読み聞かせする絵本は、大人が選んであげるのがほとんどだと思います。
そのとき気になるのはお話の内容。
昔話の中に残酷で怖い表現のあるお話があります。
たとえば、「赤ずきんちゃん」や「七ひきの仔やぎ」では、オオカミが赤ずきんややぎたちを食べてしまう。
そして物語の最後、オオカミを殺して喜びます。
「カチカチ山」ではタヌキは泥の船に乗り、溺れて死んでしまいます。
確かにオオカミもタヌキも悪いことをしたんだけれど……。
- 「こういうお話なんだから、そのまま読んであげるのがいいの?」
- 「だけど、誰かが死ぬのを喜んだり、殺されるお話って、どうなんだろう」
どちらの意見も分かる気がしますね。
今回、この問題を考えるときに参考になる本を見つけたので、ご紹介します。
昔話って残酷?怖い? 三つの視点から考えてみよう 野村泫『昔話は残酷か』
オススメしたいのは野村泫(ひろし)さんの『昔話は残酷か』という本です。
野村泫さんはドイツ文学を研究してらっしゃる方で、本書でもグリム童話を中心に考察されています。
本書『昔話は残酷か』では、感情的な良し悪しを語るのではなく、
- 文芸学
- 民俗学
- 心理学
の三つの視点から、今では残酷だと思われる昔話について考えてゆきます。
文芸学の立場から
細かくは実際に本を読んでもらうとして、ここでは簡単に紹介します。
まず、昔話の特徴として、出来事がとってもあっさりと簡単に起こります。
赤ずきんちゃんがオオカミに食べられるのも、「パクっと食べられた」てな具合です。
「どのように食べられたか」という詳細は省かれているんですね。
そのため、物語には身体性が欠けてしまっています。
つまり、痛そうとか、苦しそうとか、惨い感じがしなくなっている。
これが昔話の特徴なんだそう。
この章ではほかにも、
- 簡潔で抽象的な表現
- 内面を持たぬ主人公
- エピソードの孤立化
などを昔話的な特徴としています。
それらが相まって、残酷さを感じさせないつくりになっているのです。
民俗学の立場から
グリム童話では、悪者は最後罰を受けたりします。
その罰が残酷だというわけですね。
たとえば、熱した鉄の靴を履かせたり、「鉄の処女」といわれる拷問道具を彷彿とさせるものなどなど……。
これらの罰は、実際に存在したそうなんです。
他にも、親が子どもを虐待する話もたくさんあります。
でも、これも現在のわたしたちが日ごろニュースで見聞きする話ですよね。
そして、そのニュースには子どもたちも触れていて、ある程度わかっているのでしょう。
時代の違いによるギャップはあるものの、残酷な話というのは、今も昔も現実にあります。
残酷さは物語に限った話ではないのです。
心理学の立場から
物語の中で主人公が成長し変化してゆくように、子どもたちも子どもから大人へと変化してゆきます。
昔話は、この変化期を生きている若者のことを語っているのだと紹介されています。
試練を乗り越える物語ですね。
そして、昔話では時に、継母が登場したり、捨て子や人さらいが表れます。
それは子どもにとって恐怖です。
母親と引き離されることなんですから。
しかし、子どもはいずれ親から離れ、自立していかねばなりません。
その過程で、「ずっと子どものままでいたい」という段階を乗り越えないといけません。
成熟のための苦しみがあるのです。
昔話の中の、継母や人さらいは恐ろしい存在ですが、「親の庇護から離れる」という成長過程ではそのような恐ろしさは必要な恐怖なのかもしれません。
そして忘れてはならないのは、物語の最後には良い結末が待っているということです。
どんなお話を一緒に読もうか? 考えの参考に^^
残酷に思える昔話の表現。
どのように感じられましたか?
子どもにとっては残酷な物語(だけど最後は幸せな)は必要なのかもしれません。
現在では、よりソフトな表現に改変された昔話の絵本も多数出版されています。
どのような本を選ぶのか迷われたときは、この『昔話は残酷か』は役に立つと思います。
考えるときの参考になるでしょう。
昔話は残酷か―グリム昔話をめぐって―
- 野村 泫(のむら・ひろし)
- 東京子ども図書館
- 1997/2/24
目次情報
- 一 昔話の残酷な場面
- 二 昔話の三つの研究方法
- 三 文芸学の立場から
- 四 民俗学の立場から
- 五 心理学の立場から
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