『応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱』|地味すぎ!長すぎ!日本の大混乱!

こんにちは。とある歴史同好会に所属していた あさよるです。その同好会はかつて活発に活動していたそうですが、あさよるが入会した頃には、会員の高齢化により座学ばかりの会になっていました。講師を招き、延々と推古天皇の時代から南北朝時代くらいまでの歴史を、各時代の天皇を見ながら講義を聞きます。で、南北朝時代が終わると、また推古朝へ戻り、グルグルとひたすら同じ講義を聞き続けるものでした。

これが、面白い。不真面目な会員であるあさよるは、一回聞いてもサッパリわかりません。それを何度も何度も同じ話を聞くことで、少しずつ「あ、その話前にも聞いたなぁ」「その人知ってる」と、記憶に残っている自分に気づくのです……すぐ忘れるけどねてへぺろ(・ω<)

で、少し前から『応仁の乱』が話題なのをご存知でしょうか。あさよるはTwitterでよく話題に上っているのを見ましたし、リアル書店で平済みしているのをみて「……マジか」と驚きました。応仁の乱……さっぱりわからなくないですか?なんで売れるの?歴史クラスタ以外の人まで話題にしてるお!

これ、マジメなやつや!

早速『応仁の乱』を数ページめくり、あさよるは悟った。「これは……マジメなやつやないかー!」てっきり、なんか面白おかしくユーモアたっぷりにややこしい時代を語る切り口の本かと思い込んでいました。だって、なんか〈地味すぎる大乱がなぜかブーム!〉みたいな広告を見たぞ!そういうノリかとオモタ。

しかし、マジメな本ですが、読みやすい文体で、どなたでも読める本じゃないかと思います。

応仁の乱、もちろんご存知ですよね?え?あさよるは……名前は知ってますけど……(;’∀’)>「京都の人が〈前の戦争〉というと応仁の乱のことやから( ー`дー´)キリッ」というネタはたま聞きます。うん。それ以上の知識が全くない応仁の乱!

たぶん、多くの方があさよると同じような感じじゃないかと思います。

人間関係がややこしいし、やたら長引くし、なにより地味だし、年頃の青少年たちがワクワクする感じではないのは確かっすな。

応仁の乱が不人気の理由……

応仁の乱は応仁元年(一四六七)から文明九年(一四七七)まで一一年にわたって繰り広げられた大乱である。室町幕府の八代将軍足利義政には息子がいなかったので、弟の義視を後継者としたが、その直後に義政の妻である日野富子が男児(のちの義尚)を出産したため、富子は我が子を将軍にしようと画策、折しも幕府の実権を握ろうとして争っていた細川勝元と山名宗全の両雄がこの将軍家の御家騒動に介入したために応仁の乱が勃発した……というのが一般的な説明である。しかし、この通説に対しては批判も多く提出されており、応仁の乱の原因として他の要素も指摘されている。
応仁の乱勃発当初は京都のみが戦場であったが、やがて戦乱は地方に波及し。全国各地で合戦が行われた。これだけ大規模で長期にわたる戦乱なのに、大名たちが何のために戦ったのか見えてこないというのは不思議である。劇的で華々しいところがまるでなく、ただただ不条理。これが応仁の乱の難解さ、ひいては不人気につながっているんだろう。

p.ⅱ

応仁の乱が、知名度のわりに中身が知られていない理由。それは〈ただただ不条理〉であること。

なぜ争いが始まったの?

どうして大名たちは戦ったの?

なんでそんなに長引いたの?

ローカルないさかいが、どうして全国に広がったの?

一つ一つの要素が見えてくると、面白そうな話にも思えます。難解であることが〈応仁の乱〉の不人気であるならば、スッキリ分かっちゃえば人気になるの?

答えはNO。だって、これ、むっちゃややこしいんだもん^^

一回読んでも……わかりまへん┐(´д`)┌

最初にも書きました。こういう話は、一回読んだり聞いたくらいじゃサッパリわからないんですよ。何度も何度も繰り返し触れることで、少しずつ慣れてくる。

だってね、一族あげてモメてるとさぁ、みんな名前がよく似てんじゃん~。モメてる場所もさ、ローカルすぎてどこかわからんわ!っていう。あさよるは関西人ですから、少しは位置関係が想像できるんですが、それでもローカルやわ!

戦争の理由も、ハッキリとしない。

どうも、最初は政治的なイザコザで争いが始まったんだけど、誰もこれが大戦になるとは思っていない(予想に反してたった半日で終わっちゃった関ヶ原の戦いとは逆ですな)。すぐ終わるだろうと思ってたのに、終われなくなっちゃった。予想外の長期戦になったから、作戦なんて考えてなかっただろうし、気づけば全国に戦の火が燃え広がり、大名たちも辟易。

応仁の乱が終わった後も、大名たちは京都から国元へ帰っちゃったり、みんなお疲れちゃんです。そして、都に集中していた力が分散し、各地の武将たちが頭角を表し始める。その後の戦国の混乱が始まろうとしているのであった……。

戦国時代を知るには、応仁の乱を抑えておくべきだ!とうのはよくわかりました。しかし……確かに応仁の乱が人気ないのも、わかった(;’∀’) ローカルなわりになぜかスケールがでかくなるし、明確な理由があるというよりは個人的なすれ違いや、タイミングが悪くて泥沼戦争になっちゃった感じね。

うーん。どう解釈すればいいのだろうか。

謎いベストセラー!読んどくべし!

と言いつつ、話題作『応仁の乱』面白かったです。

まず、チンプンカンプンなあさよるでも分かるくらい、読みやすい平易な文体で書かれていたこと。そしてマジメな本なのですが、筆が軽やかで楽し気な雰囲気がどことなく漂っているのも気に入りました。著者の方は、ノリノリで書いたのかな~?なんて思います。

話題本というのは、いろんな意味で読んでおいても損はないと思っておりまして、本書も人におススメしたい本でした。「戦国時代を知るには応仁の乱を」とか「現在日本について語るなら、応仁の乱は押さえとかなきゃ~」みたいなねw

あさよるが、自分に全く知識を持っていないジャンルや内容の本を読むときは、とりあえず分からなくても最後までページをめくって視線で文字列を一通り追います。本の構成やよく登場するワードだけ把握して、二回目以降もひたすら、書いてあることが分かるまでページをめくって文字列を追い続けます。よくわからなくても、何度か読んでるとおぼろげながら「何か」が分かり始める。合間に、他の本を当たったり、調べてみたりね。

本書『応仁の乱』も、数年かけてじっくり読む(`・ω・́)ゝ

応仁の乱 – 戦国時代を生んだ大乱

目次情報

はじめに

第一章 畿内の火薬庫、大和

1 興福寺と大和

摂関家と興福寺/一条院と大乗院/衆徒と国民

2 動乱の大和

南北朝の大和/国内合戦/後南朝勢力の蠢動

3 経覚の栄光と没落

順風満帆の前半生/後継者工作/宇陀「郡内一揆」の蜂起/将軍足利義教の方針転換/成身院光宣の暗躍/経覚の失脚

第二章 応仁の乱への道

1 戦う経覚

嘉吉の変/筒井氏の内訌/経覚と光宣/尋尊と大乗院寺社雑事記

2 畠山氏の分裂

京都での武力衝突/足利義政の無定見/畠山政長の擁立

3 諸大名の合従連衝

越前の長禄合戦/河鍋合戦/畠山義就の雌伏と斯波義廉の焦燥/文政の政変/畠山義就の上洛

第三章 大乱勃発

1 クーデターの応酬

御霊合戦/細川勝元の反攻/足利義政の選択

2 短期決戦戦略の破城

両軍の構成/足利義視の失脚/大内政弘の入京/西幕府の成立

3 戦法の変化

井楼の活用/御構の出現/足軽の誕生/補給路の争奪

第四章 応仁の乱と興福寺

1 寺務経覚の献身

四度目の寺務に/供目代人事の調整/名字を籠める/経営再建に失敗

2 越前の状況

朝倉孝景と経覚/樟葉元次の越前下向

3 経覚と尋尊

性格の違い/政覚をめぐって

4 乱中の遊芸

一条家の疎開/古市での「林間」

第五章 衆徒・国民の苦悩

1 中世都市奈良

奈良の住民/おん祭り/古市の盆踊り

2 大乱の転換点

成身院光宣の死/朝倉孝景の寝返り/西軍の南朝後胤擁立

3 古市胤栄の悲劇

家臣たちの離反/経覚に頼る/山田宗朝に頼る/胤栄の引退

第六章 大乱終結

1 厭戦気分の蔓延

疫病の流行/和睦の模索/終わらぬ、大乱

2 うやむやの終結

細川・山名の単独和睦/終戦工作の展開/西幕府の解散

3 それからの大和

経覚の死と尋尊/畠山義就の独立王国/筒井氏の零落

第七章 乱後の室町幕府

1 幕府政治の再建

寺社本所返還政策の再開/足利義政の隠居

2 細川政元と山城国一揆

迷走する幕府の山城支配/山城国一揆の蜂起/細川政元の思惑

3 孤立する将軍

足利義尚の自立/足利義尚の近江親征/足利義材政権の成立

4 室町幕府の落日

明応の政変/古市澄胤の南山城進攻

終章 応仁の乱が残したもの

守護在京制の解体/京都文化の地方伝播/戦国大名と郷村/生き残った興福寺

主要参考文献
あとがき
関係略年表
人名索引

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