和田秀樹『「正しさ」にふりまわされないコツ』|「正しさ」の反対は「正しさ」?

自分の「正義」が、自分を追い詰めてない?

和田秀樹先生の新刊!

当あさよるネットでも以前、和田秀樹さんの書籍を紹介しました。

↑この本もですし、昔読んだ和田秀樹さんの本も面白かったので、新刊を見つけて手に取りました。

「正しい」と「正しい」のぶつかり合い

本書では、自分のもっている正義感や正しさが、自分自身をがんじがらめにし、自分を追い詰めてゆくと紹介されています。「自分自身を苦しめる正しさ」とはこれいかに。

例えば「鬱なんて怠けだ!」と仕事を休む同僚を揶揄している人は、いざ自分が鬱になったとき、仕事を休めません。確かに、気力でなんとか乗り切れる時もあるでしょうが、どうにもならない時もあるのに。

要は「詰み」になっちゃうんですね、過去の自分の発言のせいで。自分で自分の選択肢を消してしまう。本来なら、たくさん選択肢のある場面なのに、にっちもさっちもいかなくなってしまう。

そして、「正しさ」は他人が持ってる「正しさ」とぶつかり合います。例えば、「ずっと子供の側にいてあげたい」と辞職する母親も、「子供のために働きたい」と仕事に出る母親も、どちらにも正義があり、どちらも間違っていません。なのに、時にイガミあってしまいます。

「~すべき」「~であるべき」に振り回されていませんか?

「正しさ」への対処法

『「正しさ」にふりまわされないコツ』では、「正しさ」への対処法が紹介されています。

そもそも、自分の「正しさ」に振り回されてしまう人は、それだけ正義感が強い人です。だからっちょっとだけ、自分に甘くなりましょう。そして、同じように他人にもちょっとだけ甘くしましょう。「開き直り」も大切です。

「○○ならば△△しかない」と思い込むのはやめ、自分にも別の生き方、別の人生があることを大切にします。案外、間違ったって大丈夫だったりするのかもしれません。自分で勝手に「決めつけ」を行うのはやめましょう。

そして、相反する正しさと出会ったとき「どちらが正しい」と考えるだけでなく、「どちらも正しい」場合も考えます。

やっかいな「正しさ」もあります。例えば「可哀想な人に親切にする」というのは、一見素晴らしいことのように見えます。しかし、特定の誰かを「可哀想」と自分が決めていることを忘れてはなりません。

「正しい」を決めているのは自分。

そう、「正しい」「正しくない」を決めているのは、他の誰ならぬ「自分」なんですね。その決めつけ、思い込みを、時に「偏見」と呼ぶこともあるでしょう。もしかしたら正義の名のもとに「差別」と呼ばれることをしているのかもしれません(;’∀’)

そして「こうしたらあの人はこう思うだろう」「こんなことをしたら○○だって思われる」と、他人の行動や思考にまで決めつけをしちゃってます。実際問題、相手がどう出るかは相手次第です。他人は自分とはまた別の「正しさ」で動いているのです。

『「正しさ」にふりまわされないコツ』感想

本書『「正しさ」にふりまわされないコツ』は、「ほんとマジ共感」と頷いてばかりの読書体験でした。

ああ!あさよるも10代、20代の頃の自分に読ませてやりたいぜ!まったくもって、自分の正義を心から信じ、その正義に刃向かうヤツは「間違っている!」と鼻息荒く突っかかっていました。いやぁ、思い出すと恥ずかしや~。

自分の「正しさ」以外の行動基準を見つけられず、自らの「正義」を振りかざし、その「正義」に自分が苦しめられていました。いやぁ、我が青春は苦しみしかなかったぜ!(^_-)-☆

八方ふさがりで、本当に「詰んだ」と悟り、「もう生きられない…」と思ったけれども、覚悟も決められず(-_-;) だらっと未だに生きていますよ。だけどそれ以降、だらっと生きながら、自分の正しさに折り合いをつけたり、他人の正しさにも正義があることを受け入れられるようになりつつあります。

( ゚д゚)ハッ! 自分語りしてしまった!

今すぐ変われるものでもない…?

とまぁ、『「正しさ」にふりまわされないコツ』に書かれている内容、「んだんだ!」と大いに納得なのですが……。じゃあ、この本を読めば、書いてある通りに行動できるのかっ!ってとこですね。

正直……自分の「正しさ」にがんじがらめになっているモードのときに、和田先生のお言葉が胸に入ってくるだろうか……(遠い目)。

あさよるの過去を振り返ると、今思えば適切なアドバイスをしてくださる人生の諸先輩方もたくさんおりましたが、全然耳に入りませんでしたっ!で、『「正しさ」にふりまわされないコツ』も、響いてなかったんじゃないのかな?と思ってしまう……。

イチバン届いてほしい人には届かないジレンマがあるのかもしれません…。

誰もが「正義」をふりかざしている?

『「正しさ」にふりまわされないコツ』で改めて認識したのは、「誰もが『正義』を持っている」ということです。

もうちょっと強く言うと、誰もが正義を振りかざしている。正義の名のもとに、誰かが誰かをバッシングする。不正を許すまじと、弱者を追い詰める。ズルをした、悪いことをした人を正義という名の「私刑」に処す。

みんな、誰もが正義を持っている。自分は「正しい」と信じ行動している。これって、時に厄介で、時に恐ろしくもある。

自分とは違う「正義」を持っている人と、譲ったり、認めたり、尊重することで、何か変わるのかなぁなんて思う。その、譲るものは、自分には理解しがたい「正義」であっても。なんだか、とても矛盾しているようにも思うけど、それしかないのかなぁ。

あなたを追い詰めるのは、誰?

もし今、息苦しさや、行き場がないように感じているなら、もしかしたら自分の「正義」感が、自分を追い詰めているのかもしれません。

他者が何か阻んでいるのかもしれません。自分が、自分の「正しさ」にがんじがらめになっていないでしょうか。

『「正しさ」にふりまわされないコツ』は、自分の「正しさ」にも、他者の「正しさ」とも、そして社会の「正しさ」とも、上手く折り合いをつけるコツがたくさん紹介されています。

読みながら納得するものばかりでした。

「ちょっと肩の荷が重く感じるなぁ」「ギスギスしてるなぁ」という時にどうぞ。

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「正しさ」にふりまわされないコツ

  • 和田秀樹
  • 朝日新聞出版
  • 2016/5/20

目次情報

はじめに

第1章 「正しさ」で自分を追いつめない

ほんの少し「自分にも他人にも甘く」を意識する
目的を忘れてプロセスにこだわりすぎない
「別の人生もある」と頭の片隅に代替案を用意しておく
あきらめて他の人生を生きることも大事にする
「開き直る」とは、今の自分を肯定すること
自分を卑屈にする「負け惜しみ」はもたない
「間違ってはいけない」と思い込みすぎない
自分の中の「~すべき」と適度な距離を保つ

第2章 争わない「正しさ」の貫き方

「どちらが正しい」ではなく、「どちらも正しい」と思う
「かわいそう」という正しさを他人に押し付けない
「もし、自分がその立場になったらどうするか」を想像する
他人の愚痴に正論で返さない
「よそはよそ。うちはうち」のスタンスでいる
国や世間のいう「正しさ」を疑ってみる
たとえ悪いことでも「悪い」と言いすぎない
「それは違う」と思った時に直接その人に講義しない
「第三者に相談」は、「告げ口」でもないし、「卑怯」でもない

第3章 「正しさ」と「損得」のバランスを考える

「正直者はバカをみる」という言葉を真に受けなくていい
「金銭的に損」より「精神的に損」を計算する
人生の最期までみないと本当に損かどうかはわからない
「多数派が正しい」という状況では、根回しも大事にする
「組織なの正しさ」はほどほどに守ればいい
自分のいる組織の「正しさ」は時には客観的に見つめ直す
「自分の正しさ」を貫けなくても、自分を責めないでいい

第4章 自分の中の「正しさ」を見直す

自分の中にある、親から教えこまれた「正しさ」を書き出す
先生や友人から刷り込まれたスキーマに気づく
ムーブメント的な「正しさ」には乗っからない
「正義の味方」気分に気をつける
一つが「黒」でも、すべてを「黒」にはしない
「よくも悪くもない」というグレーゾーンを広くもつ
思い込みは、「数学」や「別の文化」にふれることで修正する
環境が変わったときは「考え方」ではなく「行動」を合わせる
「正しくないこと」を言い出す人がいるから発展する

第5章 優しい「正しさ」とは何か

「言葉だけ」ではなく「行動」も重視する
困っている人の立場に立って、その人の目線で考える
「優しさ」は同じ形では帰ってこない
人を動かすのは、「正しさ」ではなく「優しさ」
「正しさ」を考え続ける「優しさ」もあると信じる
他人の「正しさ」を理解しようと努めるほどに、人生は豊かになる

おわりに

和田 秀樹(わだ・ひでき)

1960年大阪府生まれ。東京大学医学部卒、東京大学医学部付属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学校国際フェローを経て、現在は精神科医。和田秀樹こころと体のクリニック院長、川崎幸病院精神科顧問、国際医療福祉大学大学院教授、一橋大学経済学部非常勤講師。映画監督としても活躍。
主な著書に、『この国の冷たさの正体』(朝日新書)、『自分は自分 人は人』『感情的にならない本』(新講社)、『孤独と上手につきあう9つの習慣』(大和書房)など。

コメント

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