時代は過ぎ去り、これから訪れる社会で「お金は少なくてもなんとかなる」。それだけでなく、「僕らは自由に生きていく」。

タイトルの『年収150万円で僕らは自由に生きていく』というのは、とても前向きな言葉なんだなぁと最後まで読み思いました。

もちろん、どんな時代でも成功する人はいます。

もっと多くの年収を掴み取る人もいるでしょうし、もっと少ない人もいるでしょう。自分はどう生きるのか考えるとき、お金の多い少ないはどちらにせよ、自由で幸せに暮らしたいなぁと思いました。

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『巨大津波は生態系をどう変えたか 生きものたちの東日本大震災』|塩害による変化

こんにちは。生きものの話題が好きな あさよるです。

『巨大津波は生態系をどう変えたか』は、タイトルだけで興味のあるものでした。大きな自然災害は、動植物にどのような影響を及ぼすのか知りたかったからです。

大きな災害直後は、人の命が最優先される中、それ以外の事柄に注意を向けるのは困難です。

著者である自然写真家の永幡嘉之さんは2011年3月11日の東日本大震災後、同年の4月から津波被害のあった地域に入り、“自然”を観察し続けました。

ブルーバックスの新書で、とてもページ数の多いものではありませんが、カラーグラビアも多く興味深いものです。

津波による「塩害」

津波が達したエリアは、田畑や池が破壊されただけでなく、海水により深刻な塩害に襲われます。

津波被害から逃れた動植物も、塩害により死滅するものが多くいます。

堤が破壊され、池が海とつながっている様子や、深刻な塩害によりお腹を上にして浮いているフナの写真。そのフナを餌に集まったウミネコの写真が印象的でした。

また、成体が生き残っても、塩が解けた水中では卵が壊れてしまうものもいます。壊れたカエルの卵の様子が掲載され、土壌から塩が抜けない限りその水たまりでは次の世代は育ちません。

また、植物もジワジワと枯れてしまうものもたくさんあるようです。

一方で、塩害に強い動植物が繁殖し、生態系が大きく変わってゆく様子が伝わりました。

カラー写真がたくさん

自然写真家による著作ですので、カラー写真も豊富です。

貴重な昆虫や、東北地方に生息している生物の中には、関西在住のあさよるにとって馴染みのないものもいます。

それらを写真付きで紹介してもらえるのは、文字だけの情報よりもずっと読みやすく感じました。

もちろん、写真では伝わらないものもたくさんあるのでしょうが、少しでも目に見えるのものがあるのは、ありがたく感じます。

また、無残に破壊された池や田畑の様子だけでなく、その中で動植物が“生きている”様子に、力強さと儚さが入り混じった気持ちになります。

インフラ整備により被害地域が変わっている

地震も津波も、自然災害は自然の営みの一つです。人の力が及ばない領域です。

しかし、人の活動が災害の様子を変えているのは事実のようです。

インフラ整備により、コンクリートで固められた水路や、津波対策の堤防が水の流れを変え、津波到来地域が変わっているようです。

また、海と内陸部の間の地域が開墾され、住宅地や畑になっていることも、水はけや塩害の様子を変えている様子です。

災害が自然をどう変えるのか

災害は自然の一部です。太古の昔から、地球の環境はダイナミックに変化し続けてきたのでしょう。

人もまた自然の一部です。人の営みが悪だとは思いません。大災害に見舞われたとき、人が人の命を優先するのは当然だと思います。

しかし、大きな災害が起こったとき被害をこうむるのは人間だけでなく、動植物も同じなのだと改めて突き付けられました。

このような動植物の被害を目の当たりにすると、我々はどうして良いのか、どう捉えて良いのかわかりません。

ライトに読める内容ではありますが、とても難しい問題を意識する内容でした。

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