『図説 百鬼夜行絵巻をよむ』|魑魅魍魎になる付喪神たち

『図説 百鬼夜行絵巻をよむ』挿絵イラスト 70 芸術、美術

こんにちは。あさよるです。いつもブログで紹介する本とは別に、ブログで紹介する気のない本も読んでいますw 斜め読みしかしなかったり、パラパラと内容をザックリ確認するだけで終わる読書もあるからです。今回読んだ『百鬼夜行絵巻をよむ』も、絵巻物のカラー写真が豊富で、絵を楽しむためだけのつもりでしたが、読み始めるとこれがとても面白い。「百鬼夜行絵巻」は日本美術史界ではあまり研究されていないようです。また「付喪神」についてほとんどのページが割かれているのですが、「付喪神」という存在も美術史界ではまだ研究する人は少ないっぽいですね。

あさよるも「百鬼夜行絵巻」を何度か見たことがあります。ちょっとイロモノ的な感じで、「妖怪」や「幽霊画」なんかが集められる展示会、ちょこちょこあるのでチェックしております。

例えば、あさよるが足を運んだ特別展はこんな感じ↓(いずれも会期終了)

「百鬼夜行絵巻」と付喪神

「百鬼夜行絵巻」と一まとめにされている絵巻をよく見ると、描かれているものが全然違っている、という指摘から本書『百鬼夜行絵巻をよむ』は始まります。これまで「百鬼夜行絵巻」は美術的価値は語られてきましたが、「なぜ百鬼夜行絵巻は生まれたのか」「百鬼夜行とは何か」を美術史家たちは語ってこなかったといいます。

現存している百鬼夜行絵巻では「百鬼夜行」と言いながら、付喪神たちの行列が描かれているものと、付喪神は登場せず動植物が描かれるもの。河童や入道など妖怪が描かれているものなど、絵巻が描かれた時代によって「百鬼夜行」の様子が違うのです。

平安時代では「百鬼夜行にもし出くわすと死んでしまう!」というとても恐ろしいものでした。しかし、室町時代に描かれた「百鬼夜行絵巻」では、付喪神が描かれ、しかも彼らはどこかユニークで恐ろしさは感じません。室町時代には、あんなに恐れられていた百鬼夜行が目に見える「物」として描かれています。それはもう、闇の中に潜む魑魅魍魎、怪異としてではなく「どうせ古道具じゃん」という一種、冷めた目線なんですね。

さらに江戸時代になると、「妖怪」が描かれ始め、百鬼夜行のバリエーションが増してゆきます。

これらの「百鬼夜行絵巻」の変遷と、これまでに描かれた「百鬼夜行絵巻」、そして付喪神という存在について解説されるのが本書『百鬼夜行絵巻をよむ』です。

『付喪神記』

あさよるが本書で初めて読んだのが『付喪神記』(現代語訳)でした。

『付喪神記』によると、道具が百年たつと魂を得て、人の心をたぶらかします。だから人々は節分のたびに物を捨てるのです。あるとき、捨てられた道具たちが集まって「これまで道具として働いたのに路上に捨てられて恨めしい。化け物になって仇を取ろう」と相談します。魑魅魍魎や孤老や人の姿になった化け物は、恐ろしい有様となり、都の北西の船岡山の後ろに暮らし始めます。そして、京・白川へ出ては人の肉や、牛馬の肉を食らいました。そして化け物たちは「この国はは神国だから、神を崇め祭礼をすれば子孫繁栄するだろう」と山の中に社を建て、神輿をつくり、真夜中に祭礼行列は一条通を行きます。

そのとき関白が通りかかり、化け物たちの祭礼行列を睨みつけ、関白が身に着けたお守りが燃え上がり化け物たちを退治します。その話を聞いた天皇が、真言密教の僧に祈祷を頼み、護法童子が化け物たちのところへ行き「仏門に入るなら命だけは助けやる」と話をつけました。そののち、化け物たちは剃髪して出家し、みなバラバラに散り、それぞれ修業をつんで、みんな成仏をします。

最後は「道路や屋敷には鬼神がいて、この鬼神が古道具に憑いて悪事をさせたのだろう。道具が自発的に化けることはないだろう。命あるものもなものも「阿字(書物の根源)」を持っているが、どうして古道具だけが鬼神の力で化けるのだろうか。それを深く知りたければ、密教の道へ入るように」とくくられます。

『付喪神記』の前半は古道具たちが付喪神となり京で悪さをする話で、後半は仏門に入り修行をし成仏をするまでお話。読み物として面白いのは前半ですね。そして「百鬼夜行絵巻」で描かれている、付喪神記たちの更新は、物語前半の祭礼行列であることもわかります。

「百鬼夜行絵巻」は当初、この『付喪神記』のストーリーが描かれていましたが、いつからか物語が抜け落ち、絵巻だけが伝承されたのではないかと推測されていました。

付喪神は今もいるのかしら

以下、あさよるの雑談です。

「付喪神」について「日本人は物にも神様が宿ると考えられていたんだ」という話をしますが、あさよる的には「そう考えられていた」という〈思想〉や〈考え〉とするのが現代的な解釈で、昔の人にとって「付喪神は〈いた〉」んじゃないのかなぁなんて思います。で、一体どんな状態に「付喪神」を見出したのかなぁと想像したりします。

あと、本書『百鬼夜行絵巻をよむ』でもたくさんのカラー資料が掲載されているのですが、付喪神とそれ以外の化け物と、なにがどうちがうのでしょうか。鳥獣戯画に出てくるような人のように二本足で歩く動物もいるし、そもそも「妖怪」ってのもなんだっけ? (と、また調べてみます……)

付喪神たちは、夜になると集まり行列を作り、朝になると元のモノの姿に戻ります。「物が勝手に動く」というと、『くるみ割り人形』や『オズの魔法使い』『ピノキオ』もそうですね。『トイストーリー』の世界を、一度は想像したことがある人は少なくないでしょう。おもちゃたちが人知れず動き回っている……恐ろしいような、そうであってほしいような空想です。「物が意志を持って動く」というイメージは日本だけのお話でもないようです。だけど、先に上げたおとぎ話と付喪神はなんかちょっと違う気もします。付喪神は、作り話の中のキャラクターというよりは、ネコやカエルのように、その辺りに実態を持って潜んでいるような感じがします。

「百年経つと人を惑わす」……わかりみ!

『図説 百鬼夜行絵巻をよむ』挿絵イラスト

先に紹介した『付喪神記』では「道具がが百年を経る化けて魂を得、人の心をたぶらかす」と書かれていました。これ、わかる! ……と思いません? 当あさよるネットでは、これまで「片づけ本」を数々紹介してきましたが、片づかない理由は「道具に心をたぶらかされてるんじゃね?」と思い至りましたw

人間の意志によって「物」をどうすることもできなくなって、ただただ人の生活が物に占領され、圧迫され、呑み込まれ「物に支配されてしまう」のはこれ、「物に心をたぶらかされている」!?

『付喪神記』では、だから人々は節分に物をあえて捨ててしまうんだと書かれています。うむ、わかる。それは大事なことかもしれない。今でも年末に大掃除する習慣がありますね。

物を粗末にするのはイカンけれども、だからといって物に支配されてしまうのもこれまた違う。付喪神は我が家にもすでに住んでいるのかもしれない。

百鬼夜行・付喪神といえば!

あさよる的に百鬼夜行、付喪神といえば、夢枕獏さんの『陰陽師』が大好きです。『陰陽師』の主人公・安倍晴明は幼いころ、師匠の賀茂忠行と夜道を行くとき百鬼夜行に出会い、師匠に知らせます。この件がきっかけで、賀茂忠行は清明の才能を見抜き、陰陽道のすべてを教え込みます。

この百鬼夜行の様子がたまらないのは、マンガ版の『陰陽師』の第一巻です。岡野玲子さんによる、菅原道真公と魑魅魍魎、付喪神たちが恐ろしくもキュートなんですよね~。

マンガ版『陰陽師』は夢枕獏さんの原作のコミカライズ版なのですが、巻を追うにつれどんどん岡野玲子ワールドに展開してゆき、後半はまったくのオリジナルの世界観になっています。あさよるは岡野玲子さんの『陰陽師』も好きです(^^♪

んで、あさよるネットも『陰陽師のすべて』という、夢枕獏さんの「陰陽師シリーズ」と、そこから派生したメディアミックス作品、また現代の「陰陽師モノ」「安倍晴明モノ」を総括し紹介するムック本を紹介しました(現在では文庫化、kindle化もされています)。

この『陰陽師のすべて』の中で、夢枕獏さん、荒俣宏さん、岡野玲子さんが鼎談なさっています。現在一つのジャンルとして確立されている「陰陽道」「安倍晴明」のルーツとして、80年代にヒットした荒俣宏さんの『帝都物語』の存在について語らっているのです。

そこで、あさよるも『帝都物語』を読みまして、世界観にどっぷり浸かっておりました。『帝都物語』では、「加藤」と名乗る詰め襟軍服姿の陰陽師がトリッキーな役どころで登場します。バトルがたまらんのですよね~。

と、今回『百鬼夜行絵巻をよむ』を読んで、「そういや椎名林檎の『神様、仏様』のMVも百鬼夜行がモチーフだったなぁ」とYouTubeで再生していると……加藤ぉっ!!ww

(↑1分3秒から再生します)

百鬼夜行=陰陽師=帝都物語=詰め襟・軍服 なんだ!と妙にうれしいw ちなみにこの方、どなたなのでしょう。トランペットの村田陽一さんなのかなぁ~。それにしても林檎ちゃんカッコいいやね。

(↑このジャケット、合成じゃなくって写真なんだって、ゴイスー)

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図説 百鬼夜行絵巻をよむ

目次情報

絵巻コレクション① 『百鬼夜行絵巻』(真珠庵本)

絵巻コレクション② 『百鬼夜行絵巻』(京都市立芸技術大学蔵)

前説『百鬼夜行絵巻』はなおも語る 田中貴子

現代語訳『付喪神記』 田中貴子・訳

画人伝(抄) 花田清輝

絵巻コレクション③ 『百鬼夜行絵巻』(東京国立博物館蔵・模本)

絵巻コレクション④ 『百鬼夜行絵巻』(大阪市立博物館蔵)

付喪神 澁澤龍彦

器物の妖怪 付喪神をめぐって 小松和彦

「百鬼夜行図」コレクション 河鍋暁斎『暁斎百鬼画談』より

河鍋暁斎 百鬼夜行図 澁澤龍彦

田中 貴子(たなか・たかこ)

一九六〇年、京都生まれ。広島大学大学院博士課程修了。甲南大学文学部教授。中世国文学。著書『〈悪女〉論』(紀伊國屋書店)、『外法と愛法の中世』(平凡社ライブラリー)ほか。

花田 清輝(はなだ・きよてる)

一九〇九年~七四年、福岡生まれ。京都帝国大学英文科中退。文芸評論家、小説家、劇作家。「復興期の精神」、「アヴァンギャルド芸術」はじめ多数の作品を発表、『花田清輝著作集』(全七巻、未來社)がある。

澁澤 龍彦(しぶさわ・たつひこ)

一九二八~八七年、東京生まれ。東京大学仏文科卒。エッセイスト、翻訳家、小説家として多数の作品を発表。その全作品は『澁澤龍彦全集』(全二十二巻、別巻二)、『澁澤龍彦翻訳全集』(全十五巻、別巻一、いずれも河出書房新社)にまとめられている。

小松 和彦(こまつ・かずひこ)

一九四七年、東京生まれ。東京都立大学大学院博士課程修了。国際日本文化センター所長。民俗学、文化人類学。著作『異人論』(ちくま学芸文庫)、『神々の精神史』(講談社学術文庫)ほか多数。

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