少し前に「ごんぎつね」を誤読する子どもたちの話題がバズったのを覚えているでしょうか。
主人公の兵十のお母さんが死んで、村の人たちが葬式のための食事を準備している場面があります。
そこで、「村の人たちは何をしているのか」と問うと、子どもたちは「お母さんの死体を煮て消毒している」「死体を煮て消毒をしている」などの答えが飛び出します。
それに対し、子どもたちの国語力の低下を嘆く声や、今の子どもたちは昔の村の葬式を知らないのだから当たり前じゃないか、と言った反応があったように思います。
この話題は石井光太さんの書籍『ルポ 誰が国語力を殺すのか』に登場します。
今回、元ネタのこの本を読みました。
国語力の低い子どもを放っておいていいの?
文章を正しく読解できない子どもたちを、放っておいてはいけないと言います。
なぜか。
それは、その子どもたちの中には、虐待されている子、発達障害のある子、依存症に陥っている子、ヤングケアラーや、不登校の子、外国にルーツのある子など、サポートが必要な子どもたちが多く含まれているからです。
また、国語力が低いがゆえに加害者になってしまったり、被害者になってしまうこともあるようです。
「想像力豊かでいいよね」とほんわか考えてはいられないようです。
「国語力」とは生きる力そのもの
本書で使われる「国語力」という言葉は、かなり広い意味で捉えられています。
単に学校のテストで測れる点数のみを指していません。
自分の置かれている状況を認識する。
自分の気持ちを言葉で丁寧に伝える。
相手の気持ちを慮る。
円滑なコミュニケーションをとる。
社会の中で生きていくために必要な力全般を「国語力」と定義しているようです。
そして、その「国語力」が低いと、社会の中で行き詰ってしまうのは言うまでもありません。
「国語力」を伸ばす教育とは
本書では国語力が低いがゆえに問題を抱えている子どもたちの実例が数々紹介されています。
反対に、小中学校で国語力を伸ばす教育に力を入れている学校の例も登場します。
開放的な校舎に図書館が充実し、子どもたちの身近に本がある。
先生たちにも余裕があり、授業のための教材づくり、課題づくりにもたくさん時間を使える。
国語の授業も、他の科目にまで巻き込んで展開することもある。
私学で、高校や大学までエスカレーターで進学できる場合は、受験特化の対策ではなく、本当に身に着けるべき勉強に時間を費やすこともできる。
わたしは小中高と公立校しかしらないので、こんな世界があるのかと驚いた。
「格差」が叫ばれているが、確かに教育の場でも大きな格差があるようだ。
これを「親ガチャ」と呼ぶのだろうか。
子どもたちのために何ができるのだろうか。
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ルポ 誰が国語力を殺すのか
- 石井光太
- 文藝春秋
- 2022/7/27
目次情報
- 序章 『ごんぎつね』を読めない小学生たち
- 第一章 誰が殺されているのか――格差と国語力
- 第二章 学校が殺したのか――教育崩壊
- 第三章 ネットが悪いのか――SNS言語の侵略
- 第四章 十九万人の不登校児を救え――フリースクールでの再生
- 第五章 ゲーム世界から子供を奪取する――ネット依存からの脱却
- 第六章 非行少年の心に色彩を与える――少年院の言語回復プログラム
- 第七章 小学校はいかに子供を救うのか――国語力育成の最前線1
- 第八章 中学校はいかに子供を救うのか――国語力育成の最前線2
- 終章 コロナ後の格差と感情労働
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