『下り坂をそろそろと下る』|国をたたみ方、街のたたみ方

こんにちは。あさよるです。少し前に司馬遼太郎先生の『燃えよ剣』と『新選組血風録』を久々に読み返したことで、ジワっと歴史小説熱が再燃しつつあり、次は『坂の上の雲』を読みたいなぁと思っています。これ、最初の方しか読んでなくて、長い間積んでいます(;’∀’)

あさよるは学生時代に司馬遼太郎小説にどっぷりハマってたんですが、当時の大学の先生や、社会人になってからも、親よりも年上の世代の人とお話をする時「わたし、司馬遼太郎にハマってるんです」と話しては可愛がられていました。好きな小説を読んだ上に、年上世代の人にも目をかけてもらえて一石二鳥な趣味でしたw

今回読んだ『下り坂をそろそろと下る』も、司馬遼太郎がど真ん中な世代向けの本です。今70代以上の方ですね。この10年でも社会は大きく変わりつづけています。本書はシニア世代に「今こんなことが起こっているんだ」と知らせる内容でした。あさよる世代なんかには「知ってた……」という話ですが、「そうじゃない世界で生きている人がいるのか……」と気が遠くなる……。

軽く読める内容ですが、いろんな意味で「他の世代が見ている世界を知れる」ことのできる本だろうと思います。

「坂の上」から下るために

本書『下り坂をそろそろと下りる』は、高度成長期をとうに終え、どうやって国の繁栄をたたみ、縮小してゆくのかを考えるとっかかりになる本です。タイトルの「下り坂を」とは、司馬遼太郎『坂の上の雲』になぞらえられていて、かつて、坂の上の雲を目指して坂道を駆け上った世代へ向けて書かれています。本書内でも司馬遼太郎先生の小説からの引用が多用されており、「その世代」に向けられていることがわかります。

正直、若い世代にとって……というかもう氷河期世代もすでにアラフィフで、坂の上の雲なんか見たことない世代にとっては、痛いほど身に染みている話題じゃないでしょうか。

本書の最後に、本書での主張が3つにまとめられています。

  • もはや日本は、工業立国ではない。
  • もはや日本は成長社会ではない。
  • もはやこの国は、アジア唯一の先進国ではない。

もはや日本は工業立国ではないという現実は、これまでの教育では立ち行かない現実です。日本の公教育は、工場労働者を生産するための教育で、「ネジを90度回せ」と指示があれば、指示の通りに実行する能力のある人材を育成する教育でした。そこには独創性や発想力は不要で、「180度回せばどうなるんだろう」なんて疑問はむしろ邪魔です。しかし、工場のラインの仕事なんてもう日本にありませんから、昔ながらの教育ではどうにもなりません。「もはや工業立国ではない」という現実は「教育のあり方を変えなければならない」という現実です。

もはや日本は成長社会ではないので、今以上に街が巨大に発展することはありません。だから各地方土地は各々「勝たなくても負けない」街を作り、これから訪れる時代を待ち受ける必要があります。教育に求められるニーズが変わっていますから、かつてのように優秀な生徒から順に東京や大都市の大学へ送り出してゆくモデルも通用しなくなるでしょう。

日本がアジア唯一の先進国ではなくなっているのは、もうわたしたちは特別ではなくなっているということです。アジア全体で人々が行きかい、日本にもいろんな人がやってくるでしょうし、日本から外国へ出てゆく人も増えるでしょう。またかつて日本の公教育がつくっていた工場労働者は、「中国と東南アジアに、あと一〇億人ほど控えている」そうです。すごい数ですね。わたしたちが受けてきた教育じゃあ、どうにもならならないのがわかります。

繰り返しますが、もう今の若い世代はそんなこと百も承知でしょう。本書がシニア世代に向けた本である理由です。かつて坂の上の雲を追いかけた世代へ。

文化の成熟した国へ

本書『下り坂をそろそろと下りる』では、これから国が小さくなり、各地方で街を畳んでゆくとき、文化的に厚みのある国や地域になろうと呼びかけています。そのために必要なのはモーレツ社員ではなく、たまに仕事を休んで映画や演劇を見に行ったり、子育て中のママが子どもを預けて音楽を聴きに行ったり、ゆとりのある暮らしです。別に遊びのために仕事を休んだり、子どもをよそへ預けても、後ろ指差されない社会です。

繰り返しますが、若い世代はもうとっくにそういう風潮になりつつあるんじゃないかと思います。あさよるの友人たちだって、平日有給取ってライブや演劇を見に行ったり、子どもを預けて友人と食事へ行ったりしています。肝心なのは、本書の読者である年配世代たちへ「若者たちは怠けてるわけじゃない」って伝えることですね。

当然ながら、みんなが余暇にお金を使うから、そこに仕事があるわけです。で、かつてのように指示通りに動作を実行する工場労働者の仕事は激減しており、独創性があり生産性の高い仕事が求められています。だから、より文化的に成熟した仕事に就く人も増えるだろうし、それらにお金を使って楽しむ人も増えるはずです。

昔のように、工場で働いて稼いだお金で、最新式の電化製品を買って暮らしが豊かになっていくフェーズではなくなったということですね。

著者の平田オリザさんは演劇の劇作家・演出家の方なので、本書では演劇・アートを使った町おこしや、子どもたちへの教育の取り組みが多く紹介されれていました。

司馬遼太郎すごい

本書を読んで印象的なのは「司馬遼太郎万能説」でしょうw たぶん、ある世代にお話するとき、司馬遼太郎先生の小説を例に挙げるとウケるんじゃないのかなぁ~、だから本書でも司馬作品の引用が多用されてるんじゃないのかな~と想像しました。

あさよるも昔、司馬遼太郎にハマってせこせこ読んでた時期があったんですが、まぁ、ウケるんですよね。オジサン世代にw あさよるが20代の頃60代に差し掛かる世代……つまり団塊世代のオジサンたちと話をする時「今、司馬遼太郎にハマってるんです」と言うとウケるウケる。みなさんそれぞれ、「俺の司馬遼太郎」のお話をしてくださります。

そんな経験もあって、本書の構成はめっちゃよくわかる! みんな『坂の上の雲』好きですよね。と言いつつ、あさよるは『坂の上の雲』を序盤しか読んでないのを思い出して、今回、全編読もうと思った(`・ω・´)b

もう団塊世代も70代で、偉い立場にいる人や、孫たちの未来を案じている人も多いでしょう。だけど、団塊の子世代は氷河期世代で、その子どもたちは格差が当たり前の世代です。経済的な理由で進学を諦めざるをえない人もいるだろうし、「都会へ行けば仕事がある」時代でもなくなっています。むしろ、地方のほうがまだ、なんとか子育てできている世帯があったりと、かつての常識とは現実が大きく変わっています。悲しいけどこれ、現実なのよね。

お祭りのたたみ方

あさよるは個人的に、今の社会は「お祭りをどうやって終えるか」と終わり方がわからなくて困ってるんだと思っています。そういう意味で、東京オリンピックの頃に高度成長が始まったんだから、また東京オリンピックで締めてもいいんじゃないのかなぁなんて思っていました(ただ、昨今災害があまりにも多いので大丈夫なのかと不安になっている)。

なんでも始めるときはその場のノリと勢いで始められるし、すごく楽しいんだろうけど、最後の後始末までちゃんとできる人って意外と少ないものです。

あさよるの幼少時代(80年代)はこんなに大量のものを消費する社会じゃなかったように記憶しています。いや、損当時も大量消費社会だったんだろうけど、近年それが輪をかけて加速しているような気がします。冷蔵庫はやたら大容量で(我が家には冷蔵庫が二台ある^^;)、クローゼットにはチープブランドの服が詰め込まれ、テレビの周りにはDVDやゲームのディスクが散乱している……。なんか、収集付かない感じになっちゃってるのかも。あさよるは近年、ずっと片づけに勤しんでいるのでそう思います。どうすればいいんだこれ。

今考えているのは、「どうやってコンパクトな生き方にシフトすれば良いのか」と「世界から信用される企画をつくるには」といったところでしょうか。

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下り坂をそろそろと下る

目次情報

序章 下り坂をそろそろと下る

小さな国/スキー人口はなぜ減ったか/三つの寂しさと向き合う/ちっとも分っていない

第一章 小さな島の挑戦――瀬戸内・小豆島

島の子どもたち/キラリ科/なぜ、コミュニケーション教育なのか/人口動態の変化/Iターン者の増加/島に出会った理由/農村歌舞伎の島/町の取り組み/小豆島高校、甲子園出場

第二章 コウノトリの郷――但馬・豊岡

環境と経済の共生/城崎国際アートセンター/短期的な成果を問わない/城崎という街/アーティストのいる街/小さな世界都市/未来へ/豊岡でいいのだ

第三章 学びの広さを創る――讃岐・善通寺

四国学院大学/大学入試改革/大阪大学リーディング大学選抜試験/三位一体改革の本質とは何か/四国学院大学の新しい試験制度/地域間格差の恐れ/変われない地域/伊佐市

第四章 復興への道――東北・女川、双葉

福島の金/獅子振り/高台移転/ふたば未来学園/低線量被爆の時代を生きる/対話劇を創る/地域の自立再生とは何か

第五章 寂しさと向き合う――東アジア、ソウル、北京

『新・冒険王』/日韓ワールドカップと嫌韓の始まり/インターネットという空間/確証バイアス/韓国の病/減る朝鮮/北京へ/文明と文化の違い/新幹線はなぜ売れないのか/文明の味気なさに耐える/安全とは何か/零戦のこと/最大の中堅国家/安倍政権とは何か/二つの誤謬

終章 寛容と包摂の社会へ

『坂の上の雲』/四国のリアリズム/人口減少問題の本質とは何か/偶然の出会いがない/何が必要か/亡びない日本へ

平田 オリザ(ひらた・おりざ)

一九六二年、東京都生まれ。国際基督教大学在学中に劇団「青年団」結成。戯曲と演出を担当。現在、東京藝術大学COI研究推進機構 特任教授、大阪大学コミュニケーションデザイン・センター客員教授。二〇〇二年度から採用された国語教科書に掲載されている平田のワークショップ方法論により、多くの子どもたちが、教室で演劇を創る体験をしている。戯曲の代表作に『東京ノート』(岸田國士戯曲賞受賞)、『その河を越えて、五月』(朝日舞台芸術賞グランプリ受賞)、著書に『演劇入門』『演技と演出』『わかりあえないことから――コミュニケーション能力とは何か』(以上、講談社現代新書)、『芸術立国論』(集英社新書)、『新しい広場をつくる――市民芸術概論綱要』(岩波書店)、小説『幕が上がる』(講談社文庫)なお多数。

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