こんにちは。あさよるです。あさよるは「前世」とか「来世」とか思想を持っておらず、その言葉自体をあまり使わないのですが、それでも慣用句のように「前世はよっぽど~」とか「このままじゃ来世は~」なんて言い回しをすることがあります(稀に)。
みなさんにもそれぞれ、ご自身の「世界観」がおありでしょう。それは、幼いころから慣れ親しんだ世界観、死生観もあるでしょうし、生きてきた中でハイブリッドな考えに至った部分もあるでしょう。みんな同じ道をゆく身ですから、多かれ少なかれ共感しながら生きているように思います。
『人は「死後の世界」をどう考えてきたか』は古今東西の人々の死生観をざっくり大まとめに紹介するものです。概要的内容ですが、古代ギリシア、古代エジプトから、キリスト教、仏教、イスラム教の世界三大宗教、そして日本人の死生観まで幅広く取り扱います。
面白く生々しく、そしてやっぱりちょっと怖い「死後の世界」を覗いてみましょう。
ズラリ世界の「死後の世界」
本書『人は「仕事の世界」をどのように考えて来たか』では、世界中の「死後の世界」観を一挙に紹介するものです。扱われているのはザッと「古代ギリシア・ローマの冥界」「古代オリエントの死後と終末」「キリスト教の地獄・煉獄・天国」「インドの輪廻転生」「大乗仏教と東アジアの来世」そして「現代の死後の世界」です。
冒頭では、現代の我々の「死後の世界」観の変化について触れられています。それは、日本人も今や「天国へ行く」という表現を使う人が増えたとう点です。天国というキリスト教的な世界観が普及しているのが見て取れます。
宮沢賢治の「来世」
かつて……宮沢賢治は妹をなくし、ノイローゼになっています。賢治の父は浄土真宗の信者でありましたが、浄土真宗の個人主義的な極楽浄土の世界観よりも、慈善活動を行うキリスト教や日蓮宗の方がリアルに感じていたようです。しかし、妹の死によって、日蓮宗的な来世観が賢治を苦しめます。
賢治が信じていた公式通りの輪廻観によれば、死者はみなバラバラの運命をたどる。身内どうしがまた再開できるといったものではないのだ。(中略)日蓮宗ではみんなが極楽浄土で会えるという立場を取らないから、どうしてもこの、バラバラの死後世界に耐える必要が出てくるのだ。(p.270)
そして、妹が「地獄へ向かったかもしれない」ことを思い、恐怖します。賢治は輪廻転生を信じ、地獄に落ちることを心配していますが、
そうした輪廻神話よりも法華経のパワーの方が優位に立つことを確信し、輪廻をめぐるノイローゼから解放されている。
つまり、賢治にとって、宗教のロジックは呪縛にも解放にもなっているのである。輪廻信仰は呪縛となっている。しかし法華経の信仰は救済となっているのだ。源信が描くような地獄堕ちの恐怖は、阿弥陀の救済によっても法華経の救済によっても無化され得るということらしい。p.280
宮沢賢治の死や物語にある、「死」のイメージは、ダイレクトに彼のテーマでもあったのですね。あさよるは、ユニークな地獄絵図のなんかを見てると「地獄は愉快そうだなぁ」なんて気楽に考えていましたが、宮沢賢治ともなると突き詰めて考えるものなのですね。
世界の神話はなんとなく似ている
本書では古代ギリシアから日本の死後の世界まで広く紹介されるのですが、神話の世界はどことなくみんなよく似ています。太陽神がおり、地下に黄泉の世界があり、死んだ神様や人は黄泉へ行きます。ギリシア神話では、これを「冥界」と呼びます。
仏教には極楽浄土と地獄がありますが、キリスト教にも天国と煉獄があります。これらの元ネタになったであろうゾロアスター教や、エジプト人、ペルシャ人のオリエントの死後と終末の世界があります。
エジプト人は死後の世界に備えてミイラをせっせとつくっていただけでなく、死んで復活した神が冥界で死者を審判するという神話をもっていた。ゾロアスターの徒は神々も自然も善と悪の二つのカテゴリーに分け、個人の死後の審判と世界週末のときの審判の二重の審判の思想を持っていた。どちらの宗教の神話も、どこかしら聖書の神話に似ているのである。(p.65)
エジプトの神様は、太陽神ラーと、冥王オシリスが有名ですね。死ぬと冥界に行って、オシリスの審判を受けなければならないそうです。エジプトの閻魔様なのです。古代エジプト人にとって大事なのは、オシリスの楽園で永遠の生を受けることでした。
エジプト宗教とゾロアスター教を眺めると
「神の死と復活」「死後の審判」「天国(楽園)と地獄(破壊)」「神と悪魔の対立」「終末・救世主・死者の復活・審判」という、後世の一神教世界の道具立てによく似たものが概ね出揃っていた。(p.82)
エジプト宗教とゾロアスター教がユダヤ教、キリスト教、イスラム教にどう影響を及ぼしたかは不明で、なんともいえないそうですが、世界の死後の世界観は「だいたい似ている」のは分かります。
インドでは、輪廻思想が体系としてまとめられました。
インドといえば輪廻、輪廻といえばインドというぐらい、インド思想と輪廻思想は深く結びついている。全世界に転生の思想はあるが、それを厳格な体系としたのはインド人だたからである。ヒンドゥー教(紀元前二千年紀から)、仏教(前五世紀ごろから)、ジャイナ教(同)、シク教(後十五世紀ごろから)と、インド発の宗教はいくつかあるが、いずれも輪廻思想を世界観の根幹に置いている。(p.169)
輪廻信仰は近代になってから西洋にも広がり始めているそうです。
そのヒンドゥーから派生したのが仏教だとされます。
開祖の釈迦は解脱を目指すにあたって、婆羅門的伝統に距離を置いて独自路線を追求し、快楽でもない、苦行でもない、「中道」を行くという大きな指針を打ち立てた。ヒンドゥー教のヨーガ行者などはむしろ好んで派手な苦行を行う。文教の修業は相対的に穏やかなものだといわれている。(p.188)
世界の代表的な宗教が、絡まりながら流れになっている様子が面白かったです。
さて、死後の世界は?
普段の会話の中でも「前世は~」とか「死んだら~」なんて言葉が飛び出します。死や死後の世界は「馴染み深い」とも言えるし、だけど宮沢賢治のように突き詰めて考えている人ばかりではないだろうと想像されます。あさよるは「考えても仕方のないことは考えない」ので、死んだ後のことに興味がありません。
……なーんて言いながら、一人でふと「今回の人生はツイてないな」なんて思うこともあります。また、小学生の甥が「俺はママのお腹を選んで生まれてきた」と話していて、「ほう、今はそんな教育がされているのか」なんて思いました。個人的には、その考え方は「どうなんだろう」とギモン(BADな環境にある子にも「そこを選んで生まれてきた」と言わすのだろうか。んで、反抗期を迎えたとき「パパとママを選んで生まれた」は全員にとっても苦行じゃないのかと/苦笑)。
生きている限り「死」のイメージはつきまといます。初めて「ピンピンコロリ」という文言を読んだときギョッとしましたがw、今や新たに出版される健康指南本は「ピンピンコロリ」を目標にしているものばかりで、何も感じなくなりました。高齢社会、人生100年時代というのは、こうもあっけらかんと死を語る時代なんですね。
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人は「死後の世界」をどう考えてきたか
目次情報
はじめに~いつも曖昧であった「死後の世界」
第1章
古代ギリシャ・ローマの冥界1 『オデュッセイアー』の淡く哀しい冥界
2 『アエネーイス』の奈落・楽園・転生
3 愛と生の勝利――死んだ妻を訪ねるオルペウスとイザナギ第2章
古代オリエントの死後の世界と終末の世界1 エジプト宗教の「死者の書」と審判
2 ゾロアスター教の善悪二元論と終末
3 古代ユダヤ教の陰府(よみ)と終末第3章
キリスト教における地獄・煉獄・天国の完成1 新約聖書の終末論――パウロ書簡、「ヨハネの黙示録」
2 自己増殖する地獄――「ニコデモ福音書」「パウロの黙示録」
3 中世末期における煉獄の誕生――ダンテ『神曲』第4章
インドの輪廻転生を解脱のロジック1 ヒンドゥー教の輪廻と解脱――ウパニシャッドの二道説
2 釈迦の悟りと輪廻と地獄――初期仏典
3 六道輪廻の世界――源信『往生要集』第5章
大乗仏教と東アジアの来世観――極楽往生から冥府界まで1 仏教の楽園信仰――阿弥陀の極楽浄土
2 インド神話の受容と解体――親鸞、白隠、賢治
3 東アジアの他界と来世――儒教、道教、神道第6章
現代へ――来世観の解体と多様化1 宗教改革からニューエイジまで
2 臨死体験と生死観――死を人称的に語る
3 死の語りの注目点――四つのファンタジーからⅠ C・S・ルイス『さいごの戦い』――死と終末の同期
Ⅱ トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の冬』――転生と記憶
Ⅲ ミヒャエル・エンデ『モモ』――生=死の悟り
Ⅳ 新海誠「君の名は。」――三人称から二人称の死へおわりに~死と死後について語るために
中村 圭志(なかむら・けいし)
1958年生まれ。北海道小樽市出身。宗教学、翻訳家。北海道大学文学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学(宗教学・宗教学士)。著書に、『信じない人のためのイエスと福音書ガイド』『信じない人のための〈宗教〉講義』(みすず書房)、『聖書、コーラン、仏典』『教養としての宗教入門』(中公新書)、『知ったかぶりキリスト教入門』『教養としての仏教入門』(幻冬舎新書)、『面白くて眠れなくなる宗教学』(PHP研究所)、『人はなぜ「神」を拝むのか?』(角川新書)など多数。
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[…] 『人は「死後の世界」をどう考えてきたか』|死んだら地底か来世なのか […]
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