どの書店へ行っても、お店のいいところに『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が積んである。
出版前から話題になっていたので、わたしもぜひ読んでみたかった。
三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が話題
「働いていると本が読めない」。
とても切実だ。
そして自分にも覚えがある。
忙しくて心に余裕がなくなると、途端に本が読めなくなる。
どなたにも経験があるのではないだろうか。
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』の内容はこんな感じ
『なぜ働いていると本が読めなくなるか』は、明治以降のビジネスマンたちが読んでいた本のトレンドを紹介していく。
明治期にはその名も『成功』という名前の雑誌があったそうだ。
戦前には1冊1円の「円本」が流行る。
「これを読んでおけば間違いない」という作家の全集を事前に予約購入するものだ。
戦後のサラリーマンたちは司馬遼太郎の文庫本を読んだ。
ビジネス書として司馬作品が消費されていった。
どの時代のサラリーマンたちにも、それぞれの時代のビジネス書がよく読まれていた変遷をなぞってゆく。
働いていると、仕事や生活に直結した本しか読めなくなる
仕事で忙しく余裕がなくなると、わたしたちは仕事や生活に直結する本しか読めなくなってしまう。
すぐに役立つ情報ばかりを求めてしまうのだ。
だけど、自分から距離の離れた知識に触れること。
それが本当の意味での「教養」ではないか。
たとえば、数学や哲学や芸術なんかの知識は、生活に直結するものではないかもしれない。
しかし、それらに触れることが、教養を深めることじゃないかというのだ。
「全身全霊」で働いていると本が読めなくなるってこと?
仕事に忙しく余裕がなくなってしまうのは、「全身全霊」で働いているからだと著者は指摘する。
これからの未来の働き方として、全身全霊から「半身半霊」で働くよう変化していくことを提示している。
半分の力で働いて、もう半分の力で、教養を深める読書ができるじゃないか、ということだ。
良い読書、悪い読書があるのか?
今回取り上げた『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読んでいて、とても気になることがあった。
明治から現在までのビジネスマンたちに読まれた本の変遷をみてゆくのだけれど……え、ちゃんとその時代その時代で、「みんな本を読んでいる」じゃないか。
まるで「仕事に直結するようなビジネス書」や「自己啓発書」は読書ではないかのような書き方に違和感を感じた。
どんな本だって、本は本だし、読書に良いも悪いもないのではないか。
わたしの考え:読書習慣は環境が大切だと思っている
忙しくても本が読めるかどうかは、環境によるんじゃないかと思っている。
単純に、自分の側に居る人が、誰も本を読まないならば、その空気に流されてしまいがちだ。
どんな人と一緒に過ごすのかは重要。
あと「次に読む本を用意し続ける」という営み作りも大切。
書店で買うなり、電子書籍なり、図書館で借りるなり、常に本を用意し続けるのは、それなりにアンテナを立て続けないといけない。
そのアンテナを磨き続けるのが、読書をし続けることじゃないかと思うのでありました。
なぜ働いていると本が読めなくなるのか
目次情報
- まえがき 本が読めなかったから、会社をやめました
- 序章 労働と読書は両立しない?
- 第一章 労働を煽る自己啓発書の誕生――明治時代
- 第二章 「教養」が隔てたサラリーマン階級と労働者階級――大正時代
- 第三章 戦前サラリーマンはなぜ「円本」を買ったのか?――昭和戦前・戦中
- 第四章 「ビジネスマン」に読まれたベストセラー――1950~60年代
- 第五章 司馬遼太郎の文庫本を読むサラリーマン――1970年代
- 第六章 女たちのカルチャーセンターとミリオンセラー――1980年代
- 第七章 行動と経済の時代への転換点――1990年代
- 第八章 仕事がアイデンティティになる社会――2000年代
- 第九章 読書は人生の「ノイズ」なのか?――2010年代
- 最終章 「全身全霊」をやめませんか
- あとがき
- 註・参考文献一覧
コメント