ル・コルビュジエは20世紀に活躍した建築家です。
私たちに馴染み深いル・コルビュジエ建築といえば、東京・上野の国立西洋美術館でしょう。東京へ出向いた際には、一度はじっくり見て回りたい建築の一つです。
2016年5月には、ル・コルビュジエ設計の国立西洋美術館が世界遺産登録へとのニュースも。
鉄筋の直線的な構造とコンクリートの素材が面白い。あさよるはまだ、館内の間取りや装飾などをじっくりと見て回ったことがないのが残念です。
展示品ではなく、建物そのものも楽しめると、興味が尽きないですね。
わたし「にわか建築好き」なんです(^_^;)>
フラリと街中を散策しながら、街角に馴染んでいる建物を見るのが好きです。
と言っても、にわかな上にミーハーなだけの建築好きです(^_^;)
まったく知識もないので、ただただ「カッコいいなぁ」「素敵だなぁ」と眺めているにすぎません。少しくらい建築のウンチクを知りたいなぁと思いつつ、どこから手を付けて良いのか分からないまま現在に至ります。
「もっと知りたいル・コルビュジエ」を読んだよ
「もっと知りたいル・コルビュジエ」では、コルビュジエの生涯を順に追いながら、その頃に彼が手がけた建築が紹介されています。
若いころのコルビュジエは住宅を手がける事が多く、次第に公共施設や、晩年には街全体のプランも手がけています。
コルビュジエが手がけた住居建築の説明には、その建築の持ち主についても触れられています。誰が、どんな生活をするために、どうしてコルビュジエに発注したのかです。
若いころのコルビュジエは仕事も少なく、知り合いの住居を複数手がけているようです。コルビュジエ作品について知りたくてこの本を手にしたのに、持ち主の情報なんて要らないのに!と思いながら読み進めていました。
住居はオーダーメイドすべきもの?
しかし、いくつかの住居の説明を読んでいると、建築の設計と、その住民の生活は切っても切れないものなのだと気付きました。
考えてみれば当たり前なのですが、私達の生活は建物なくしてあり得ません。
それは裏を返すと、生活なくして建物があり得ないと言えます。そしてふと、洋服や靴をオーダーメイドするように、住居も自分にぴったりのものを仕立ててもらうべきなのかもしれないと思いました。
これが「モデュロール」?
コルビュジエは人間の身体の比率や、黄金比率などを研究し、「モデュロール」という寸法の単位を生み出します。
人の寸法に準じた黄金比率の数値を使って設計すれば、自ずと使いやすい建物や家具ができるだろう、というわけです。
自分にぴったりの住居をオーダーメイドで仕立ててもらうべきとさっき書いたのも、大きすぎず小さすぎず丁度良いサイズが「住みやすさ」なのかなぁと感じたからです。
街を作るとは、思想を作ること?
建築というのは、その内部こそが大事ですよね。
雨風をしのぎ、暑さ寒さを緩和し、そこで生活や活動をします。だけど、その建物がいくつも並ぶと、「街」という一つのまとまりになります。
そして私達は「街の内部」で活動をします。建物と街が入れ子になっていることに気付き面白く感じました。
コルビジェも街全体の計画にも携わっています。
コルビジェは教会建築も手がけています。街の設計には欠かせないものではないでしょうか。教会を設計するというのは、お祈りをしたり、信仰を高める演出を手がける意味もあるのではないかと思います。
「街」というとてもパブリックなものを設計することは、「信仰」や「思想」というとてもパーソナルなものを手がけることなのだと気付き、興味深いです。
表現を行ったり来たりするって(・∀・)イイネ!!
ところで本書では、コルビュジエの半生と彼の手がけた建築と共に、コルビュジエが描いた絵にもたくさんのページが割かれています。
彼は当初、完成した絵にはペンネームのサインをしていますが、途中から「ル・コルビュジエ」とサインを入れるようになります。彼にとって、建築の設計も、絵画も、同等のものになったのかもしれません。
ここで私の話なのですが (^_^;)>私も、絵を描きます。
ですが、本腰を入れて絵を描いているわけではありません。頭のなかを整理したり、無心になることでモチベーションを上げるような、手段として描いてる気がします。そして、本業でもない絵を描くのってどうなのよ!?
どうせ描くなら本腰を入れるべき!?と迷っていましたが……。
コルビュジエは、絵を描いたり、設計をしたり、複数の表現を使っています。複数の表現方法を行ったり来たりすることで、双方の質も上がっていったんだろうと思います。
私も、どっちつかずだと悩まずに、このまま絵を描こうかなぁと決心がつきそうです。……もちろん、コルビジェの足元に遥かにも及びませんが……(^_^;)(^_^;)
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