
私はよくモノをなくします。
今日読んだ『よくモノをなくす』を見つけ、私の本だと確信し、手に取りました。
内容は、mixi のモノをなくす人のコミュニティで書き込まれた、モノをなくしたエピソードの数々。
ただただ失敗談を羅列してあるだけなのですが、大いに共感し、不甲斐なさに苛立ち、とても他人事でなく読了しました。
モノをなくす人“ナクシスト”のあるある話がてんこ盛りかと思いきや、「あれ、私はコレなくさないなぁ」「こんな経験はないなぁ」と思う章もありました。
どうやら、私にはなくすモノとなくさないモノがあることに気づいたのです。
なくしモノにも傾向があるのかもしれません。
私の場合、よくなくすのは、携帯、切符、リモコン、靴下の片方、鍵などです。
一方、メガネ、カサ、財布などは、なくす頻度が低いのです(なくさないわけではない)。
よくなくすモノ郡は、本当にモノに脚でも生えているのかと疑いたくなるほど、勝手にどこかへ行ってしまいます。
自らの意志で雲隠れするようです。
付喪神の類ではないかと恐れています。
そういえば、ナクシストの先輩だった祖母は生前、「隠しの神さんに隠された」と言っていたっけなぁ……。
一方、あまりなくさないモノ(なくさないわけではない)郡は、なくすというよりも「置いてきてしまう」「忘れてくる」という感覚です。
だから、どこにあるかはだいたい見当がつくことが多いのです。
財布も過去なんどか忘れてきましたが、幸いにも親切な人に拾ってもらえ、中身もそっくりそのまま手元に返ってきました。
カサは正直、取りに行くのも面倒くさいなぁと、そのままにしてしまったものもあります。
メガネは……どうしてもメガネが必要で、急遽メガネ屋に飛び込み新調しました。
ここまで書いて、はたと気づきました。
私はこれまで、「なくしていない、忘れただけだ」「置いてきただけだ」と思っているだけで、本当は、モノをなくしているのかもしれない!
よくなくすモノ郡は、替えが効かない、これじゃないとダメなものです。
携帯も、鍵も、リモコンも、これじゃないといけませんし、靴下の片方も、同じものでないといけません。
一方、あまりなくさないモノ(なくさないわけではない)郡は、最悪他のものに代替してしまえるものです。
財布も、なくしてしまうのは手痛いですが、中身のほとんどは、交換できるものです。
ああ。
私はこれまで「なくしたんじゃない、忘れただけだ」と、自分で自分にウソをついていたのかもしれません。
同じ「よくモノをなくす」人々の話を聞いて、自分自身を鑑みれた一冊でした。
当事者同士で話し合う「ピアカウンセリング」とは、こういう効能があるのかなぁと、少しだけ分かった気がします。
関連記事
よくモノをなくす
- 著者:ナクシストの会
- 発行所:株式会社ジュリアン
- 2008年4月25日
目次情報
- はじめに
- なくせどもなくせどもまたなくす
- 携帯電話を携帯しない主義
- 「メガネメガネ」はやっさんだけのものじゃない
- 確実に「妖怪リモコン隠し」はいる
- 靴下片方だけショップ閉店します
- カサはもはや使い捨て
- 財布だけは勘弁して
- 切符は多分消えるんじゃないか?
- 同じ過ちを何度繰り返すのか
- [コラム]「落としたお金」の総額は?
- なくすたびに大人になるね
- なくした恋と書いて失恋
- [コラム]「うちの子」紛失?
- こんなものまでなくしたよ
- 人様のモノをなくしてしまった
- 高級貴金属なくした気持ちプライスレス
- 生涯で一番困ったなくしもの
- 趣味は記憶喪失です
- おわりに
著者紹介
ナクシストの会
田中 圭一(たなか・けいいち)
描きおろし漫画
1962年、大阪府枚方市出身。
シモネタとパロディーを得意とするサラリーマン兼業漫画家。
手塚治虫の絵柄でシモネタを連発させた短編集「神罰」(イーストプレス刊)が代表作。
【よくなくすモノ】
人に会った記憶
武田 篤典(たけだ・あつのり)
描きおろしエッセイ
1967年10月4日生、大阪府出身。
京都育ち、藤沢在住。大学時代に女性誌でライターデビュー。
現在は「R25」で「プチ・スマートモテリーマン講座」と「ロング・インタビュー」を編集・執筆。
【よくなくすモノ】
記憶・保険書・充電のときに使うコードみたいなヤツ
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