熊代亨『若作りうつ』が描く未来 心の健康への取り組み

『「若作りうつ」社会』の冒頭で、精神科医の著者・熊代亨さんの元へやってきた患者さんのエピソードから始まります。

Cさんは仕事と子育てをソツなくこなす女性で、合間には趣味も楽しみ、社内で尊敬を集める人でした。しかし、ある時から睡眠や食事がうまく取れなくなり、心療内科で「うつ病」と診断されました。

治療により病状は改善しましたが、彼女は納得しません。朝から晩までスケジュールが詰まった、エネルギッシュで充実した“元の生活”に戻られないからです。

年の取り方がわからない

「若い頃と同じように頑張りたい」と主張し、自身の加齢を受け入れることに抵抗を感じています。

「老いを受け入れられない」

アンチエイジングがトレンドの21世紀。多くの人が抱えている問題です。

世代が分断された社会

かつての日本社会は、良くも悪くも様々な世代が関わり合って生きていました。

監視し合い、古い風習や価値観に支配された生活であった一方で、生まれる人、老いる人、病気になる人、死ぬ人。人間のさまざまなステージの人々が一つのコミュニティに交じり合っていました。

現代は、地域社会や因習から解放された一方で、孤立した世帯は、他の世代と隔絶されてしまいました。

「年の取り方がわからない」とは、自分たちの先を行く人々を見失ってしまった世界です。

70代に差し掛かる団塊世代も、自らを「老人」とは感じていません。いつまでも若々しく、老いのない世界は夢のような世界ですが、残念ながら存在しない世界です。

現実と願望のギャップにより、じわじわと苦しむのが現在人なのかもしれません。

誰も何も言わなくなった

アンチエイジングは超人気です。テレビをつければ次から次へと健康食品のコマーシャルばかり。

何を口にするのも人の勝手ですが、それにしても、買う人がいるからテレビで宣伝してるんですよねぇ……。

と、「人の勝手」というのも、現在人が陥っている落とし穴になっています。

赤の他人である友人知人が、怪しいげなものにハマっていても「人それぞれだし」「人の自由だし」と積極的には口出ししません。

ムラ社会的な相互監視の世界から抜け出した我々は、気軽になった半面に、間違った方へ進もうとしても誰も引き留めてはくれなくなりました。自由と責任、両方を手に入れたんですね。

本書『「若返りうつ」社会』の「第二章 誰も何も言わなくなった」は静かにゾツとする話でした。

父親不在の社会

「年の取り方がわからない」社会は、「モテ」が力を持つ社会です。

小さな子どもは、一人で生きてゆけませんから、大人から「愛され」ることで生存率を確保できます。ここでいう「愛され」とは、容姿が優れていたり、コミュニケーション能力が高いことです。

簡単に言やぁ、かわいらしい、愛らしい子どもが可愛がられるという、身もふたもない話なんすが……(;´・ω・)

かつてのムラ社会では、多少コミュニケーション能力が低い子も「みんなの子ども」「社会の子ども」という認識がありましたから、なんとかやっていけました。

しかし、現在は個人と社会が遮断されていますから、生まれ持ったかわいらしさ(容姿)か、コミュニケーション能力がないと、かわいい子どもになれません。

いつまでも「愛され」たい

そして、年の取り方を忘れた社会は、大人たちもいつまで経っても子どもの世界にいます。容姿が優れ、コミュニケーション能力の高い「愛され」「モテ」こそが社会を生き抜く力なのです。

……なんか自分で書いてて冷や汗しか出ないんだけど(;’∀’)

で、自分の「愛され」「モテ」要素を受け入れてくれる「母性」を求めている。

一方で、現在は父性不在の社会でもあります。

戦後の経済成長とともに、父親は朝早くにはるばる遠くへ出勤し、夜遅くに帰宅する、家庭にいない人物になりました。子どもから見ると、父親が毎日なにをやっているのか分かりません。

「仕事をしている」「働いている」とは言っても、具体的に何をしているのか分かりません。実際に育て、養育してくれるのが母親ですから、母性が力を持つのも頷けます。

社会の構造が変わったことで、家庭内の形まで変わり続けています。そして、新しい社会像、家族像をなかなか描けず、終わらない子ども時代を過ごしているのが現代なのかもしれません。

……って、エヴァンゲリオンみたいな話やないか!

(「第三章 サブカルチャーと年の取り方」は、オタクと年を取れない我々のお話で、他人事とは思えません)

「老い」と「死」をどう受け入れる

「年の取り方がわからない」世界は、「老い」と「死」のない世界です。

しかし、実際に現実には我々人間は日々刻刻と年を取り、老い、死に近づいてます。観念世界と現実世界の隔たりこそが、苦しみや、居心地の悪さを生んでいるように思いました。

個人的な話ですが、あさよるの祖父母はみな早く他界していて「老人」というものを知りません。

街中で出会う高齢世代の人たちは、みなさんハツラツとしてらして、元気いっぱいで何度目かの青春を謳歌しているように見えます。または、まだまだ現役世代バリに働く人たちばかりです。

これから両親も老いてゆくのでしょうが、「老いた人」を側で見たことがありませんから、「老人」がどのようなものか、あさよるにはロールモデルがありません。それは、自分自身が老いてゆくイメージがないことです。

あさよるもまた、現在人の一員として自らの「老い」や「死」を持っていない一人なのでしょう。

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「若作りうつ」社会

  • 熊代亨
  • 講談社
  • 2014/2/19

目次情報

序章 年の取り方がわからない

どこもかしこも若さ志向/終わりなき思春期/本書の狙い

第一章 「若作りうつ」に陥った人々の肖像

若さにしがみつかせる強迫観念/自己中心的な結婚願望、その袋小路/教育ママと児童虐待はコインの裏表/不惑になっても自分探し/「若作りうつ」で身体も病気に/家族ぐるみでおかしくなる/孤独死におそれおののく現代人

第二章 誰も何も言わなくなった

昭和のお年寄り/現代社会では思春期心性が有利/「日本的成熟」のリセット/ドイツ発「父親なき社会」/宗教と通過儀礼が希薄になった影響/死生観の変化と、死が隠蔽された社会/メディアは教えてくれない/誰も何も言わなくなった/“成熟の無重力空間”

第三章 サブカルチャーと年の取り方

サブカルチャー=カウンターカルチャー/少年向けコミックの移り変わり/「父親なきアニメ」へ/「かわいい」の世代間伝達/やおい女とオタク男の逃避行/「中二病」は僕らの宗教/未成熟社会の先頭としての「クール・ジャパン」

第四章 現代居住環境と年の取り方

“ファスト風土”/「誰にでも好かれる子ども」/アイデンティティの確立/文化資本と世帯間格差/パーソナリティの格差社会/父性由来から母性由来の抑圧へ/子どもと成人の“棲み分け”/社会的加齢のための刺激/しがらみなき社会の未来予想図――アメリカの現状/自由な住居環境の副作用

第五章 二十一世紀のライフサイクル

命の循環全体を指す「生活環」エリクソンの「ライフサイクル論」とは/1 乳児期「基本的信頼 vs. 不信」/2 早期児童期「自律性 vs. 恥・疑惑」/3 遊戯期「積極性 vs. 罪悪感」/4 学齢期「生産性 vs. 劣等感」/5 思春期「アイデンティティ確率 vs. アイデンティティ拡散」/6 初期成人期「親密さ vs. 孤立」/7 成人期「生殖性 vs. 停滞」/8 老年期「統合性 vs. 絶望」/老いや死を前提とした人生の再設計

終 章 どのように年を取るべきか

年の取り方のニューモデル/私達一人一人にできること/いろんな年の取り方があっていい

あとがき

主な参考文献

熊代 亨(くましろ・とおる)

一九七五年、石川県生まれ。信州大学医学部卒業。専攻は思春期・青年期の精神医学、特に適応障害領域。地域精神医療に従事する傍ら、臨床現場で目にする“診察室の内側の風景”とインターネットやサブカルチャーの現場で目にする“診察室の外側の風景”の整合性にこだわり、ブログ『シロクマの屑籠』にて社会心理学的な考察を続けている。著書に『ロスジェネ心理学――生きづらいこの時代をひも解く』(花伝社)、『「いいね!」時代の繋がり――Webで心は充たされるか?』(エレファントブックス・電子書籍)がある。

コメント

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