『犬たちの明治維新 ポチの誕生』|犬もハイカラに文明開化をしていた

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犬たちの明治維新感想-ポチ

こんにちは。昨日は『イノベーターたちの日本史』という近代日本を牽引したリーダーたちの本を読みました。そこから、明治ってどんな時代だったんだろう?とまたもや書棚を漁っていると、目を引くタイトルが。その名も『犬たちの明治維新』……これは、気になりすぎるでしょう!

あさよるは一応、幕末・明治維新ファンを名乗るときが時たまあるのですが、犬の明治維新を扱っている書物は見たことなかった!本書を読むと、例えば江戸へ向かう坂本龍馬の脇を犬がワンワン吠え続けていたのかなんて考えると、なんかイメージ変わるぅ!

『イノベーターたちの日本史』|近代の日本をイノベーションしたサムライたち

イノベーターたちの日本史

イノベーターたちの日本史

  • 作者:米倉 誠一郎
  • 出版社:東洋経済新報社
  • 発売日: 2017-04-28

激動の時代の犬たち

『犬たちの明治維新』では、タイトル通り明治維新という時代の転換期に、犬がどのように扱われてきたのかを紹介します。歴史とは人の営みに注目することが多いですが、人と共に生きた犬たちを通して、近世から近代への移り変わりを見てゆきます。

欧米人が見た日本の犬

日本に開国を迫ったペリーは、日本からの献上品の中に犬があり、アメリカに日本の犬を連れ帰ろうとします。残念ながらこの犬たちは旅路の途中で死んでしまったようですが、ペリーの日記にも残されています。日本側の資料では、いつ犬を渡したのか記録が残っておらず、なんで犬がペリーの船に乗り込んだのか分かりませんが、日米の送り物として扱われているんですね。

その後、外国へ渡った犬たちもいます。彼らは先々で愛されたようです。ちなみに日本の犬とは狆(チン)。白黒の小さい犬のチンです。

後に日本に上陸した外国人たちは、日本の犬に悩まされ続けます。犬たちはテリトリーに入ってきた見知らぬ人物を見て吠え続けるのです。犬たちの執拗な追跡から逃れると、また次のテリトリーの犬たちがやってきます。村から離れホッと一息入れようとすると、草陰から野犬たちが……。そして、江戸の街は夕方になると犬たちの遠吠えが響き渡り、外国人たちには異様に映ったようです。また、日本の犬たちは人を怖がらず、石を投げようとしても逃げません。欧米の犬とは違った様子に、犬の習性ではなく人の振る舞いが犬の性格を決めていたようです。

ちなみに、欧米の犬は人の顔をペロペロ舐めますが、日本の犬は舐めなかった。当時の日本人は顔をなめくる犬が珍しかったよう。

里犬たち

現在のような飼い犬は欧米式で、かつては「里犬」「町犬」という犬がいました。里犬・町犬とは、誰が飼っているわけでもないけれども、村の誰かから餌をもらって村に住んでいる犬。村に村人といっしょに生活をしているのです。里犬の仕事は、見知らぬ人が村へ入ってくると吠えること。そして、子どもたちと遊ぶことです。村の一部として犬がいたんですね。日本に上陸した欧米人たちを悩ませたのはこの里犬です。

そして、里犬ではない野犬は、野生の犬で、自分で狩りをして動物の肉を食べています。

明治維新以前の日本の街、村の様子を語るとき、「里犬」「町犬」の存在が重要ですね。村の一部として、人の生活に溶け込んでいた存在です。

飼い犬になった犬たち

明治になると、里犬も野犬もいなくなります。首輪に名前を書いている犬以外はみんな殺処分になったからです。誰かの飼い犬だった犬と、可哀想だからと誰かが名前を付けた里犬以外は、いなくなります。その理由は、狂犬病の対策でもありますが、文明開化で欧米式の生活を明治政府が導入したからです。人々の生活が変わってゆく中で、犬の運命も変わりました。

そしてこのとき犬に名前がつきました。それまでの犬は、アカとかクロとかシロとか、毛の色で呼ばれて区別されていたようですが、個別の名前を付けられたのです。名付けされることで〈村の一部〉だった犬は、〈人の所有物の犬〉となりました。

ポチとはハイカラな名前ナリ

さて、犬の名前といえば「ポチ」です。さてさて、「ポチ」の語源とは?

明治時代、犬の名前といえば「ポチ」か「カメ」だったそうです。「カメ」は、アメリカ人が犬を呼ぶ時「come here!」と呼ぶことから「アメリカの犬はカメと言うのか」ってな具合ですねw

じゃあ「ポチ」は?こちらは諸説あるようで、引用します。

「英語のスポッティ説」「英語のプーチ説」「フランス語のプチ説」「日本語のぶち説」「ぽち袋(祝儀袋)のぽち説」「ポチポチでんなあ、のぽち説」「小さい点を意味するぽち説」「点々を意味するぽち説」といろいろあって、「チェコ語でも犬をポチといいますよ」とか「ポチって猫の名前じゃないの?」とかいう意見もある。それぞれの見解がそれなりに興味深い。
日本語の辞典としては最も詳しい小学館『日本国語大辞典』第一版(一九七五年)はポチの語源についてまったく触れていないが、第二版(二〇〇一年)で次のように書いている。

(イ)英語でspotty(ぶち犬の意)(ロ)米語でpooch(俗語、犬の意)(ハ)フランス語でpetit(小さい意)からと諸説ある。

p.299-300

著者・仁科邦男さんは「patch説」を提唱する。パッチワークのパッチです。

三省堂『和英大事典』(明治二十九年、メール新聞主筆ブリンクリーほか編)でやっとそれらしい「パッチ」が見つかった。これはヘボンの『和英語林集成』以降も、最大の和英辞書で「我邦古今の語を網羅し、これを英訳を下したるもの」と諸言に述べられている。

Buchi ぶち、斑 異なった色の斑点がある(with patches of different colour)。まだら。色を違える。白黒まだら。Buchi neko斑猫。

三省堂『新訳和英辞典』(明治四十二年、井上十吉編)では、さらに簡単明瞭になる。

Buchi (斑) Patches

p.309

著者は、ポチの語源は「ぶち」を意味する英語「パッチ」に間違いないと断言しておられるが、いかがでしょうか。みなさんも一緒に悩んでみませんかw 著者も述べているように、ポチの語源説はどれもそれっぽいのですが、決め手がない。そういう意味では、「パッチ」と「ポチ」は似ている……か?

そう言われて英語音声を聞くと、「ポチ」と聞こえる気もするw

「ポチ」というのは非常に和風な響きかと思いましたが、語源に英語やフランス語、チェコ語説まであって、ハイカラな名前だったんだなぁと感心しました。

今の犬とは違う犬たち

犬たちの明治維新感想-ポチ

明治維新の頃の犬たちの様子を知ると、現在身近にいるペットの犬とは全然違うことに驚きます。人をペロペロ舐めるというのも欧米からもたらされた犬の習慣(?)だということですし、なにやら犬の素振りが違います。日本の里犬たちはペットではなく、街や村の中の構成要因として生きていた印象でした。人の生活を彩るもの、愛玩要素はなくって、人と協力して、その土地に溶け込んでいるような。子どもたちと遊ぶのが仕事だというのも、すごい。犬が子育ての一端を担っているなんて。

そして、アカやクロやシロやクマや、いわゆる雑種の犬って、昔よくいましたが、今もう見かけないですよね?彼らはどこへ行ったんだろう。紹介したように、明治になって飼い犬以外がみんな殺処分になり、日本の犬は激減し、生き残ったのはごく一部。その生き残りの犬たちも、いなくなっているんだろうか。

日本人の生活が欧米化したことで、犬の性格、性質、働きまで変貌してゆく様子は、まさに人と共に生きるパートナーなんだなぁと感じます。

犬たちの明治維新 ポチの誕生

目次情報

はじめに 犬に「値段」がなかったころ

第一章 犬たちの開国

1 ぺリー来航

吉田松陰の密航未遂事件の影に犬あり
ジャパニーズ・ドッグ、海を渡る
艦隊の乗組員が記したチンたちの足跡
海外チン・クラブに見る「ペリーの犬」の謎
幕府の遣米使節団、ペリーの犬と感激の対面

2 ロシアのプチャーチンと川路聖謨

川路、ロシアと条約交渉で長崎へ
「ロシアの桜は日本の犬桜にも及ばず」
下田の犬に吠えられるロシア人
東海・南海大地震とロシア艦沈没

3 ハリス来日

ヒュースケンの跡をつきまとう下田の犬
ハリス、領事館で二匹のチンを飼う
物知りハリスの「しっぽ調べ」

4 英国公使オールコックと愛犬トビー

外国人初の富士登山
トビー、熱海に死す

5 東禅寺襲撃事件を知らせた犬

日本の「街犬」は見事な犬
昼飯をもらった町犬の活躍

第二章 横浜開港

1 横浜・神奈川犬事情

「横浜では犬も買えます」
犬がじゃまするヘボンの散歩
外国人を驚かせた「馬より速く走る馬丁」
昼間から町に寝そべる犬たち

2 外国人居留地の犬問題

犬殺しに罰金一五〇ドル
居留地自治規制の第一条は野犬対策
横浜大火で焼死した英書記官の犬

3 チンをほしがる外国人

チンはキング・チャールズ・スパニエルに似ている
英国軍に略奪されたペキニーズ
いくつもあったチンの種類
「狆」という字の謎
狆はなぜ「チン」と読むのか

4 斬られる犬たち

フォーチュン、「犬の刀傷」に憤る
笑い話「生類憐みの令」
伊藤博文暗殺目撃者の「犬斬り話」
犬死の時代

第三章 犬たちの明治維新

1 天皇が自由に犬を飼い始めた時代

「外国人は犬猫同然」と攘夷派に襲われたパークス
新政府、イギリス王子を「狗吠え」で出迎え
明治天皇、赤坂仮皇居で兎狩
天皇の兎狩と西郷の死
多摩での大規模な狩行幸
現明治神宮にあった天皇の猟犬飼育場
新宮殿の「表」の犬と「奥」の犬
千年続いた「六畜の穢」の束縛からの解放

2 「カメ」の時代、始まる

明治人はなぜ洋犬を「カメ」といったか
「カメ」はなめる
洋犬を飼うのは文明開化のステイタス
犬の入浴お断り

3 消える里犬

「畜犬規則」の衝撃
横浜、野犬撲殺に乗りだす
明治七年、最後の犬の伊勢参り
御料牧場開設のための野犬狩
吉宗の猟犬輸入と狂犬病
狂犬病治療の進展――森鴎外と栗本東明
狂犬病予防のための野犬狩

第四章 西郷どんの犬

1 犬ざんまいの日々

西南戦争、犬と出陣
「犬連れ西郷」の目撃談の数々
犬に鰻飯を食わす西郷の「お勘定」逸話
西郷をもてなした祇園の名妓「君竜」とは誰か

2 知行合一

元庄内藩士が作った『南洲翁遺訓』
西郷にとっての「知行合一」
他人の「逸物の猟犬」を次々所望
江藤新平、突然の来訪

3 犬連れの西南戦争

政府による「西郷暗殺計画」の真相
官位剝奪の伝令者と一緒に兎狩
宮崎の少年の案内で兎狩
犬連れ撤退
陸軍大将の軍服を焼き、犬を放す
なぜ戦地に犬を連れて行ったか

4 西郷隆盛像の犬

西郷像の図案決め
西郷像は似ているが、似ていないか
犬のモデルの真実

第五章 ポチの誕生

1 明治時代の犬の名前

犬の名も「カメ」にふさわしい名前に
犬の名前、人気ランキング
文豪たちの愛犬
明治の世は、どこもかしこもポチだらけ

2 ポチと教科書

『読書入門』――「ポチハ、スナホナ イヌナリ」
幼年唱歌「花咲爺」――「うちのはたけで、ぽちがなく」
犬はポチ、猫はタマ

3 ポチはなぜポチというのか

ポチの語源の諸説
ポチ、英米仏語由来説
ポチ、patch(パッチ)説
ポチの語源を示唆する「横浜版ピジン・イングリッシュ」

終章 薩摩の犬のその後

薩摩の犬を求めて甑島へ
椋鳩十『マヤの一生』と犬の供出
犬が根こそぎ供出された鹿児島

おわりに
引用図書・資料一覧

仁科 邦男(にしな・くにお)

1948年東京都生まれ。70年、早稲田大学政治経済学部卒業後、毎日新聞社入社。下関支局、運動部、地方部などを経て2001年、出版局長。05年から11年まで毎日映画社社長を務める。名もない犬たちが日本人の生活とどのように関わり、その生態がどのように変化してきたか、文献資料をもとに研究を続ける。07年より会員誌『動物文学』(動物文学会発足)に「犬の日本史」を連載中。著書に『犬の伊勢参り』(平凡社新書)がある。

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