『究極の選択』|音・感触・言葉にならない感覚を持ち続ける

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こんにちは。あさよるです。このブログを始めてから、読書傾向が大きく変わりました。以前から有名人や著名人のエッセイやコラムみたいなのを読むのは嫌いじゃなかったのですが、その「有名人」の幅が広がって、「これまで知らなかった人物のエッセイ、コラム」も手に取るようになりました。

今日読んだ『究極の質問』もそう。著者の桜井章一さんは「雀鬼」とも呼ばれる雀士。といっても、あさよるは麻雀なんて全然知らない分野ですから、桜井章一さんのことも何も知らずに本書『究極の質問』を読み始めたのですが、質問に対し、独特の思考でありながら筋の通った話が展開されてゆく様子が、抽象的で刺激的な読書となりました。

雀鬼へ究極の質問

本書『究極の質問』は、「雀鬼」と異名を持つ雀士・桜井章一さんへ、究極の難問をぶつけまくった記録です。「殺人はなぜ罪か」や「死刑制度は必要か」みたいな質問から、「AIは人の仕事を奪うのか」「極限状態で人の肉を口にするか」「周囲に流されず独自の道を生きるには」のような、多彩な質問がよせられています。

桜井章一さんの回答は独特で、理屈を並べるのではなく、とても感覚的なのが印象的です。といっても、もちろんトンデモや電波な答えをしているわけではありませんよ。回答には理由があって納得できるものですが、その答えを導き出す経緯が独自路線な感じ。

たとえば「道徳」についての質問では、道徳はその社会の思想を広めようとしているとし、それが正しく優れたものであっても人々に押し付けをすると、反発する人も現れる。道徳によって諍いが生まれることもある。日本人には「恥の文化」がまだ残っていることもあり、慎ましく行動する傾向があるが、「ムラ社会」の名残でもある。それは「旅の恥はかき捨て」と言葉があるように、いざムラ的共同体の外に出ると、タガが外れた行動をしてしまうとも言え、はたして「恥の文化」が日本人の「徳」なのかは怪しい、と答えておられます。また、大人は子どもに「人に迷惑をかけるな」としつけるが、迷惑をかけずに生きられる人はいないため「迷惑はかけちゃうけど、お互いにあまち迷惑をかけすぎないように気をつけていこうね」と教えるべきだとも話されています。

そして「道徳」の話は桜井章一さんが主宰する麻雀の会「雀鬼会」のルールへ話が及びます。雀鬼会では「いい麻雀をみんなでつくろう」というルール、一種の道徳があるそうです。その「いい麻雀」とは、勝ち負けじゃなく、

勝ち負けを超えた次元でみなが気持ちのいい麻雀が打てるように(p.73)

と話されています。また、社会の中の「道徳」は先に紹介したように負の側面もありますが(反発する人や、諍いの種になりうる)、雀鬼会のルールは全員が気持ちよくなれるものです。麻雀にある駆け引きや騙しのテクニックを取り去った麻雀だそうです。

桜井章一さんがおっしゃっている「道徳」の説明は、言葉の上では「わかる」ものですが、

経済と政治の要素をことごとく取り去った麻雀(p.74)

というのは、実際にどういう状態なのかイメージしにくいですよね。この話では「道徳」をテーマにとても抽象度の高いお話をなさっている印象です。これは、本書を通じて、具体的な話題を扱いながらも、時折とても抽象的に話が展開したりと、結構刺激できな読書になりました。

ゲームの勝敗じゃなく「音を聞く」

「隻手(せきしゅ)の声」という言葉があります。禅の公案で、両手を叩くと「パン」と音がするが、片手だけならどんな音がするか、というもの。隻手の声を桜井章一さんはどのような解釈をするか? という質問が寄せられていました。

桜井章一さんは、片手であっても掌はそこにある空間、空気を感じ、“気体”の濃度が発する気配を「音」感じると答えておられます。本書ではこの「音」が重要な存在なのです。

 雀鬼会では牌を麻雀卓に捨てるときの音を大切にしている。
牌を打つとき、無駄な思考、無駄な動きが無ければこの「内に響く音」が鳴るが、少しでも無駄な動作が入ればいい音を響かせることはできない。
牌はつかまなければ捨てることはできないが、「つかむ」という感覚があると無駄な動作が入りやすくなる。

p.137

このあと牌の扱い方が続きます。麻雀を勝ち負けのただのゲームとせず、身体感覚を使って、スポーツをしているような感覚……という感じでしょうか。とても繊細な〈何か〉に注目し、言及されているようですが、言葉として頭に入るだけでは到達理解できなさそうです。やはり、なんらかの身体感覚を伴う、感覚的なものがあって、それを掴むためのアドバイスなんだろうと想像します。

さらに、麻雀を、川上から綺麗な水を流すように打つようにと指南されていたり、ただの勝ち負けのゲームとしてじゃなく、なんらかの抽象的な動作や存在について言及しているのだろう部分が、とても興味惹かれました。

言葉にならない感覚を失わない人

わたしたちヒトは、動物として生まれてきて、成長過程で社会的教育を受け、人間になってゆきます。社会性を身につけるのと引き換えに、われわれはたくさんの動物的感覚を失ってゆくそうです。赤ちゃんは誰に教えられなくてもお母さんのおっぱいを飲めますし、勝手に筋トレして首が座り、寝がえりやハイハイ、自力で歩けるようにとなってゆきます。

だけど、社会性というのは、後天的に見につけるもので、勝手に養われてゆくものではないし、本能的な行動欲求を抑えつけ「こんなときどうする」とケーススタディをインストールされるものです。また、時代にあわせて常識や社会規範はかわってゆきますから、適時アップデートも必要です。

さて、桜井章一さんのお話からは、とても感覚的で抽象的な感じを受けました。ある種の「動物としての感覚」を失わずに持ち続けている人なのかもしれないと感じました。麻雀ってそんな感覚を使うゲームなんでしょうか。

ちなみに「あさよるは透視ができます」というと「暑さでどうかしたのか!?」と心配されそうですが、トランプゲームの場合、テーブルや服に反射したカードの色とその面積で「赤か黒か」「色の面積が多いか少ないか」くらいは「見える」ことがあります(条件が揃えばね)。だからゲームをするときは、反射しないよう机や服を準備しないと公正とは言えませんねw 勝負事って、身体能力によって結果が左右するものだと思うから、「雀鬼」と呼ばれる桜井章一さんがなんらかの身体能力が高くても、驚くことではいのかも。

五感の感じ方の偏り(桜井章一さんの場合「音」や「感触」に言及されているのが印象的です)については、「NLP(Neuro-Linguistic Programming)」的な捉え方もできるかもしれませんが、なんだかそれは野暮な気がしました。

あさよるも、何らかの「感覚」を失わずに持っているとするのなら、これ以上それを「社会性」で上書きするよりも、持ち続けたいし、能力を引き出せるように感覚を磨いていたいと思いました。

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究極の選択

究極の選択 (集英社新書)

究極の選択 (集英社新書)

  • 作者:桜井 章一
  • 出版社:集英社
  • 発売日: 2018-05-17

目次情報

はじめに

第一章 未来が突き付ける答えなき選択

AIと将棋の名人の対決は禁断の領域に属することなのか?
AIの進化は人間の存在意義を消滅させるのか?
科学はどこまで生命をコントロールしていいのか?
自国ファーストといった閉鎖的な潮流の中でどうやって生きていけばいいのか?
ユートピアと苦悩に満ちた世界、どっちがいいの?
地球上最後の一人になったら、それは人間と言えるのか?

第二章 「道徳」が生む危うい選択

人は差別をしなくては生きていけない存在なのか?
人を殺してはなぜいけないのか?
「かたき討ち」は許されるのか・
いじめで学校に行きたくないが、いい対応策はあるか?
道徳教育に効果はあるか?
恩義ある上司を裏切って内部告発すべきか?
売春はいけないことなのか・
もし肉親が援助交際をしていたらどうするか?
恐い妻に浮気がばれたらどうすればいいか?
やっていないのに痴漢扱いされたら逃げるべきか、否か?
DVを繰り返すダメ夫を更生させる手立てはあるのか?
結婚候補がふたりいて迷っているときの判断は?

第三章 極限の状況における究極の選択

死ねない命と三週間の命、どちらを選ぶ?
寝たきりの状態にあって死にたいと考えている人はどうすればいいか?
聴覚と視覚、いずれかを失うとしたらどちらを選ぶか?
人の肉を食さないと生きていけない極限状況に置かれたら?
ひとりを見殺しにして五人を助けるか?
独裁者を消せるミサイルの発射ボタンが目の前にあったらどうするか?
死ぬ確率が非常に高いスポーツを一億円もらってするか?
殺すか? 殺されるか?

第四章 「生き方」が根本から問われる選択

蝶が私になったのか?
両手でなく片手で叩くと、どんな音が鳴るのか?
草鞋を頭に載せた僧は何を伝えたいのか?
冗談を繰り返していると現実になるのか?
日本社会に根強い体育会的管理指導は本当に良い結果を生むのか?
決まりごとのない自由は世の中に存在するのか?
会社を辞めたいが、生活のために辞められない人はどうすればいいか?
仕事にやりがいを求めることは正しいのか?
洗脳されそうな友人を説得するには?
常識や風潮に流されず、独自の道を歩んでいくには?
人生から何を省けば楽になるか?
「与える」ことができない現代人の壁とは?
「生きることの意味」への問いは何をもたらすのか?
本当の強さがわかるには何を体験すればいいか?
すべてが裏目に出る大スランプのときはどうすればいいか?
許せる「裏切り」と許せない「裏切り」
モノがあふれる社会で、最善の選択をしていくにはどうすればいいか?

おわりに

桜井 章一(さくらい・しょういち)

東京都生まれ。昭和三十年代から、麻雀の裏プロの世界で勝負師としての才能を発揮。“代打ち”として二〇年間無敗の伝説を築き、“雀鬼”と呼ばれる。現役引退後は麻雀を通した人間形成を目的とする雀鬼会を主宰。著書に『努力しない生き方』(集英社親書)、『人を見抜く技術』(講談社+α新書)、『運を支配する』(藤田晋との共著/幻冬舎新書)他多数。

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