桜庭由紀子『落語速記はいかに文学を変えたか』は面白い本だった。
落語が明治期の日本語の言文一致運動で重要な役割を果たしたことを紹介する内容だ。
日本語の変遷の話ではなく、あくまでも「落語」の本。
落語好きには一読の価値ある一冊です。
圓朝の落語を、話し言葉のまま文字にした!
明治になり、西洋から「速記」が輸入されます。
「速記」とは、独特な速記文字や速記記号を使って、人が話していることを、話しているスピードで書き留めていくものです。
国会でも、机に向かって速記している人がいましたよね。
速記が始まったとき、国会の記録などを書き留めていくのですが、その後、話し言葉を書き言葉に直していたそうなんですね。
日本語はもともと書き言葉と話し言葉が違っていたからです。
でも、それってどうなん? となり、言文一致運動が始まります。
そこで、三遊亭圓朝の落語を、耳で聞いたままの言葉で文章にしてみることになったのです。
落語の「神の目線」
落語には時々、「神の目線」と言いますか、はなしの途中にストーリーの説明なんかが入ります。
この神の目線も速記により文語体で書き記されるようになり、それが後の文語体の小説にも影響したというのです。
「こういう風に書けばいいのか」となったんですね。
今、明治の文豪の小説を普通に読めるのは、速記による小さな発見の積み重ねなんですね。
記録が残ると、記録ありきで芸が継がれはじめる
速記によって文学の世界が変わった話とは別に、落語を速記するようになったことで、落語自身も変化し始めるのも面白いところ。
つまり、録音機器もなかった時代、落語は師匠から弟子に直接、口伝えで伝えていくしかなかった。
しかし、速記の登場で文字情報で落語が記録され始めると、いつでも本を読み返すことができるようになった。
その変化は、結構落語家さん自身の気持ちにも変化を起こすと思いませんか?
師匠から直接向かい合って教えてもらうしかなかったのが、あとで家に帰って本を読んで確認できるようになるのは大きな違いがあります。
のちの時代には、録音できるようになり、映像で残るようになり、今ではYouTubeでちょっと検索すれば数多の師匠たちの高座が見られます。
なにが良い/悪いというつもりはないですが、この環境の違いは、大きな違いを生むのは確かだろうと思います。
落語好きな人は読んでみて
『落語速記はいかに文学を変えたのか』は、文学の話というよりは、落語目線の話です。
落語好きは読んでみてほしいです。
わたしも、落語は好きですが、昔の伝説の名人の話なんかは全然知らないので面白かったです。
「落語ってすごいんだぜ!」とちょっとマウント取りたいときネタとして使わせてもらいますw
落語速記はいかに文学を変えたか
- 櫻庭由紀子
- 2024/3/31
- 淡交社
目次情報
- 1章 演芸速記と言文一致の誕生
- 演芸速記とは何か
- 三遊亭圓朝が明治にもたらしたもの
- 小説とは何か 文壇の試行錯誤
- 二葉亭四迷の予想外な成功
- 夏目漱石と大衆の笑い
- 2章 高座を「読む」人情噺
- やまと新聞と演芸速記
- 消えた江戸の幽霊、累とお岩
- 速記雑誌の誕生
- 新聞社同士の攻防戦
- 3章 「伝える」ための試行錯誤
- 江戸後期から幕末までの口語体
- 江戸っ子と文芸
- 高座の再現と独自性の表現
- 速記と芸人
- 4章 小説と話芸速記の境界線
- 演芸から小説、小説から演芸
- 伝説の『百物語』を読む
- 書き講談・立川文庫から大衆文学へ
- 探偵小説誕生前夜
- 涙香以降の名探偵たち
- 5章 演芸速記を読んでみると
- 絶滅危惧種の速記本
- 落語は文学か
- おわりに
- 参考文献
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