『一億総ガキ社会』|諦めないで、お客様

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諦められない大人たち

『一億総ガキ社会』は、モンスターペアレントやモンスターペイシェント(患者)、引きこもりや「草食系」なんかの話を、心理学的なアプローチを交えつつ、社会問題を語ります。これらの社会的な「現象」は、元をたどれば同じ心理状態から発していると言います。それは「挫折ができない」ことです。

我が子を特別扱いするよう学校や教諭に求める親は、自分の子どもが「特別ではないこと」を受け入れられません。それを受け入れることは「自分が特別ではないこと」を認めるのと同意だからです。我が子の問題をなにもかも学校のせいにする親も、「自分の子育てに問題があった」ことを受け入れられません。

「草食系」という言葉が使われ始めて久しいですが、恋に消極的だと、恋に破れるリスクを回避できます。

学業や仕事で問題にぶち当たったとき、その責任を他者や社会に求める人もいます。「新型うつ」の傾向として、本人が何かを「挫折した」ものの、それをなかなか認められず、現実と理想のギャップに苦しんでいる場合があるそうです。その挫折は、左遷されたり、仕事が上手くいかなかったり、自分の頑張りを周囲が思うように認めてくれなかったり、問題は様々です。

諦めて大人になってゆく

「大人になる」とは、挫折を知り、諦めることが増えてゆくことです。反対に、子どもは無限の可能性と、全能感を持っています。若者は夢を追いかけて、努力をするものだし、何も始める前から諦めてしまうのもおかしな話です。

だけど、全員の夢が100%叶うわけではなく、多くの人たちは一つ一つと壁にぶつかり、諦め、身の丈を知り、自分のできること、できないことを受け入れてゆく過程に大人になってゆくと言えるのではないでしょうか。

ということは、「諦められない」現代人は、ずっと子どものままということ。子どものように諦めないことを推奨されているのに、現実には諦めざる現状に直面し、そのギャップが社会現象として浮上しているというお話。

「諦めないで」の苦しみ

「諦められない」理由は、「自分らしく」生きることが推奨されている時代だからでもあるし、また消費社会はお客様に対して「諦めないで」と発し続けます。

「諦めないで、英会話を始めましょう」「諦めないで、美容にサプリを飲みましょう」。自己実現のために仕事終わりに買い物や外食にお金を使い、帰宅後も自分磨きに時間を費やし、「自分へのごほうび」や、「自分の楽しみ」が必要です。時間もお金もいくらあっても足りません。サービスを提供する側は、そうやって消費を促しています。

「選択」と「決定」し続けること

自分らしく自由に生きてゆくとは、自分で「選択」し続け、「決定」し続け、その結果の「責任」を負い続けることです。自由に生きる、自分らしく生きることは、自分の責任のもと選択・決定をし続けることが大きな負荷となる人もたくさんいます。

自由に生きられる世界は、素晴らしい世界です。今の日本社会は、ほぼ人類の夢を叶えた世界なのかもしれません。自由に自分の生き方を選ぶことができ、医療が行き届き長寿になって、死はなるべく遠ざけられ、すごい世界に生きています。

先日、ジブリ映画の『かぐや姫の物語』の小説版を読みまして、かぐや姫が月の世界で罪を犯し、地球に落とされる理由を知りました。(以下、軽くネタバレ?します) 月の世界は悲しみのない幸福な世界です。だけど、かぐや姫は地上の人々が活き活きと生きる姿を見て「何か」を思うのです。その「何か」が彼女の犯した罪です。月の世界は悲しみがない……つまり死もなく飢えもない幸福の世界です。それは同時に、生もなくお腹が空かず、喜びのない世界でもあります。その幸福な世界で生きるかぐや姫が、地上の喜びを持って生きる人々…つまり悲しみを持って生きる人々を見て「何か」を思ったのですね。

かぐや姫の物語 (角川文庫)

幸せになるとは、退屈に生きることなんでしょう。あさよるも、自分の大切な人は絶対に、一瞬でも長く平たんで穏やかな気持ちでいることを願っています。波風はなるべくなく、いつまでも平穏でいて欲しいんです。それは「ずっと退屈でいて欲しい」という願いなのかも。

だけど実際には、理想と現実の間にはギャップがあり、「諦める」という手は封じられている以上、他人のせいにするか、他の何かに依存して気を紛らすしかなくなってしまいます。

「運がいい」「運が悪い」

ふと、『一億総ガキ社会』を読んでいると、現在のわたしたちは「運がいい/悪い」ということを、どのように受け止めているんだろうと感じました。

確かに、自由に生きるとは自己責任を負って生きる生き方なんだけども、どんな結果が待っているかは運要素も大きく関わっています。

『一億総ガキ社会』では、司法試験を何度も受験している男性が、想いを寄せていた女性が他の医者と結婚してしまい、その現実を受け入れられず「彼女はもうすぐ離婚して自分のところにやってくる。それまでに司法試験に合格しないと」と考えている話が登場します。これは恋が破れた場合の話です。だけど、恋が実ることもありますよね。自由に自分らしく生きる世界では、実った恋も自己責任(自分の成果)ということになるんでしょうか。

こと恋路に関しては、縁のものだし、タイミングもあるし、パートナーとして一緒にいられる期間が長いのか短いのかもあるし、それらは複合的に要素が入り組んでいて、大雑把に言うと「運」だと思うんですw

良いことも悪いことも、意図せずともそうなることが多々あります。「運」としか言えない、神頼みするしかないこともたくさんあります。それらをどう処理してるんだろう。たぶん「諦める」ことを認めるとき、「運」を受け入れることなのかな、なんて思いました。

「有難い」の反対は「当たり前」という話がありますが、恋が実るかどうかが自己責任の世界では、「恋が実って当たり前」という解釈になるのかな。

ちなみに あさよるも、初めて「カオス」という存在に触れたとき、理解の範疇を超えていて、ものすごく動揺しました。実際にカオスの実験も目にしましたが、心のどこにそれを持っていけばよいのか分からず、長い間そのまま棚上げしていました。やっと最近になって、なんとなく「カオス」ってこういうことなのかと扱えるような心持になってきました。

カオスから見た時間の矢―時間を逆にたどる自然現象はなぜ見られないか (ブルーバックス)

こう解釈できる

『一億総ガキ社会』も、具体的な解決策が出ないまま終わってしまいます。それは著者自身も現代を生きる人であり、子どもっぽく諦められない性質だと吐露されています。しかし、「自分はこういう状態にある」と認識できるだけでも、少し状況は変わります。実際に精神科医の著者のもとに訪れる患者さんは、自分の状況を理解するだけで、少しずつ好転してゆくそうです。

何もわからない状態は不安で、不安がかき立てられると自分を守るため攻撃的にもなってしまいます。何も解決していなくても、「知る」という行為だけで、「わからないという不安」は減るでしょう。

「諦められない」「失敗できない」現状はさながら、赤ちゃんが転びそうになれば大人が助けてやって、一度も転んだことのないまま子どもが育ってゆくような感じ。実際には、見るのは辛いですが、赤ちゃんは何度も転んで転んで、転んで起き上がる練習をしないといけません。ただ転べばいいってもんじゃなく、本書では

一)他人のせいにばなりしない
二)敗因を分析する
三)自分で起き上がる

p.247

と三つの練習が紹介されています。

あさよるにとって、本書で知れた一番の収穫は「あなたらしく」「諦めないで」というメッセージは「儲かる」ということ。そんな言葉で語りかけてくる人がいたら、その真意を探ってみるのは有効かも(苦笑)。

こちらもおすすめ!

『他人を攻撃せずにはいられない人』|支配欲と全能感の共依存

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片田珠美さんの本

一億総ガキ社会~「成熟拒否」という病~

目次情報

はじめに

第1章 「打たれ弱い」という病

不登校は誰にでも起こりうる、という認識
ひきこもりの長期化
優等生の突然の挫折――名門中学・高校で不登校
親の期待――自己愛の再生という欲望
「母の欲望」は乳幼児期には重要
幼児的な万能感
肥大した万能感の弊害
空想の中で育てた自分を守るための「殺人」
成熟拒否=「断念」を受け入れられない
インターネットの無限のパワーを手に入れた気分にさせる
けがをさせない教育――カーリングペアレント
先回りする親の「不安と恐怖」
ヘタを打つのが怖い草食系
性の悩みを母親に話す男子
出社拒否と「希望の仕事」
他人を責める「新型うつ」

第2章 一億総「他責的」社会

モンスターペアレントは「他責」の象徴
ベテラン教師も疲れ果てる
わが子の問題を否認して、他人を責め立てる
パーフェクト・チャイルドという「対象」と親の自己愛
「地域の掟」と「学校の権威」の崩壊
「教育する家族」お誕生
親としての万能感
医者を罵倒するモンスター患者
病院では何をやっても許される?
他責的な「うつ病」
キャリアウーマンの初めての挫折
「優秀な公務員」の不満
なぜ他責的な人々が増えたのか?
自分が「空っぽ」であることを受け入れられない

第3章 依存症――自己愛の底上げ

マイケル・ジャクソン――「大きな子ども」の典型
失われた子ども時代
薬物依存で自分を「底上げ」する
医薬品からドラッグへ
心も身体もバーチャルな自己愛的イメージに生きる
リタリン、SSRIで自己変容――処方箋に頼った幸福
サイキック・ビル――存在の医薬品化
うつと依存――飲酒と睡眠薬の多様で急死した元大臣
自己愛の補完――ツケは身体で払う
のしかかる自己責任の重圧
社会的排除・脱落への恐怖
欲望をあきらめさせてくれない社会

第4章 大人になるってどういうこと?――対象喪失とは何か

最大の対象喪失である「自らの死」
キューブラー・ロスの「死の五段階」説
「否認」は続かず、激しい「怒り」へ
「取り引き」から「抑うつ」へ――喪失感に襲われる
「障害」「挫折」「失敗」――日常のなかの対象喪失
「否認」の段階でフリーズ――ひきこもり
「怒り」の段階に固執――他責的な人々
「誰でもよかった」殺人――秋葉原事件に見る「内なる悪」と「投影」
「抑うつ」の段階を回避――依存症
「対象喪失」とは何か?――精神分析における概念
「悲哀」は意識的、「うつ」は無意識的
「自己愛的万能感」という対象
対象喪失の原点は「乳離れ」
対象の「良い面・悪い面」を同時に受け入れられるか
対象喪失=去勢をめぐる男女差――なぜ男の方が打たれ弱いのか
最初の欲望の対象としての「母」
エディプス・コンプレックスの非対称性――母の喪失が難しい男の子
一卵性双生児――増える「母の喪失」ができない娘たち
なぜ大人になれなくなっているのか?――「死」「病」「痛み」「不快」の排除
自分だけが悩んでいる、という錯覚

第5章 子どもを子どものままにしないために(処方箋)

「~しない生き方」を実行するのは難しい
問題点に「気づき」、構造を理解する
「敗戦」による抑うつを回避した日本――バブルという躁的防衛
失われた対象を直視せよ
親の側の「不安」や「恐怖」に目を向ける
悩みや葛藤があってこそ人並み――子どもの負の感情を認める
「断念」することの大切さを知る
子どもも自分も全体対象として認める
転ぶことでこそ大人になることに気づく

片田 珠美(かただ・たまみ)

一九六一年広島県生まれ。精神科医。大阪大学医学部卒業。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。人間・環境学博士(京都大学)。フランス政府給費留学生としてパリ第八大学でラカン派の精神分析を学ぶ。臨床経験にもとづいて、心の病の構造を分析。現在、神戸親和女子大学教授。京都大学非常勤講師。著書に『17歳のこころ』(NHKブックス)、『攻撃と殺人の精神分析』(トランスビュー)、『こんな子どもが親を殺す』(文春新書)、『薬でうつは治るのか?』『やめたくてもやめられない――依存症の時代』(いずれも洋泉社新書y)、『無差別殺人の精神分析』(新潮選書)などがある。

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