怨霊・呪術はオカルト?『呪の思想 神と人との間』を読んだよ

白川静+梅原猛『呪の思想―神と人との間』書影 30 社会科学

「奇人・梅原猛は、大奇人・白川静に会いたがっていた」

こんな、まえがきから始まる本書。
両氏は同じ立命館大に縁のある人物だが、意外にもこれら3つの対談が初対面だったそうだ。
古代漢字学者・白川静に、梅原猛が質問を投げかけインタビューしながら、二人の深い・コワイ・濃厚な対談が進んでゆく。

漢字はもともと「甲骨文字」と書いて字のごとく、動物の骨や甲羅に刻みつけられ、占いの道具として使用された
私たちが用いる文字そのものが、呪術的なものだったのだ。

文字・呪術は、外敵や、領民の支配をするために必要だった。
王は、自分が王であることを知らしめるために、神の力を持たなければならなかった。
神と交流し、神の言葉を知らなければならなかった
神とやりとりするために、呪が必要だったのだ。

神との通信手段「甲骨文字」

神からの言葉を聞くという点では、聖書世界の預言者と似ている。
預言者たちも神の声を聞き、イスラエルの王たちに助言をする。
王たちは、それに従うこともあれば、従わないこともある。
しかし、イスラエルの神は絶対的な存在であり、それに従わない王には裁きがある。
が、中国の神は、そのようなものではなさそうだ。

自然や、目に見えない力のようなものを、「神」とし、その声を聞く。
と言っても、都合の良い結果が出るまで、何度も何度も占いをし続けている。
もしかしたら、必然性や、確率など、現在で言えば「数学」で扱われるようなものの声を、聞こうとしていたのかもしれない。
あるいはゲンを担いだり、冷静な決断を下すためのルーチンだったのかもしれない。

怨霊・呪術はオカルトか

それらを、怨霊学者(?)梅原猛は、もちろん「怨霊」と結びつける。
白川静も漢字の成り立ちを紐解きながら、呪術や占いなどを混ぜあわせながら対談は進む。
これらを私たちは現在「オカルト」と呼ぶものであろう。
オカルトは嫌われたり、社会のなかで隅に追いやられている傾向がある。
科学的でないし、これらを仕事や勉学の中に持ち込むのは、暗黙のルールでダブーになっている。
しかし……。

「国誉め」という、国、都を誉めそやすことで都の力を増幅させ、それらの力を自らにも取り込む呪いが紹介されていた。
たしかに、奈良の都は「あおによし」であり、なにわと言えば「咲くやこの花」である。
地名にかかる枕詞は、必ずその地名を讃え、誉めそやすものである。
初恋の味と言えばカルピスであり、痛くなったらすぐセデス。
目の付け所がシャープだね。

枕詞とは、キャッチフレーズなのだ。
キャッチフレーズだから、そのモノを悪くは言わない。
褒めそやし、讃え祀って当然だ。

そうやって、現在の私たちも、モノやコトに「呪」をかけている
それはとても日常的で、文化的な営みとして、経済活動として、行われている。

あるいは現在版「国誉め」は、やっぱり日本国を奉ることで、自らの命を助けようとしている人もいるのだろう。
そういえば、安倍政権も「美しい国日本」だった。
これ以上ないストレートな国誉めワードだろう。
また、私たちは日本国民であるからこそ、今日も紛争には巻き込まれていない。
貧困に喘ごうとも、職を失おうとも、まだギリギリ生き延びられる可能性が高い社会である。
自分の生命力が下がったときは、「わたしは日本国民である」というアイデンティティが、自分の命を延命させるだろう。

長らく文字を持たなかった日本人

文字は、王が領民を統べるために必要な道具だった。
大陸の国々では、力による鎮圧もあっただろう。

日本人が文字を持っていなかったのは、王が、文字により神の力を手に入れる必要はなかった。
日本人にとって、長い間文字は不要だったからだ。
日本人がやっと自分たちで漢文を書き始めるのは、天武天皇の時代。
それまでは、百済人が、日本人の代わりに代筆していた様子。

柿本人麻呂歌集は、初期のものは漢文調だが、後期には「てにをは」が増え、日本語へ近づいてゆく。
外国語である漢文を、日本人仕様にローカライズされはじめたのが7世紀の頃。

ひらがなカタカナの登場は平安中期・10世紀ごろか。

明治期に国語の大論争が巻き起こり、現代仮名遣いは昭和になってから。
ネットの普及に伴いもはや2000年台に入って以降も、ゆらゆらと日本語が変わっているように思う。
もちろん、言葉は刻々と変化し、進化してゆくのは当然なのだけれども、なぜ私たちは「言葉」への執着がないのだろうかとずっと不思議だったが、本書を読んだ結論は「日本人は言葉で統べる必要がないのだろう」と思い至った。

高天ヶ原と葦原の中つ国は、分離されたままで構わなかったのだ。

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呪の思想 神と人との間

  • 著者:白川静、梅原猛 (対談)
  • 発行所:株式会社 平凡社
  • 2002年9月9日

目次情報

  • はじめに
  • 話者紹介
  • 響 対談1 卜文・金文 漢字の呪術 平成十三年五月六日(日曜日の午後) 於‥白川邸
    • 「白川静」の学問 異端の学から先端の学へ
    • 『万葉集』と『詩経』 甲骨文と殷王朝
    • 三つの文化 分身・子安貝・呪霊
    • 神聖王と卜占 神と人との交通
    • 「道」と異族 悪魔祓い
    • 殷の神秘世界 周の合理主義的社会
    • 殷以前 「夏」・「南」……民族移動
    • 長江中流 彭頭山文化
    • 再び長江中流 屈家嶺文化
    • 黄河の神 洪水神・共工
    • サイとホコ 「存在」、キヨめられたもの
    • 玉の文化 琮・壁・鉞
    • 青銅器の文化 呪鎮
    • 呪鎮と稲作 土器と銅器
    • 漢字の日本的変容 百済人の発明
    • 和文調の漢字読み 「和語」を活かす
    • 孔子・葬送の徒 墨子・工人集団
    • 蘇東坡と陶淵明 「白川静」は三人?
    • 立命館と高橋和巳 『捨子物語』と「六長期の文学論」
    • 長生の術 百二十歳の道
  • 狂 対談2 孔子 狂狷の人の行方 平成十三年八月三十日(木曜日の午後) 於‥白川邸
    • 和辻哲郎の『孔子』 白川静の『孔子伝』
    • 陽虎・孔子の師? 近くて遠い人
    • 孟子・鄒衍・荀子・韓非子…… 「斉」の国へ
    • 孔子と墨子 職能集団、葬送と技術
    • 孔子と雨請い 髷結わず
    • 巫女の私生児 行基菩薩
    • 殷から周 羌人と姜姓四国
    • 荘・老 『荘子』・神々のものがたり
    • 『論語』から禅宗へ 語録n伝統
    • 『楚辞』 残された神話
    • 中国の神話 奪われたものがたり
    • 南人の神話 彝族・女媧
    • 殷と日本 沿海族の俗
    • 兄弟・姉妹のタブー 近親婚の俗
    • 死・再生の思想 鳥が運んだものがたり
  • 興 対談3 詩経 興の精神  平成十四年二月五日(火曜日の午後) 於‥京都ロイヤルホテル・ゲストサロン
    • 楽師集団と『詩経』 伝承された「風」「雅」「頌」
    • 『詩経』の発想法・表現法 「賦・比・興」
    • 「興」という漢字 両手で酒を注ぐ象
    • 草摘みの呪術 願事成就の仕草
    • 「雅」の民俗 「隹(ふるとり)」が潜んでいる
    • 魚と鳥、空と海 陰陽的概念
    • 「関雎」の位置から語るもの 『万葉』の雄略歌の意味
    • 「碩鼠」の人々 ユーピア「日本」へ渡った?
    • 「十月之交」・十と七の謎 幽王元年、紀元前七八〇年
    • 国が滅びる時 古代的概念から生まれ出る文学
    • 「早麓」・「大雅」の「興」 人麻呂の宮廷歌
    • 殷と日本と……周の農業 稗・粟、小麦……米作?
    • 怨霊と守護霊 殷人の末裔・宋人と海幸彦の末裔・隼人と……
    • 古型を残す「周頌」 周鐘を鳴らし歌い上げる
  • おわりに
  • 制作協力

話者紹介

白川 静(しらかわ・しずか)

明治四十三年、福井県に生まれる。
大正十二年、尋常小学校卒業後、姉を頼り大阪に出る。翌年から、後に民政党代議士となる広瀬徳蔵の事務所に住みこみつつ、成器産業の夜間部に通う。広瀬の蔵書『国訳漢文大成』や漢詩集などを拾い読みする。
昭和八年、立命館大学入学。この頃、呉大澂の『字説』を購読。
昭和十年、立命館大学在籍のまま、立命館中学の教諭に就任。
昭和十九年、立命館大学予科教授、専門部教授、文学部助手を経て、文学部教授となる。助教授時代、処女論文「卜辞の本質」を発表。
以降、教授として中国文学史・甲骨今文学を講じる傍ら、精力的に執筆活動を展開。
主著に『説文新義』十五巻、別巻一(白鶴美術館/昭和四十四年/現在、「白川静著作集」別巻として刊行中)、『漢字』(岩波新書/昭和四十五年)、『詩経』(中央公論社/昭和四十五年)、『金文の世界』(平凡社・東洋文庫/昭和四十六年)、『孔子伝』(中公叢書/昭和四十七年)などがある。
中でも昭和五十九年より刊行された『字統』『字訓』『字通』(いずれも平凡社)のいわゆる「字書三部作」は「白川漢字学」を広く世に知らしめた。これらの研究の成果により、毎日出版文化賞特別賞、菊池寛賞、朝日賞、井上靖文化賞などを受章。
平成十一年、勲二等瑞宝章受章。
現在、『白川静著作集』全十二巻に続き、『白川静著作集 別巻』全二十巻(予定、いずれも平凡社)を刊行中である。

梅原 猛(うめはら・たけし)

大正十四年、宮城県に生まれる。母・千代の死により、二歳にして愛知県の伯父夫婦の許へ引き取られる。彼の地は浄土宗の盛んな所であった。
昭和十二年、浄土宗系の東海中学校入学。当時の名誉校長は、椎尾弁匡氏。
昭和三十九年、NHKテレビ「仏像――かたちとこころ――」の総合司会者を担当。この仕事によって「仏像という“かたち”の背後に、仏教思想という“こころ”を発見した」と自覚、以降仏教経典を読みあさる。
昭和四十四年紛争中の立命館大学を辞職、浪人を送る。この間、角川書店を中心に、仏教の宗祖についての論考を発表。
主著『隠された十字架』(新潮社/昭和四十七年)、『水底の歌』(同/昭和四十八年)は、宗教で学んだ美と情念が絡み合う特異な「梅原学」(怨霊史観)の誕生の成果である。
六十歳の大病を契機に口述という語り下ろしの手法で、『日本冒険』(「野生時代」に二年か月の連載)、『海人と天皇』(「朝日ジャーナル」に二年間連載)等の大作を世に問う。またフィールドワークを中心に据えた仕事、「京都もののかたり――地霊鎮魂」「京都遊行」を合わせて三年余り、各々、読売新聞、京都新聞に連載(一九九七年~二〇〇二年、タイトルを『京都発見』一~四と改め、新潮社より単行本として刊行)。
平成九年、日本ペンクラブ会長に就任。
平成十一年、文化勲章受章。
現在、前出のものを含めた多数の著作の集成として、『梅原猛著作集』第二期全二十巻(小学館)が刊行中である。

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