東條汀留『もうネイルアートには頼らない! 大人の上品美爪塾』を読んだよ

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かわいいお洋服を着たり、お化粧が上手にできると、それだけでウキウキしてしまいます。

ですが、自分が洋服を着ている姿や、お化粧をした顔は、鏡ごしにしか見られません。

自分の姿は、自分よりも他人のほうがよく見えているんですよね。

オシャレは誰のためなんだろう?

当たり前ですが、「自分で自分の姿は見えない」んですね。そう考えると、私達は他者から見られること有りきで、お洋服や髪型やお化粧を選んでいるのでしょうか?

いつもよりオシャレをすると、自分の気持ちがウキウキします。ですが、「おしゃれな姿を誰かに見て欲しい」「見られたい」と思うから、ウキウキしているのでしょうか?

私は、新しい洋服を着るときや、美容室で髪を切ってもらった時は、とても嬉しい気持ちになって、思わずお外へ出かけたくなります。実際に、散歩コースを少し大回りしてみたり、急遽、美術館やデパートへ行く予定を立てたりもします。特定の誰かに見てもらいたいわけではありませんが、なんとなく人の集まる場所へ足を伸ばしている気がします。

一体わたしは、なんのためにオシャレをして出かけているのでしょうか?

自己満足?ネイルアートの葛藤

私はネイルアートをしてもらったり、自分でアートをするのが好きです。キラキラしていたり、可愛い色が爪の先に乗っていると、目に入る度に胸がキュンとします。

もっとキラキラしたラメやストーンや、目立つカラーを塗ってみたくなります。

ですが、反対の気持ちも働きます。他人の目を気にした時、あまりにもきらびやかな爪だったり、派手なカラーを使っていると、どんな風に見られているのかと気になります。

ネイルアート自体を好ましく思わない人もいるようで、顔をしかめられたり、苦言を呈されることもあります。私は、他人様を不快にするためにオシャレをしたいわけではないので、恐縮するばかりです。

「もっと可愛く」「もっと綺麗にしたい」という欲求と、「他人からどう見えるかな」「嫌がられないかな」という気持ちがせめぎ合っています。

肉体そのものの美しさ

今日読んだ「大人の上品美爪塾」では、爪そのものの美しさを引き出す事こそ素晴らしいとされていました。爪の先まで抜かりなく手入れをしている人は、それだけで美しく思います。

それは、爪の形や色艶だけでなく、指先の使い方一つで、その人の印象はグッと変わります。爪の先まで磨き上げ、爪そのものの美しさを引き出す。

これは、自分も目で見て満足し、他人から見ても好感の持てるオシャレかもしれません。

自分が目で見て嬉しいオシャレ

ネイルアートの楽しいところは、自分で自分の爪がいつでも見えていることでしょう。もともと爪の先は、自分で一番よく見ている部位です。

他人よりも、自分の目で見て楽しいんですね。

手入れ次第で、爪の形は変わると書かれていました。私の爪は、巻き爪っぽくて好きではないので、手入れ次第となれば朗報です。

「身だしなみ」と「オシャレ」

他人から見て「好感が持てる」「不快に思われない」ためのものを「身だしなみ」というのかもしれません。「身だしなみ」は自分の年齢や、立場や、時と場合に合わせる必要があります。

自分の満足のためにするオシャレは、一体なんなのでしょうか。自分にはどんな欲求があるのでしょうか。私達はなんのために、オシャレにお金や時間を使うのでしょうか。

自分自身の行動をよく観察する必要がありそうです。

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もうネイルアートには頼らない! 大人の上品美爪塾
東條汀留
講談社
(2011)

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