『編集者という病』|過激すぎると「本」でしか読めない

こんにちは。あさよるです。ブログを書くって、自分で文章を書き、自分で編集し、自分でディレクションして、自分で記事を公開することなんですよね。一人編集部なわけです。何年書いてもブログのクオリティが上昇しないのも「全部ひとりでやってるからしゃーないな」ということにしておきましょうw

この「編集する」という作業が、あさよるにとって、よくわかっていないトコロです。そういえば昔、仕事で「編集の勉強をせよ」と言われたこともありましたが、あまり気ノリせず、結局やらず仕舞い。「編集」と呼ばれる仕事をしている人の様子を見ていても、あまり「良い」とは思えず、モヤモヤとしたまま今に至ってしまいました。

そして、先日読んだ編集者の見城徹さん『読書という荒野』がとても印象的で、他の本も読んでみようと手に取ったのが『編集者という病』でした。『読書という荒野』でも、編集という仕事について書かれていましたが、『編集者という病』では、もっとダイレクトにこれまで編集してきた本の話が満載でした。

編集するということ

角川書店を経て幻冬舎を立ち上げ、数々のベストセラーを出してきた編集者・見城徹さんが、ご自身の仕事を振り返る。仕事……といっても、それは私事とか仕事とかそんな話ではなく、全身全霊、すべての時間をかけて本を作る編集者の姿です。それはもう「仕事」の枠をとうに超えていて、「病」であるというタイトルです。

尾崎豊に小説を書かせ、世に送り出し続けたエピソードは、「公私混同」とかそういう話じゃないですね。表現者とは魂を削ってそれを行う。編集者はそれを「本」という形にするため、表現者と向き合う。

あさよるは「編集」って、イマイチなにをする仕事なのかわかっていなかったのですが、その人の持っている「何か」をどう切り取り、どう見せ、どう形にしてゆくのかを決める大事な仕事なんですね。

出版当時話題になった、郷ひろみさんの『ダディ』では、ずっと友人だった郷ひろみさんが、妻から離婚を告げられ苦しんでいるという話を聞き、それを本にするよう持ちかけます。内容がセンセーショナルに扱われましたが、あくまで男女が出会って結婚し、子育てをし、離婚をするという、よくある話を、当事者が心情を吐露するのだと紹介されていました。そのとき、はらわたまで書き出すような、人間の光も影も詳らかに言葉にし、本にする。そのために編集をするのです。

出版はオワコンだから終わらない

よく「出版はオワコンだ」なんて言いますが、本書を読むと改めて「出版はオワコンなんだなぁ」と思うとともに「オワコンだからこそ、出版は終わらないんだろう」とも思います。

雑誌や書籍に書かれている内容は、本の形態に印刷され、綴じられているからこそ成立しています。で、ときどき、雑誌のコラムなんかがそのままWEBマガジンにWEB記事として掲載されたとき、炎上しちゃったりしています。メディアが変われば読者が変わり、文脈も変わるので、本・雑誌ではアリだけどWEBだとNGってのが少なからずあります。

雑誌や書籍のノリの記事がWEBで炎上しているのを見ると「オワコンだなぁ」と思うと同時に、だけど、だからこそ「WEBじゃ書けないこともあるんだなぁ」とも思うので、やっぱ紙の本・雑誌がなくなることもないのでしょう。誰でも無料で読めるWEB記事の良さもあるけど、読者を限定できないが故に、読者を想定しきれず、違う文脈で読まれてしまって、違う解釈をされることもあるでしょう。多くの人にあてはまる話だけをすると、毒にも薬にもならない話しかできないし、難しいところです。

で、本書『編集者という病』に書かれている中身って、結構ヤバいというかw、他人事として読むと「こんな熱い世界があるのかぁ~!!」と燃えるけれども、自分の身近にこんな魂かけて仕事する人がいるとヤだなと思う人も多いんじゃないでしょうか(苦笑)。特に、作家と公私混同を超えて、共依存関係のように、混ざり合い、本を作ってゆく様子なんて、一般社会には受け入れがたい世界観じゃないでしょうか。だけど、ギリギリで表現をし続ける作家の作品を「読みたい」という欲を止めることも難しい。

一般の良識、社会のモラルと、狂気の世界に生きる表現者の作品を受容することのせめぎ合いって、どちらを正しい/間違いと言い切れないから、なんとも言えませんね。これから私たちの社会は、それらをどうジャッジしてゆくのかを迫られているのかもしれません。

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編集者という病い

目次情報

序章 悲惨の港を目指して――暗闇の中での跳躍(ジャンプ)――

第一章 SOUL OF AUTHER

傘をなくした少年 尾崎豊/『誕生(BIRTH)』 尾崎豊/《エクリチュールとステージ》 尾崎豊/再会 尾崎豊行為への渇望 石原慎太郎
不眠症を誘う彼らの死① 「スノッブをすりこまれた」安井かずみ
不眠症を誘う彼らの死② 「淡々と死んでいった」山際淳司
不眠症を誘う彼らの死③ 「この世に貸しを残した」鈴木いづみ
不眠症を誘う彼らの死④ 「悲惨の港を目指して見せた」尾崎豊
不眠症を誘う彼らの死⑤ 「涙腺に熱いものがこみ上げる」中上健次
ミッドサマーの刻印① 坂本龍一 ラストエンペラー
ミッドサマーの刻印② 松任谷由実 ルージュの伝言
ミッドサマーの刻印③ 石原慎太郎 太陽の季節
ミッドサマーの刻印④ 村上龍 テニスボーイの憂鬱
ミッドサマーの刻印⑤ 浜田省吾 19のままさ
「快楽」を武器に共同体に孤独な闘いを挑む作家 村上龍
謎だらけのヴァンパイア 村上龍
EXITなき広尾の店で 坂本龍一と過ごした4年
芥川賞の夜 五木寛之/スリリングな巨人の綱渡り 五木寛之
夏樹静子の『デュアル・ライフ』
会社設立の頃 内田康夫/お茶の香り 重松清
疾走者の恍惚 大江千里
著者が仕事しやすい環境作りにいかに専念するか 銀色夏生
勝者には何もやるな ヘミングウェイ
キャンティという店

第二章 SOUL OF EDITOR

三人の大家ときらめいている新人三人を押えろ/自分を変えるものしか興味はない/「出版幻想論」序文
過去の栄光を封印し、新たなる標的に立ち向かえ!
見城徹はチキンハートゆえに勝つ/安息の地からの脱出
ベストセラーを生みたければ混沌(グレイ)の海に身投げしろ!
見城徹は小さなことにくよくよし他者への想像力を磨く
四〇歳代を闘い終えて……/見城徹が選んだ男 マッスル小野里
濃密な季節 清水南高/人生の一日 五味川純平『人間の条件』
懐かしい兄よ 大島幾雄/アイ・アム・ミスター・エド

第三章 SOUL OF PUBLISHER

常識って、僕より無謀です
見城徹の編集作法
幻冬舎創立「闘争宣言」

オンリー・イエスタディ あとがきに代えて

見城 徹(けんじょう・とおる)

1950年、静岡県清水市(現・静岡市)生まれ。慶應大学法学部卒。
1975年、角川書店入社。
1993年、幻冬舎を設立。
2001年、幻冬舎コミックス設立。
2003年、幻冬舎をジャスダックに上場。
幻冬舎代表取締役社長として現在に至る。

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