「おしゃれに見られたい」
誰もが持っている願望です。
だけど、見られたいって、一体「誰に」見られたいのでしょう?
その場その場の流行を追いかけることはバカバカしく感じる反面、流行がすごく気になって仕方ありません。「ファッションなんて興味がない、人は見た目じゃない!」と言いながら、デートの前には準備に余念がなかったり……。
ファッションが掴みどころがなく難解にさえ感じてしまうのは、クルクルと目まぐるしく変わる、人の心がそうさせているのです。
見られたい、けど、見られたくない。目立ちたい、けど、目立ちたくない。わかってほしい、けど、わかられたくない。
相反する気持ちが同時に存在する人の心が、ファッションに映しだされます。
『ファッションの技法』を読んで、Yes と No を同時に言う、ファッションの根本を知りました。
おしゃれするために、ファッションを知りたい
「おしゃれをしたい」という願望が以前からありました。
実は、「カワイイ」「カッコイイ」と思われたいとも内心願っていましたし、なにより「ダサい」と思われたくありません。
漠然と思っていたけれど、どうしていいのかわかりませんでした。
ファッション誌を買って読んでみたけれど、なにか釈然としません。この春のトレンドはわかりましたが、その、「トレンド」ってなんなの?そもそもの定義や文脈を知りたかったのです。
それに、そもそも、なんで「おしゃれをしたい」と思うのでしょうか。なぜ「ダサいのは嫌」なのでしょう。自分の胸のうちで湧き上がる気持ちを、知りたいと思いました。
ファッションに関する本を読んでわかったこと
ファッションを取り扱った書籍はたくさんあります。しかし、知りたい情報が網羅されている書籍はなかなか見つけられませんでした。
中高生向けの、ファッション入門編で知ったこと
はじめに手に取った『ファッション・ライフのはじめ方』は、中高生の男の子に向けて書かれた書籍でした。
もちろん、あさよるは中学生でも男性でもないので対象ではありませんが、たいへん勉強になりました。
服を着ておしゃれをするのは、人間だけです。ですから、服を着ておしゃれをするのは「人間らしい」行為だと気付きました。
そして人は、立場に見合ったファッションをしないといけません。先生なら先生らしく、医者は医者らしく、子供は子供らしい服を着ます。服装が立場を表す記号になっているということは、人間の社会性でしょう。服により、コミュニケーションを図っているのです。
社会性を持ち、社会を形成するのも「人間らしい」営みです。
やっぱり、ファッションと「人間らしさ」は切っても切り離せないんです。ということは、人間誰しもファッションに身を包んでいるということです。意識する/しないに関わらず。
ファッションは哲学だ
次に、良書に出会いました。
著者・鷲田清一氏の思想が存分ににじみ出ていながら、近代のモードを総ざらいしてゆく一冊。
著者の思想に満ちていることは、むしろ良いことです。ファッション自体が思想なのですから。そして著者もそれを促します。なんてったって、タイトルが『てつがくを着てまちを歩こう』なのだから。
コレクションで発表されるモードがしてきたこと。男性らしく、女性らしく、象徴化されてゆき、またそれらを破壊し、再構築され、延々と続いてゆきます。
女性の働き方に問いかける『ビジネスファッションルール』
『ビジネスファッションルール』は趣が変わります。
女性が社会進出を果たそうとする現代なのに、女性の間にビジネスファッションが行き渡っていないのです。立場に似合わない、不相応な服装をしている女性たちにレクチャーします。
キャリアアップを目指し「稼げるファッション」が紹介されます。
社会は大きく変わり、これまでにはなかった女性像がすでに打ち出されいることが分かります。これまでになかったからこそ、迷い間違えてしまうのです。
ファッションは女性の生き方を指し示します。
国境を超えて、普遍的な美しさ
さらに、アメリカのファッションアドバイザーの書籍に触れることで、国境を超えた普遍性を垣間見ました。
美しくあるということは、細部まで配慮が行き届いたことです。立ち姿、歩き姿一つとっても、美しくなれます。
肉体もまた、ファッションの一部
被服が「第二の肌」であるように、肉体もまた服の一部です。だって人間は、肉体そのものの形まで変えてしまいます。髪を切り、体毛を剃り、年がら年中ダイエットに明け暮れるのです。
肉体そのものを思いのままにカスタマイズしてしまう。それは日常です。
ですから、服は体の一部とも言えますし、体は服の一部でもあります。お化粧もせず、アクセサリーもつけず、裸になったからといって、はたしてそれは「その人らしさ」が表れたと言えるでしょうか。
裸になってしまえば、みんな同じです。むしろ、没個性になってしまいます。
どの著者の主張にも共通していること
これまで読んだ書籍には、三者三様の哲学がありました。考え方や目指すものも違います。
しかし、どこか共通している部分も多々あります。
それは、服は自分を表すということ。
「他人からどう見えるか」が大事なこと。
被服は「第二の肌」と呼ばれ、特別な意味合いがあること。
見せるために隠す、隠すために見せること。
女性らしさと男性らしさの違い。
そして山田登世子『ファッションの技法』に出会った
著者・山田登世子氏の、考えを読もうと思いました。口コミによると、服の機能やその歴史や、ファッションにまつわる話題が記載されていて、著者の思い入れやセンスが溢れている、とありました。どうやら、ファッションを語る上で思想が関係していることは、他の本を読んで知ったことです。
誘惑するのは女。ファッションは雄弁に語る
『ファッションの技法』では、女性を「誘惑するのは女」と定義します。アプローチは男女それぞれできますが、最終最後、Yes or No を出すのは女性です。
ファッションは雄弁に語ります。
しっかりと刺繍がほどこされ、たっぷりとレースがあしらわれた揃いの下着。足の先まで下着と同じ色のマニキュアが塗られていたら……。なんの言葉も、なんの仕草も必要ありません。その存在だけで「誘惑するのは女」なのです。
ファッションは、恋をするために必要です。
「おしゃれに見られたい」…って、誰に見られるの?
また別の欲求もあります
「人から認められたい」「おしゃれに見られたい」という願望です。あさよるが抱えている欲求ですね。
しかし、「見られたい」と言って、一体誰に見られるんでしょう。友人?恋人?知らない人?それとも自分?
答えは、それらすべて。
人の目が気になり、人からどう見えているのか気になることも、「社会」に属している実感です。誰もいなければ、完全に孤立していれば、そんな気遣いらないのですから。
だから、ファッションに身を包み「みんなと同じでいたい」のです。みんなと仲間でいたいのです。そのためにみんなと同じ流行、トレンドが必要です。
みんなと同じでいたい/みんなと違っていたい
だけど同時に、「人と違っていたい」とも思います。みんなの中に埋もれたくない、自分は自分であり、唯一の存在なのですから。
人に見られたい、だけど、人に見られたくない。
特別でいたい、だけど、特別になりたくない。
全く相反する気持ちを、誰しもが抱えています。変な気持ちだけれども、その気持ち、わかりますよね。
ファッションの明日は「わからない」
つまるところ本書を読んでも、ファッションについて結局なにもわかりません。たった一つだけ「ファッションはわからない」ということがわかります。
ファッションは軽薄です。
移ろいやすく、次から次へと止めどなく流れ続けます。
ファッション誌が「この春流行!」と書き、広告代理店がセンセーショナルな広告を打つ。テレビがそれを持て囃し、口コミが瞬く間に広まり「流行」する。
だけど、明日何が流行するかは、誰にもわかりません。「みんな」の「気分」が、流行を動かし続けるのです。
なんとも変な世界が、きちんと心に根ざしている
それが、社会に属しているということなのでしょう。みんなと同じファッションを追いかける。だけど、みんなと違っていたいから、自分流の、自分だけが知っているファッションに手を伸ばす。
そうやって「みんなと同じでいたい」だけど「みんなと違っていたい」と相反する気持ちが流行を作り上げ、瞬く間に廃れさせてゆく。
ファッションには中身がないし、実態がありません。
だけど、誰もが持っている思想があり、自分にはわかる文脈があるのです。
なんともまぁ、変な世界でありながら、ファッションに恋い焦がれる気持ちも、ひしひしと実感してしまう。自分にも、「人と同じでいたい」だけど「人と違っていたい」という感情が、きちんと根付いていることに気づきます。
みんなとは違う、同じファッションを追いかけるために
著者・山田登世子氏が大学でファッション論の講義をし、学生たちへの問いかけから、本書は生まれました。
ですから、著者のひとり語りにはならず、講義でのエピソードや、学生たちの考えも紹介されます。だから、知識が乏しくても、置いてけぼりにもならずに読み進めることが出来ました。
ファッションとは、ファッションについて語る時、語り手の思い入れ抜きには語れないらしいのです。その人のこだわりや思想がアリアリとにじみ出ます。
20年前の流行も、現在の流行も、本質は同じ
ファッション、モードは、いわゆる“若者ファッション”も否定しません。好みはあるでしょうが、それらもファッション・モードの文脈で読み取られるのです。
本書が出版されたのは1997年。もう20年近くも前です。
本書内で紹介される最新の流行は、もちろん20年前のものだから、10代20代の若い方には、ピンと来ない内容もあるでしょう。だけど、本質はそこではないので、ササッと読み飛ばしてしまえばOK。
大事なのは、流行の「見方」「捉え方」です。過去の流行したモノの固有名詞に、現在の流行のモノを当てはめても成立します。
これからも「みんなと同じ」ファッションを追い求めることでしょう。しかし、19世紀から続くモードの波を知っていれば、「みんなと違う」おしゃれになるでしょう。
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ファッションの技法
目次情報
はじめに
1―――女は誘惑する?
おしゃれ、何のために?/誘惑するのは女/コケットリー/イエスとノーを同時に言うこと/決めてしまってはダメ/『薔薇の鬼ごっこ』あるいは男をだましかた/「愛の遊戯形式」
2―――「隠すこと」と「見せること」
隠すこと・見せること/脚を見せる/脚を秘める/革命家シャネル/飾ること・飾らないこと/女が脚を見せる/色をつける・色を消す/《黒》は超越する/なぜファッション?――コケットリーの境界線/つくること・くずすこと/《黒》は拒絶する/コムデギャルソンは《性》の喪に服す/アンチ《アンチ・コケットリー》
3―――《現在》にときめきたい
「きょ年の服では、恋もできない」/モードは《現在》/同一化願望と差異化願望/トレンドって何?/ひとはなぜ《ブランド》を欲しがるか?/誰がトレンドをつくるのか?/モードとは「メディアが語る衣服」である/わたしたちはメディアの共犯者/モードは伝染する
4―――ファッションは終わりのない遊戯
ファッションの軽薄さ/服が女をつくる?/ファッションは《変身ゲーム》/身体は「第一の衣服」である/化粧は「嘘よりもっと嘘」/どうしてそんなにやせたいの?/制服はいやだ/善悪の彼岸/「弱さ」は誘惑する/ファッションって女みたい/ファッションと女は闘えない
あとがき
参考文献
著者紹介
山田 登世子(やまだ・とよこ)
一九四六円、福岡県生まれ。愛知淑徳大学現代社会学部教授。専門はフランス学部・文化。メディアからモード、さらにリゾートの文化史まで、関心領域は広い。主な著書に、『華やぐ男たちのために』―ポーラ文化研究所、『メディア都市パリ』―ちくま学芸文庫、『モードの帝国』―筑摩書房―などがある。
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