小学校へ入学してから学校で受ける授業の多くは、興味深く楽しく先生の話を聞いていました。
椅子に座っているだけで、次から次へと私の知らない、未知の情報を提供してくれるのです。
こんなに楽で良いことはないなぁと思っていました。
しかも、日本では小学校と中学校は義務教育で、誰でも教育を受けられるのですからすごい話です。
大人になると、なかなかそのような、座っているだけで他者が手取り足取り情報を提供してくれることはありません。
人に尋ねたり、足を運んだり、自分で判断をし、自分でアクションを起こし、自分で手がかりを得ていかなければなりません。
なんだか消極的?な「本を読む」理由
私は本を読むのが好きです。
好きな理由の一つは「読んでいるだけで知識が得れるから」です。
とりあえず、どんな書物でもページをめくり、端から書いてあることを読んでゆけば、何かしらの情報は得られます。
我ながら受動的で消極的な理由だなぁと思いますが、これが私が本を読む理由の大部分を占めています。
「自分に必要な情報だけを得る」とか「これは私には不要な知識だな」とか、判断なんてできません。
いつ何時、どこでどう何が必要になるかなんて分かりませんからね。
あくまで「今の自分にとって必要か、不要か」しか分かりません。
それに、同じことを同じようにしていても、何を学ぶかは自分次第です。
『考古学の挑戦』を読んだよ
『考古学の挑戦』は、一章ごとにテーマを分けて、6名の先生方が入れ替わり立ち代り考古学についてレクチャーをしてくれます。
岩波ジュニア新書なので、興味津々の小学生や中学生の好奇心を掻き立てるでしょう。
それぞれはサラッと誰もが読めるような柔らかいないように咀嚼されていますが、どれも専門的で長い年月を要して研究されてきたことでしょう。
そんな中身の濃い内容に、ページをめくるだけでアクセスできるのは、はやり読書の楽しみであり、すごさだと思います。
しかし、同じ内容の本を読んで、何を得るのかは自分次第です。
ちなみに私は、樫の木だけでなく、トチやブナなどの食用の木の実全般を「どんぐり」と呼ばれていたことを知りました。
そういえば、幼いころどんぐり拾いに精を出していましたが、形や大きさ色艶など、全然違う「どんぐり」を集めては、「なぜこんなにも見た目が違うのか」と不思議でした。
なんてことはない、複数の植物の木の実を総称して「どんぐり」と呼んでいただけなんですね。
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考古学の挑戦 地中に問いかける歴史学
考古学の挑戦 地中に問いかける歴史学
阿部 芳郎
岩波書店
(2010)
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