佐々木典士『ぼくたちに、もうモノは必要ない。 – 断捨離からミニマリストへ』|「ミニマリスト」を知りたいなら

ときめきの魔法の正体。

人生の主役を、「モノ」から「自分」へ!

今すぐ片づけなきゃッ……ヤツが!

あさよるは悩んでいた!なんかめっちゃ部屋が汚い!あんなにモノを断捨離したハズなのにまだまだ溢れかえっている!とても管理できない!

そして、なんかめっちゃ机の上に物が地層をなして降り積もっている!なぜだ!?

物をかき分け、腕をなんとかパソコンのキーボードに伸ばし文字入力をしてる。マウス操作もままならない!これじゃ……仕事にならないし、ブログ書くのもすごく億劫だ……。

そしてもう一つ、片付け及び掃除に焦る理由は……これ。この本はあさよるネットでも以前に紹介したものです。

そう、そういうことなんです。この『ゴキブリ取扱説明書』を読んでからというもの、ゴキブリ駆除のために、せっせと片付けをしているのでした。

物が多い=風通しが悪い場所はヤツらの巣だかんね!

「ときめく片付けの魔法」の正体がわかる

著書の佐々木典士さんの肩書にはズバリ「ミニマリスト」と書かれている!

かつてモノに囲まれ、モノに乗っ取られた部屋で暮らしていた著者・佐々木典士さん。モノから決別し、ミニマムに生きることで手に入る“モノ”とはなにかを手を変え品を変えながら説明をする。

ミニマリストが得られる“モノ”はとてもシンプルなのだが、それを説明するのは骨が折れる。なぜなら、モノを持たないで生きるという“概念”をインストールしなくてはならないからでしょう。手を変え品を変え、たくさんの例を挙げることにページが割かれています。

「ときめき」とはなんだ?

ズバリ、本書『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は、あの『人生がときめく片づけの魔法』の足りない部分を補う存在だと、言い切りますよ(`・ω・´)ゞ

『人生がときめく片づけの魔法』では、タイトルにもあるように“ときめく”ことがとても重要な要素です。これからやってくる新しい自分の生活をイメージしたまま、自分がモノを手に取ります。ときめくなら手元に置いておく。ときめかないなら、手放してしまうというものです。

そのためのノウハウが収録されているのですが、“ときめき”とは一体何かは、あまり触れられません。「片づけ」や「捨てる」ことへのメンタルブロックを解く内容でもありましたから、そちらに大きくページ数が割かれている印象でした。

さらに、ときめきの片づけをすると、痩せるとか、恋が実るとか、ややオカルトっぽい事柄が言及されていたり……(^_^;)

そこで、本書『ぼくたちに、もうモノは必要ない』です!ときめく片づけのオカルト…眉唾っぽい部分をきちんと、実例を交えて説明する内容なのです!

部屋の主人の座をと取り返す!

『ぼくたちに、もうモノは必要ない』の著者・佐々木典士さんは、大量のモノに囲まれ、モノにすっかり部屋を乗っ取られ、モノに追いやられて生活をしていたそうです。

佐々木典士さんは、モノに執着していたわけではありません。有り体に言えば、自分の「見栄」や「妬み」、「僻み」に執着していたのでしょう。

本棚には、ズラリと読んでも居ない本が並びます。「ぼく、こんな本も知ってるんですよ」「こんなことにも興味がるんです」「賢い人でしょ」「教養深いでしょ」と、人に“見せるための本棚”だったと振り返っておられます。

一事が万事で、部屋の中を埋め尽くすモノ・モノ・モノは、自分のためではなく、人に見せるために所蔵されていたのです。

「他人のためのモノ」は自分を幸せにしない

他人のために所持しているモノは、決して自分を幸せにしません。当然です。自分の見栄や嫉妬の化身なのですから、モノがあればある程、自らの欲や業に苛まれ、焼き尽くされてしまうんですね……(´・ω・`)

自らの欲求を埋めるために購入するモノなのに、変えば買うほど業が深まり苦しくなるだなんて……これは辛い負のスパイラルですし、あさよるも“それに”ハマりこんでいたので、他人事ではありません(-_-;)

そして、部屋の中がモノで溢れていた頃、自分より高所得の同級生を見て、自分を惨めに思う。結婚し、子どもも生まれ、家庭を持った友人と自分を比べてしまう。広い部屋へ引っ越せないのは給料が安いせいだと不満に思い、念願叶って入社したはずの職業なのに、悶々とする日々だったそう。

とても赤裸々に欲望や嫉妬を語っておられると思います。誰だって、多かれ少なかれ同じような感情を持っているでしょう(少なくとも、あさよるは大いに共感しました)。

誰かへの見栄のため、他人に負けないために、モノを持っていても幸せにならない。どころか、どんどん自分を苦しめるものになる。だから、まずは他人のために持っている持ち物は手放してしまおう。

そして、自分が選んだ、とっておきの、お気に入りの、自分が好きな「モノ」を、持とう。それが「ミニマリスト」であり、ミニマリストとは自分の欲や嫉妬を捨て去った状態ということなんです。

「捨てる」ことも、目的ではない

「ミニマリスト」って「モノを何もかも捨てる人」という意味ではありません。

自称ミニマリストの中でも、「テレビを捨てないとミニマリストではない」とか「バックパックに収まる分量しか持ってはいけない」とか「一つ買ったら一つ捨てなければならない」とか、“いかにモノを持たないか”でマウンティングしあう人たちがいるそうです。

それって、モノを持つことで他人を威嚇していたのと同じです。大切なの、「自分を生きる」ってこと。他人を動かすために買い集めたモノに、人生の主人公を乗っ取られてはいけません。モノに振り回される人生は、さっさと終わらせましょう。

停滞していた片付けが動き出した!

あさよるは以前、先に上げた理由(G的な意味で)で切羽詰まって片づけ・断捨離をしました。で、「もうこれ以上捨てるものはないだろう」って極限まで持ち物を減らしたんです。お陰で掃除もしやすくなりました。

なのに!それでもどうも、モノが多すぎる気がする……。

だけど、具体的にどれが邪魔なのか、何がいらないのかサッパリ分からず、そして、どんどんと散らかりやすい部屋になってしまっていました(;´д`)トホホ…

そんな理由が重なって本書『ぼくたちに、もうモノは必要ない』を手に取ったのですが、読みながら、ふと自分のすべきことに気づきました。

「そうか、収納家具が邪魔なんだ!」

そういうことで、これから押入れの中に突っ込んである、衣装ケースを一旦撤去してみようかと計画中です。もちろん、衣装ケースの中に入っている洋服をどうするのか考えないといけないんだけど、今の服の量なら、普通に畳んでおくだけでも十分そう。

片付け体験で感じていたことが言語化されていた

あさよるも、先に上げた『ときめく片づけの魔法』や『断捨離』本を読んで、「どうやら片づけとは、既成概念を覆すステップが必要らしいぞ……」と気づいていました。そして、実際に片づけをしてゆく中で、いかに自分が「他人のため」にモノを溜め込んでいるのかと思い知りました。

もちろん、その「他人のため」とは、必ずしもネガティブな意味とは限りません。「きっと、これを見せたらあの人は喜ぶだろう」とか「これを大事にしていることが仲間のしるしだ」と、ポジティブな「他人のため」もありました。……このポジティブな側面があるから、片づけはややこしい。

『ぼくたちに、もうモノは必要ない』でも語られているのですが、人は、その“モノ”に喜んでくれるのではなく、“気持ち”を喜んでくれるんだと気づくんに、かなり時間がかかりました。そう、「コレでなくればならない理由」って、案外希薄だったりする場合が多いんですよね。

と、この『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』では、あさよるがこれまで、片づけを通して感じていた事柄が、言語化されていました。

「片づけ」で既成概念を壊しちゃえ!繰り返し語りかける

あさよるは『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』を読んで、めっちゃ共感したり納得したり、「そうか」と思いついたりと、なかなか楽しく読み通すことができました。

しかし一方で、同じような内容を何度も何度も繰り返し書かれているので、飽きてしまう人もいるかもしれません。

先程も紹介したように、きっと片づけって、想像以上にクリエイティブというか、これまでの常識や思い込みを解体して、再構築するステップが必ず挟まるんだと思います。そこを乗り切るために、何度も何度も繰り返し話を言い聞かせてゆく必要があるのではないかと推測します。

佐々木典士さんの語り口は、軽快で親しみやすい文体ですから、負担にはならないのではないかと思います(`・ω・´)ゞ

それ、誰のためのモノですか?

あさよるは『ぼくたちに、もうモノは必要ない』を読み、「片づけを早く終わらせたい」と強く思いました。いつも頭の片隅で、片づけが気がかりなばっかりに、とても仕事の能率まで落ちてしまっていると気づきました……。

というか現に、「片づけしなきゃだから、この仕事は受けられない」と判断すること多し!こりゃいかん!

誰だって少なからず、モノが多いせいでチャンスを逃していることってあるでしょう。

そのモノの多い理由は、自分の好きなもの、自分を豊かにするものではなく、「他人のため」のものではないでしょうか。

決して、他人のためのモノを持ってはいけないわけではありません。が、もし「それが当然」と思い込んでいるのなら、ちょっと、常識覆すような経験を「片づけ」で体験してみるのも……(-ω☆)キラリ

『ときめく片づけの魔法』+『ぼくたちに、もうモノは必要ない』の組み合わせで( ´∀`)bグッ!

ぼくたちに、もうモノは必要ない。 – 断捨離からミニマリストへ

目次情報

本の構成について
はじめに

第1章
なぜ、ミニマリストが生まれたのか?

誰もが最初はミニマリストだった
ミニマリスト以前のぼくの1日
ミニマリストのぼくの1日
ぼくが捨てたもの
ミニマリストになった理由
日本人はみんなミニマリストだった
逆輸入されたミニマリズム
ミニマリストの定義とは?
ミニマリズムは「目的」ではない
究極のミニマリストは一体誰か?
断捨離、シンプルライフ、ノマドワーク
到底手に負えない情報量
「人間」は5年万年前のハードウェア
ぼくは、ぐるぐるしている重いパソコン
ぼくらはスマホで何でもできる
モノを減らすためのモノ
シェアする文化の浸透
「モノ」に殺されるリスク

第2章
なぜ、モノをこんなに増やしてしまったのか?

欲しかったすべてのモノを持っていた
「慣れ」という毒
なぜ人は新しいモノばかり求めてしまうのか?
なぜ少女はおもちゃの指輪で満足できなくなるのか?
W杯で敗れた本田圭佑をどうやって慰めるか
優勝の喜びが続くのは3時間?
ビル・ゲイツは6回ご飯を食べられるか?
50倍の価格のApple Watchの機能とは?
未来の感情は予測できない
ジャケット10回目に着たときの喜び
石器と土器は「必要」なモノだった
「自分の価値」を伝えるためのモノ
誰でも「孤独」アプリがインストールされている
猫と犬の孤独
あまりに多すぎる自殺者
すべては「自分の価値」を感じるために
自分の価値を手っ取り早く伝える方法
内面をモノで伝える
自分とイコールになったモノ
本棚を自分だと思い込んだぼく
自分を損なうモノ

第3章
捨てる方法最終リスト55!!

さらに捨てたい人へ追加リスト15!!
「捨てたい病」への処方箋

第4章
モノを捨て、ぼくが変わった12のこと

時間ができる
生活が楽しめる
自由と開放感を感じられる
人と比べなくなる
人の目線を恐れなくなる
行動的になれる
集中力が高まる。自己に徹する
節約だってできる。エコにもなる
健康になれる。安全である
人との関係が変わる
今、ここを味わえる
感謝できる

第5章
幸せに「なる」のではなく「感じる」

「幸せのお手本」を捨てる
幸せは50%遺伝で決まる
環境は10%しか影響しない
幸運にも不運にも人は慣れる
幸せに「なる」ことはできない
「なる」のではなく「感じる」幸せ
幸せは自己申告制
ミニマリストになって変わった40%の「行動」

おわりに マキシマムな謝辞

佐々木 典士(ささき・ふみお)

編集者/中道ミニマリスト

1979年生まれ。香川県出身。早稲田大学教育学部卒。出版社のみを志望し、3年間就活をする。学研『BOMB』編集部、INFASパブリケーションズ『STUDIO VOICE』編集部を経て、現在はワニブックスに勤務。すべてを保存し、何も捨てられない汚部屋出身。2010年頃から、身の回りのモノを手放し始める。2014年クリエイティブディレクターの沼畑直樹とともに、ミニマリズムについて記すサイト「ミニマル&イズム less is future」を開設。本書が初の著書。

コメント

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