私は「嘘をつかない」「正直さ」にとても重きを置いていました。いつでも自分は嘘をつくまいと思い、そう振舞ってきたつもりです。
「嘘をつかない」と言うと、とても難しいことのように称されますが、とても簡単なことです。ただただ、本当のことを言えばいいだけなのですから。
むしろ難しいのは、相手を気遣い、思いやり、優しさを持ち続けることなのかもしれません。
ただ嘘をつかず正直でいることは、時に相手を追い詰め、逃げ場を奪い、めちゃめちゃに傷つけてしまいます。
常に「嘘をつかない」「正直さ」を持っていることは正しくて良いことかもしれませんが、恥ずかしいことかもしれません。
私はそれに気づかず、ただ自分が自分らしく自分の考え通りに「嘘をつかない」でいただけだったように思います。
「正しくない」が「間違っている」とは限らない
西原理恵子さんの『生きる悪知恵 正しくないけど役に立つ60のヒント』を読みました。
様々な悩みに、西原さんが「正しくないけど役に立つ」回答を次々と伝授する内容です。
「正しくない」と謳っていますが、決して西原さんの答えが「間違っている」わけではありません。
真正面から問題に取り組んでいるからこそ起こる摩擦に「他の切り口がある」「問題はそこじゃない」と、違うアプローチの仕方を提案しています。
衝突を回避することとを良しとするか
問題を避けたり逃げたりしてもいい
摩擦なく生きるのには「正しくないこと」も必要なのでしょう。
他人とぶつかってトラブルに発展すれば、時間も体力も疲弊してしまいます。
それは双方にとっても良いことではないでしょう。
正直さや正しさを蔑ろにして良いのか
本意でないことを言ったり、自分の考えと別のことをするのはやはり良いとは考え辛くも思います。
相手の機嫌を伺いお世辞を言っているような、他人に媚びているような印象もありますし、本意でないことを言うことは「嘘をついている」ようにも感じます。
媚びや嘘も時には必要なのかもしれませんが、それを良しとするのはどうでしょうか。
「優しや」や「思いやり」に重きをおく生き方
「嘘をつかない」「正しい」生き方
いつもいつでも自分の考えをハッキリと提示するよりも、適当なところで落とし所を作ったり、時には相手の要求や考えを丸呑みした方が、得なこともあるでしょう。
いちいち正面から突っ込んでいては、問題が解決しないばかりか、更に大きな問題を呼んでしまうかもしれません。
しかし、なにもかも誰かの言うことを聞けば良いものでもなく、自分の考えや、自分の分前は守るべきです。
自分と相手の立場や権利を鑑みつつ、お互いに許せる着地点を探すことが必要なのかもしれません。
それは、時には「妥協」や「不本意」な場合もあるでしょう。
「お世辞」「おべんちゃら」という色眼鏡をかけているのは誰か
他人の機嫌を伺い、心にもない「お世辞」を言い、「媚び」を売っていることは、自分の身の保身に走っているのでしょうか。自分の心に嘘をついている状態なのでしょうか。
「相手の機嫌を伺う」というとネガティブな印象がしますが、「相手を喜ばせたい」という気持ちと言えばポジティブに聞こえます。
「お世辞」も度が過ぎれば「嘘」になってしまうでしょうが、その人の特徴をポジティブに表現するだけでも、お世辞になる可能性があります。
それを「お世辞」「おべんちゃら」と呼ぶのか、相手を評価し、認め、尊敬することなのかは、自分の気持ち次第な気がします。
結局「媚び」や「お世辞」は自分だけ得しようと思うからこそ生まれるのかもしれません。
それよりも、相手を尊敬し、親切し、衝突を摩擦を減らすことで、問題を解決する道もありそうです。
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生きる悪知恵 正しくないけど役に立つ60のヒント
生きる悪知恵 正しくないけど役に立つ60のヒント
西原 理恵子
文藝春秋
(2012)
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