『偽善のすすめ』では中学生の豪太くんと亜美ちゃんが、謎のイタリア人パオロと「偽善」について話し合います。
例えば「偽善者」と言えば、強欲で見栄っ張りで、下心のある腹黒い人物をイメージします。しかし一方「やらない善よりやる偽善」と、考えてみるとなんだかよくわからない言い回しを使って、偽善を肯定しようともします。
「偽善」の良し悪しを語るには、まずは「偽善」とはなんなのか、定義を考えねばなりません。
しかし、「偽善」という言葉が明治以降の日本に登場して以来、時代時代で意味が変わっているようなのです。
ある時は極悪の象徴「偽善」。ある時は行為を持って「偽善」が使われていました。
言葉にも山あり谷ありの歴史があるのですね。
言葉の歴史って大切?
最近登場した言葉もたくさんある
ある物事について考えるとき、その言葉の歴史をまずは振り返ってみても良いかもしれません。
「自由」や「愛」「社会」「都市」といった、今では当たり前に使われる言葉も、明治以降、外国から文化や学問、思想がどっと流入されたときに、生まれた新しい言葉です。「偽善」もどうやらこの仲間みたいですね。
当然ですが、西洋からこれらの概念が流入してくる以前には、日本語にそれにあたる言葉はありませんでした。
概念や考え方自体が日本人は持っていなかったということです。
理屈よりも気持ちが大事?
しかし、言葉の意味や定義など、理屈ばかりに凝り固まってしまうのはいかがなものでしょうか。
大切なのは「気持ち」で、その時その時の気持ちをしっかりと表現することが大切です。
いちいち言葉について考えこんでしまっていては、なにも表現できません。
心のままにのびのびと話すことも大切です。
言葉はなぜ必要なんだろう?
「愛」は「かなし」?「love」?
例えば、「愛」という字は、日本でも古くから使われていました。
「かなし」という日本語があてられ、「可愛い」とか「愛しい」の意味です。
どちらの言葉にも「愛」が使われていますね。
この「愛」の漢字に英語の「love」という意味がくっついたのが明治以降のお話。
ですので、日本語の「愛」という言葉について考えるときは、日本の古来からの言葉「かなし」という意味と、英語で言うところの「love」という意味と、二つを分けて考えなければなりません。
ごちゃごちゃにしてしまうと意味がわからなくなってしまい、「かなし」についても「love」についても、どちらの言葉も味わえなくなってしまいます。
言葉は思想や価値観に大きな影響を及ぼすものだと思います。
その言葉の意味を見極め使いこなすためには、言葉の歴史や出現した時期や理由も踏まえておきたいです。
気持ちは大事。大事だから、丁寧に伝えたい
「気持ち」はとても大切で、理屈とは別に湧き起こる感情や考えを抑えこむ必要はありません。
そこで大切になのは「気持ち」そのものではなく、気持ちを「伝える」ことではないでしょうか。
気持ちを誰かに伝え共感したり、同情しあえることで、代え難いものになります。
そして、他者と気持ちを分かち合うときに必要な物が「言葉」です。
その言葉の意味を勘違いしていたり、曖昧な定義のまま使っていると、相手とすれ違いや行き違いを生む元になってしまいます。
他者と気持ちや考えを分かち合うためにこそ、言葉についても造詣を深める必要がありそうです。
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